瑞穂國に花も黄金も咲きぬれば

秋保千代子

01.差し出せと聞いた

 畳の目を数えていた。これに暇潰し以外の意味があるだろうか。とはいえ他にできることも無いから、ひとつ、ふたつ、みっつ、と胸の内で唱え続ける。

 やがて、諸君、と誰かが声を上げるのが聞こえたから、顔を上げた。

 畳が四十四枚並ぶ大広間に居並んだ武家、皆が揃って同じ方を向いていたから、誰が口火を切ったのかはすぐに分かった。まもなく還暦を迎える、鋭い顔立ちの男だ。長く一線に立ち続け、今もなお周りを引っ張っていく存在として輝く男。期待を無視できなかっただろう。

「じっとしていても始まらぬ」

 と、彼は続けた。

「閣下たってのお望みである故、我々は成さねばならぬ。早々に検討を始められるが良かろう。儂も相応しい品をご用意できるよう努める所存だ」

 どっしりとした体を揺らし、彼は去って行く。続け、と皆が動き出す。

 それでも、万丸よろずまるは其処にじっと座っていた。衣擦れと足音がすべて聞こえなくなってから、やっと立ち上がる。大広間を出て歩き出してから、つらつらと先ほどまでの出来事を思い返した。

 事の中心は、居並ぶ皆が顔色を伺う当代一の。万丸にとっては、ただただ、面倒な伯父。

 今回のお達しも面倒だった。



 瑞穂國の全てを巻き込んだ戦乱を収められて一年。

 諸侯におかれては、この國を彩る宝物を都に差し出されるべし。



 朝廷から関白の職を承った当代一のもののふが築いた絢爛豪華の城、聚楽第じゅらくてい

 今、万丸がいるのは、関白自身が住まう本丸御殿とは別に建てられた二の丸御殿。門側の三つの建屋は常日頃、関白に従う武士たちが集まる場として使われている。反対の一番奥を、万丸は住まいとしていた。

 住まいに戻るため、大広間から北へと歩く。

 途中で、目の端を黒い靄が通り過ぎていった。

「……物の怪か」

 足を止め、目で追う。それはたいして大きくない。飛ぶ勢いもない。特別何かしなくてもやがて消えていくだろうと、目を細める。

 靄が彷徨っていった先、如月の庭では松が枝を空に伸ばしていた。池では鯉がゆるやかに跳ねる。そこかしこで斑雪と花の蕾が鍔迫り合いを起こしている。それを横目にはしゃぐのは水干姿の童たち。

 歓声に、黒い靄は千切れて吹き飛ばされていった。

「おまえたち」

 万丸が声を張ると、彼ら三人は一斉に振り返った。

「やっほー、万丸!」

「ねえ、暇? 暇?」

「こっち来てよ、一緒に遊ぼう!」

 手を振ってくる三人は皆六つ。腹違いの兄弟、関白の実の子たちだ。彼らの母の序列に拠って、順に名を呼ぶ。

「国松。石松。鶴松」

 廊下の端に立ったまま、万丸は首を傾げた。

「何をして遊んでいる?」

「かくれんぼ!」

 揃った声に成る程と息を吐いて、踏み荒らされた庭をぐるりと見まわして、自らの衣装に目を落とした。

 絹の直垂。破れたら、汚したら、面倒だ。

「今は無理だ」

 首を横に振ると、一斉に声が上がる。

「えー、意地悪!」

「けちんぼ!」

「いいんだ、母上様に言いつけてやる!」

 どの母に呼ばれても面倒だな、とまた息を吐く。それでも、衣装を汚して下女たちに厭そうな顔をされるのとどちらがマシかと考えて。

「そうしろ」

 と、体の向きを変えかけたのだが。

「どうすれば遊べる?」

 問われた。む、と口を曲げてしまってから、努めて平坦に答えた。

「礼服から着替えてからだな」

 すると、三人揃って諸手を挙げた。廊下の外側を走り出す。付いてくるつもりだ。


 一番北、白書院と呼ばれる建屋が万丸の住まいだ。辿り着くと、お目付役がすっ飛んできた。何の話があったのかという問いに手短に答え、直垂を脱ぎ捨て、身軽な小袖と袴、その上に羽織だけを着た姿に変わる。

