そろそろ寿命なのに、世界がじじいを離さない

転移

お酒は友だち

「うん。今日も綺麗だ」


 愛用の刀を磨きに磨き、岡村鉄次郎の一日は終わる。傍らには日本酒。十五年前までは節制していたが、妻に先立たれてからはアル中並みに酒を浴びる毎日。肝臓はすでに十年前から悲鳴を上げ続け、そろそろお迎えかと自身でも理解していた。

 それでも酒は止められない。医者に「死ぬよ」と言われたけれども止められない。満足行くまで生きた。後は、息子や孫に迷惑がかからないうちにぽっくり逝きたい。


「肝臓の病気になる前に寿命が来るといいなあ」


 日本酒を呷りながら思う。死ぬのは仕方がない。寿命があるのが人間だ。だが、若者たちの未来を自分の未来に使ってほしくない。

 もう十分生きた。いつだって満足だ。ただ一つ、出来るならば、死後は妻の元へ行かれたら。


「さて、寝るか」


 一人暮らしの夜は暇で、ここ数年二十二時には就寝するようになった。明日は近所に住む息子が孫を連れて遊びに来てくれるらしい。


「明日は五時に起きて掃除しよう」


 孫は小学六年生になる。もうじき思春期が始まって「おじいちゃん家臭いから行きたくない」なんて言われたら死ぬまで落ち込む。そのために、孫が来る日は家中掃除をし除菌スプレーを撒いて、清潔な家をアピールするのだ。

 刀を月に向け、光らせる。今日も美人だと思う。妻の次に。ちなみに刀の名は「鉄佳てつよし」である。


「おやすみ、鉄佳」


 その瞬間、鉄佳が眩く光り出し、鉄次郎ごと包んだ。


「なんだ……ッ!?」













 眩しさのあまり目を瞑っていた鉄次郎は、次に目を開けた瞬間驚きでぎっくり腰になるかと思った。

 家にいたはずなのに、目の前に映る景色は大草原。しかも昼。ついにお迎えか。もしくは認知的な何かか。


「スマートフォン……は無いか」


 とりあえず状況把握のため息子に連絡しようとしたが、テーブルに置きっぱなしだったことを思い出す。手にあるのは鉄佳だけだ。


「おお鉄佳、お前が一緒なら心強い」


 鉄佳に頬ずりする。


「それにしても、天国にしては随分と感覚がある。草の匂いもするし、土の湿った感じも分かる。まるで生きているみたいだ」


やはり死んだと確定するにはまだ早いらしい。鉄次郎は腰に鉄佳を差し、ゆっくり立ち上がった。


「うむ。見渡す限り草原。人はいなさそう……いたな」


 遠くから獣の雄たけびのような悲鳴が聞こえ、それが段々とこちらに近づいてくる。


「ぅわあああああああああああ!!!」


 叫ぶ女が鉄次郎に気が付き、進路を鉄次郎に変え突進してきた。


「助けてくださああああああい!!」

「なんだ赤子か。野生動物にでも追われているのかな?」

「十六歳ですけど!?」

「赤子じゃないか」


 齢七十を迎えた鉄次郎にとって十代なんて赤子と同じ。ちなみに、二十代は幼児、三十代は子どもである。


「もう赤子でもなんでもいいから助けて! ゴブリンに追われてるの!!」

「ごぶりんとは? 猪あたりの別名か? はてさて、じじいは新しい名前には疎くて」

「ほんとだよく見たらおじいちゃん! おじいちゃんじゃ勝てないよぉ!」


 少女がわんわん泣き始める。鉄次郎はよしよしと頭を撫でた。


「大きな声の出る元気な赤子だなぁ。さて、じじいが元凶を振り払ってやろう。猪くらいなら一投げだ」


 そう言って鉄次郎が腕まくりをした。隠れていた袖から、少女の足より太そうなガチムチの腕が晒された。


「はわああああ筋肉おじいちゃん!」

「自慢する程ではないが自衛隊上がりだ」

「じえいたいよく分かんないけどすごい! おじいちゃん頑張れ!」


 その時、草むらからゴブリンが現れた。鉄次郎の腰程の背丈だが、手にはこん棒、凶悪な顔面をしている。鉄次郎は首を傾げた。


「ふむ。猪ではなかったか。もしかして、新種の野生生物か……?」


 はたして倒していいものか、鉄次郎が悩む。少女が鉄次郎の服を引っ張った。


「なんでもいいから早く倒して! ゴブリンは一匹見つけたら三十匹いると思えって言われてるの! 一匹でも厄介なのに、三十匹も来たら二人とも頭からバリバリ食べられちゃう!」

「なるほど」


 少女が嘘を言っているとは思えない。現にゴブリンは涎を垂らしながらこん棒を振り回している。鉄次郎はゴブリンを相手に構えた。


「腰に差してる剣は使わないの?」

「このくらい、素手で十分」

「ほんとかなぁ!?」

「大人しくそこで見ていなさい」

「ガァァッ!」

「ふぎゃっぁぁあ!」


 瞬間、ゴブリンが二人に向かって飛んだ。少女が恐怖で目を瞑る。ゴブリンが鉄次郎にこん棒を振り下ろそうとするが、それは叶わなかった。

 鉄次郎はこん棒を右手だけで受け止め、腕を大きく振った。振動でゴブリンが飛ばされる。鈍い呻き声を上げるそれに、鉄次郎がこん棒をゴブリンの足に振り下ろした。


「ギャ!」

「うそ……!」


 目を開けた少女が、目の前の光景に瞠目する。


「し、死んだ?」

「大丈夫。手加減したから死にはしない。片足を骨折させたから、私たちを追ってくることもない」

「す……すごすぎるんですが!?」


 少女は無駄の無い処置に感心した。鉄次郎が少女に手を向ける。


「一人で歩けるか? 歩けないなら抱っこするが」

「歩けます! 赤ちゃんじゃないんで!」


 ぷんすかしながら歩き出す少女が振り返り、鉄次郎にお辞儀した。


「とりあえず、有難う御座いました。普段は一人で出歩かないようにしてるんだけど、道に迷っちゃって……本当に助かりました」

「うむ。お礼を言えるとはしっかりした子だ。こちらこそ一人の命を救うことが出来て嬉しいよ」

「おじいちゃんなのに強いんですね。筋肉もすごいし……ってぇえええ!」


 少女が上機嫌で話し出したと思ったら悲鳴を上げた。鉄次郎が後ろを向く。そこには鉄次郎を大きく上回る上背のゴブリンキングが立っていた。

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