第41話 シャルルの事情 ⑱

「――時間だ」


僕は立ち上がって管理棟にある講堂に向かって歩き始めた。

中等部二年女子のダンスの試験が講堂で行われるのである。


僕が講堂の入口に立った時、その場で並んでいた女子生徒の一部がザワッとしたのが分かった。


見知らぬ男子生徒が入って来たからだろうか。

僕を指さしながら何か言っている女生徒もいた様だが、僕は真っ直ぐ前を向いて歩いた。


ハイネ先生が驚いた顔をして僕を見ていた。

「シャ…シャルル君?どうしたんだい?男子生徒はパートナーの子以外は帰る筈だが…」

「すみません…分かっています、ハイネ先生。少しだけお時間を頂いてもいいですか?」


僕は沢山の女性徒の中から直ぐに姉さまを見つけた。

短くなった髪の姉さまは嫌が応にも目立つのだ。


髪を急に自分で切って落としてしまったから、試験用のドレスは間に合わなかったのだろう。

長いストロベリーブロンドの髪に合わせた丈の短い可愛らしいピンクのレースのドレスと、今の姉さまの少年の様な髪型は驚く程釣り合っていなかった。


(いや…むしろ妖精の様に愛らしくはあるか?)

僕は姉さまの姿を見ながらハイネ先生へ告げた。


「僕はただアリシア=ヘイストン…姉に大切な伝言を持って来ただけです」


姉さまの視線は僕を真っ直ぐに見ている。

やや青ざめその唇が小さく震えている。


『ああ…なんて可哀想に』

を、今――彼女は理解したのだ。


自分の中から湧き上がってくる喜びと興奮に、僕は自分の声が震えない様に抑えつつも――僕は姉さまに向かってにっこりと微笑んで見せた。


「…イーサンから伝言だよ。残念だけど今日のダンスの試験には来れないってさ」

 

 ++++++


「来れない…」

姉さまは僕の言葉を鸚鵡の様に繰り返して呟いた。


姉さまは表情こそ変えなかったが、瞳だけがせわしなく揺れていた。

彼女が諦めずに頭の中で『どうしたらこの場面を乗り切れるのか』を必死で考えているのが分かる。


(…流石姉さまはタフだ。まあ、簡単に折れては僕が面白くない)


僕は確実になった勝利に酔いつつ姉さまを見下ろした。

『さあ、ここからが僕の勝利のクライマックスだ』


周りの女生徒から小さく「きゃあ」と声が上がったのが聞こえた。


僕は姉さまの身体に自分の身体をピタリと寄せた。

そしてその姉さまの小さな耳に…唇が触れる程近くで囁いた。


「どうするの…?姉さま。このままだとフィリップス家に負けるね。それでいいの?」

自分がいつもよりも猫なで声を出しているのが分かる。


姉さまが僕の言葉に小さくビクっと身体を震わせて、薄く微笑んだままの僕を見上げた。


『自分がダニエラ=フィリップスに負けるかもしれない』

迷いと恐怖――まさに袋小路に追い詰められた者の顔だ。


その表情――少し呆然とした様な、姉さまの透明感のあるグレーの見下ろしながら――僕は背筋を駆け上がるゾクゾクと共に、自分の下半身に血液がどんどん集まって来る感覚が分かった。


(…いけない)

このままだとここで勃起してしまうかもしれない。


身体をくっつけている姉さまにバレてしまうかもしれない。

でも…止める事はできない。


僕は姉さまの短くなった髪を少し撫でながら、彼女を弄ぶ様に続けた。

「ねぇ…どうするのさ?姉さま。このままだと終わっちゃうよ?悔しくないの?」


姉さまは唇を小さく噛みながら、瞬きをせずに僕を暫く見つめていた。

しかし態勢を立て直したのか僕の身体をグイッと手で押して、睨む様に僕を見上げた。


「シャルル…あんた、わね。イーサンは今どこにいるの?」


「ふふ、やってくれたって何の事さ。僕は彼が今何処にいるかなんて知らないよ。(高等科の生徒会室か?)ねえ…姉さまこのままダンスの試験を諦める?…それとも…」


姉さまの目線は僕の口元をじいっと追いかけていた。

知らず知らずのうちに…僕は舌で自分の唇を舐めていた様だった。


僕は姉さまの反応を最高に楽しみながら自分の手を姉さまの前に伸ばした。

(ああ、姉さま。さあ――僕の『勝ち』だと云ってくれ)