 すぐさま三人に庭へ引きずり出され、走り回らされること一刻。日は南の空を回り切った。

 御付に連れられて彼らが本丸御殿へ戻っていったのを見送って、畳の上に倒れ込んだ。足が重い。眉を寄せ、深く息を吸ったところで、濡れ縁で大きな足音が響くのが聞こえた。今度はなんだ、と体を起こす。

「邪魔するぞ」

 きちんと座り直した頃に、部屋の前で仁王立ちになったのは体も声も大きな男。

竜丸たつまる

 二の丸御殿の別の建屋に住まう従弟だ。この先の一族を盛り立てていく同志であるべき若人だが、彼は剣呑なまなざしで見下ろしてきた。

「宝物の話は分かっているな」

「……俺も先ほど広間にいた」

 だから聞いていると応える前に、竜丸は捲し立ててきた。

「知っている。なんなら、俺より後に広間を出たんだろうなとまで分かっている。ずいぶん経ってから俺の棟の廊下を過ぎていったからな。だらだらと何をしていたんだ」

 竜丸の住まいは黒書院、二の丸御殿で北から二番目の建屋。万丸が住まいに戻ろうとするなら、彼の住まいの前を通らざるを得ない。だから、いつ通ったのかを知っているのは当然だ、と頷く。ついでに云えば、先ほど関白の実子たちと遊んでいた庭は黒書院の前。

「ならば、俺が国松と石松と鶴松と遊んでいたのも知っているな」

「当然だ。だか、あいつらは俺に寄って来ない。おまえとが違うからな、俺のことは恐ろしいのだろう」

 竜丸は鼻を鳴らす。万丸はひらりと扇子を広げて、自分の顔を覆った。

「おっかない顔をしているから避けられるんじゃないか? 笑ってやれ、あいつらもおまえに興味がある」

「俺は興味ない。だからさっさと宝物の話をさせろ。のんびりと子守をしている暇はないんだ。叔父上が宝物を差し出せと命令されたんだぞ。覚えているんだろう!?」

 ああ、と頷いて、扇子を上げる。目を見開いて、竜丸は唾を飛ばす。

「叔父上の機嫌を取るまたとない機会なんだ、俺は出すぞ! おまえは何もしないのか?」

 甲高い声に、ずきり、胸が軋む。だが、一つ深呼吸をしてから、笑みを浮かべてみせた。

「何も考えていなかったな」

「おまえだって、腕を見せる機会なんだぞ」

「そうかもしれないな。関白殿下の跡目に誰が相応しいか、諸侯はお考えになるかもしれない」

 万丸は部屋の奥から動かずに、ひらり、扇子を振った。竜丸は顔を真っ赤にした。

「見てろよ!」

 来た時同様どすどすと床を鳴らして去って行く。云わずに成してみせれば良いものを、と頭の中だけで呟く。

 長く密やかに溜め息を吐き出した後。屋根の端から溶けた雪が落ちる音に交じって、庭の砂利を踏む音も聞こえた。

 今度は誰だ、とまた視線だけ外に出す。ちょうど、庭を突っ切ってきた下男が勢いよく膝をついたところだった。

「閣下が白書院様をお呼びです」

 呼び出しだ。他ならぬ関白の。

 ゆっくり休ませてはもらえないらしい。


 聚楽第を囲む水堀とは別に、本丸だけを囲む内堀がある。戦乱への備えだ。これのお蔭で何も無い時でも二の丸から本丸へ移るのは一苦労。

「……今日だけでどれだけ歩かせるつもりだ」

 万丸はヘトヘトになっていた。

 その耳に子供の声が響いてくる。国松石松鶴松の三人だ。

 母親は全員別なのに、仲が良い。母親たちの諍いにうんざりした関白が、普段は別々の御殿に住まわせているのが顔を合わせているのだから、よほど楽しいのだろう。

 まさか、今日ここには側室たちが集まっているのだろうか。ぞわり、肌が泡立つ。

 それを誤魔化すように大きく息を吸って、御殿の中を進む。

 本丸御殿の一番南、庭園を見渡せる部屋に関白はいた。彼もまだ、小袖袴に胴丸という姿だ。

「入れ入れ」

 手にした扇子で、正面を示される。既に座布団が敷かれていては、そこに座るしかない。

「先ほどは如何だった?」

 腰を落ち着かせるなり、関白は言った。

「諸侯の様子よ。儂の話をどう受け取っていたか」

「そうですね」

 わずかに視線を下げて、努めて平坦な声を出す。

「前向きに考えている方が多いと見受けましたが」

「そうか?」

「竜丸も何か献上したい、と申しております」

「ほほう?」

 関白の目が細められる。愉快そうな光を宿した目を見つめてなお、万丸は声を低めた。

「新しく何か用意するつもりでしょう」

 左手で顎を擦って、関白はさらに笑った。

「では、声かけを待つとしようかな」

 明るい笑い声が響く。万丸は下を向いた。

 座った正面に、大ぶりの茶碗が置かれる。なみなみと注がれた緑茶、湯気とともに香りが上がってくる。両手で碗を包んで持ち上げた。

「良いものだろう」

「はい。碗も、茶葉も」

「良いものが集まる。戦がないお蔭じゃ」

 そういう皺だらけの関白の顔を見る。

 見つめ返されて、眉を寄せる。

「戦乱を収めるのに使う手段に何があると思う?」

 唐突な問いだ。だが表情は揺らさずに済んだ。

 一口お茶を飲み込んで。

「殿下がよくお使いになるのは人質をとることですね」

 と応じる。

 わはは、と笑われた。

「また一人人質が来るのだよ」

 ヒクッと頬が引き攣ってしまった。

「……どちらから」

「洛外からだ。辻井つじい圭庵けいあんの名は知っているか?」

 今度は肩が揺れる。知らないはずがない。

 瑞穂國の全土を揺らした戦乱、二十年前などは洛中洛外も非常に血生臭い状況だった。その際に、まだ関白に除される前の彼の元で働いた剣豪だ。今は都の南で暮らしていると云う噂。

「その彼が、何か?」

「あれが儂に逆らおうとしていると危ぶむ声もある」

「そんな莫迦な」

 両手で碗を持ったまま、万丸は関白を見た。

「莫迦を言わせぬために、あれからも人質を取ったのだよ」

 にこにこと関白は続ける。

「あれは何人か養子を迎えているらしくてな。その中で年長の娘を寄越すということで話が付いた」

 また側室をお迎えになるおつもりで、という言葉をすんでのところで呑み込んだ。関白の女好きを思えば、突飛な発想ではないはずでも、言ってはならないことだと耐えたのに。

 関白の顔も陰った。

「それを聞いた女どもがうるさくてなぁ」

 ああ、と天を仰ぐ。うるさかったのは側室たちだろう。もしかして、今日、国松石松鶴松が揃っているのは、彼らの母親たちが珍しく結束したからかもしれない。新たに側室を迎えるな、と牽制するために。

「だが人質を取るのを変えるつもりはない」

「では、人質を娘から息子に変えては?」

「折角来ると言うのに追い返しては娘が可哀相だろう?」

 顔から陰を消した関白の声がまた高くなる。真っ直ぐに見られ、思わず体を引いた。

「ときに万丸、おまえはまだ独り身だな? 二十歳にもなって女っ気の一つもないとは嘆かわしい」

「……それが、何か?」

 分かってしまった。予測はついた。だが勘弁してほしい。

「辻井圭庵の娘だ。しっかり者だろうな。ああ、まだ夫婦になれとはいっておらんぞ。いずれなるとしても、とりあえず二の丸に、おまえのところに迎え入れてやれ。まもなく到着だ、東大手門に来るぞ。急げ」

 予測どおりだが、急な話だ。また歩くのか、という叫びは呑み込む。

「よろしく頼むぞ」

 止めの声に頭を下げる。

 今日は聚楽第の中をぐるぐる巡らされる一日だな、と考えてしまった。体中が軋んだ気がした。

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