「それとも――屈辱でもかい?…事になるけれど」


僕に負けたと――時だ。


 ++++++


――その時だった。


「あ――ははははっ!ああ、何ていい気味なの!?ああ…あははっ、可笑しいたら無いわね!アリシア!あんたの負けよ!!」


僕の勝利の昂ぶりを掻き消す勢いで、いきなり後ろの方から女子生徒の甲高い笑い声がした。


聞き覚えのある声だと振り向くと、そこにはいつの間にか件のエリー嬢が立っている。

彼女は赤い試験用のドレスを着て茶色の髪を優雅に巻き上げ、パートナーである地味な男子学生と佇んでいた。


エリー嬢は顔を真っ赤にして歪めながら僕と姉さまを見て――可笑しくて仕方が無いと言わんばかりの大笑いをしていた。


隣に立つ男子学生は青ざめドン引きで、ただエリー嬢を見つめている。


「ああ――本っ当にざまぁったらないわね!アリシア=ヘイストン!

パートナーが居ないんじゃダンスの試験は踊れない――わたくしの不戦勝だわ!あんなにわたくしに勝つと宣言しておいて踊る前にもう負けるとは、なんて惨めな女なの!?

わたくしの勝ち!わたくしの勝ちだわ――!!」


エリー嬢が放つ自分の勝利を確信した声と言葉に、僕に告白した時の『まさかわたくしを断る訳が無いわよね』と全く同じ傲慢さが、にじみ出るどころでは無く――不快な程だだ漏れている。


高笑いを続けるエリー嬢の姿に僕は驚く程の既視感を覚えた。


僕は思わず眉を顰めた。

(…醜い)


絶対的な勝利に酔い知れるその姿。

耐え難い程不快な姿だが…よく似ている。


彼女は――姿でもあった。


 ++++++


講堂の中を一種異様な雰囲気が流れていた。


聴こえるのはダニエラ=フィリプスの甲高い笑い声だけで、あとの生徒は呆然とした様にシーンと静まり返っていたのだ。


ハイネ先生がやっとハッと気づいた様に声を掛けた。

「ええと…これはイーサン君の代わりにシャルル君が来たという事でいいのかな?」


(は?…何故それを僕の方に訊くのか)


「いえ…それはどうでしょう。僕は一応イーサン君の伝言を告げに来た、というだけです。姉には頼まれていませんし…」


肩をすくめた僕がハイネ先生に告げた、その瞬間――誰かが僕の手をぐいっと引っ張った。

引っ張られた方を思わず見ると、僕の真横にはいつの間にか姉さまが立っていた。


姉さまは僕の手をぎゅっと握っている。


「姉さま…」

「はい、そうです。わたしはシャルルとダンスのテストに臨みます」


姉さまは僕の手をしっかりと握ったまま真っ直ぐ前を向き、ハッキリとした声でハイネ先生へと告げた。


その言葉が聞こえた途端、僕の後ろに居たエリー嬢の高笑いの声が止んだ。

 

 ++++++


「そんな…いいんですか!?先生――そんな急にパートナーの変更が許されるのですか?反則ではありませんか!?」

金切り声で抗議をするエリ―嬢へとハイネ先生は丁寧に説明をした。


「まず…これは飽くまでダンスの試験だ。ダンスの大会では無いよ、ダニエラ=フィリプス。パートナーの変更は試験開始直前まで許可される。パートナーの相手だが、男性アシスタント若しくは男子学生(中等部内)と決まっている。勿論ダンスに相応しい恰好している事が条件だが…」

と此処でハイネ先生は上から下までの僕の服装をチェックしてから頷いて、エリー嬢へと告げた。


「シャルル君は特に問題になるところは何処にもない。

因って希望どおりアリシア=ヘイストンのパートナーの変更を許可します」

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