第27話 シャルルの事情 ④

中等部での学園生活も円滑に進んでいたある日、僕のクラスにヒョイと姉さまがやって来た。

「シャルルー!」

「ね…姉さま?」


教室の外の廊下から手を振る姉さまの姿に、僕は一瞬視覚認知が出来ず、とっさに反応出来なかった。


「ねえ、シャルルったら…おーい、こっちよ!」

『夢かな』とただ姉さまをぼうっと見つめる僕に、姉さまはブンブンと大きく手を振って合図を送っていた。


(…なぜここに姉さまがいるんだ?)

ここはで中等部二年生男子のクラスの筈だ。


(あまりにお転婆が過ぎて女子生徒のクラスから追い出されてしまったのだろうか?)

破天荒な事を未だにする姉さまだからその可能性も捨てきれず、それを彼女に質問をするのも怖い。


「ねえシャルルってば!聞こえてる?教科書を貸して欲しいの!」

「シャ、シャルル君?…君のお姉さんずっと呼んでいるよ?」

クラスメイトに声を掛けられて、僕は慌てて姉さまの所で小走りで近づいた。


「どうしたのさ。いきなり来て…」

「ごめんね、すごく切羽詰まっていて。シャルルに教科書を借りたくて、休み時間に超特急でここまで来たの」


「え?…教科書?」

僕は姉さまを見下ろして聞いた。

ここ数ヶ月で僕は姉さまを完全に身長で追い抜いてしまったのだ。


姉さまは言いにくそうに指をもじもじさせて僕に言った。

その時、彼女の指に絆創膏が幾つも付いているのに僕は気が付いた。


「姉さま…その指…」

「ええと、今日ハイネ先生のクラスがあるんだけど、テキストを忘れてしまって。実は今日で教科書テキストを忘れるのが四回目になっちゃうから、流石にアウトにされちゃうの」


思い切った様に僕に説明する姉さまに

「――え…?もう既に三回忘れたのかい?」

(まだ前期も終わらないのにそんなに忘れていたのか)

とその回数に半ば呆然とする。


ハイネ先生は社交ダンスの講師だった。

『ダンスの本を忘れる』という事の意味が僕には分からない。

姉さまはいちいち家へとテキストを持って帰ってきているのだろうか。


「そうなの…ごめんね。だから貸してほしいの」

「僕は今日の授業が終わったからいいけれど。ちょっと待ってて」

「さっすが~!やっぱり持つべきものは優しくて出来た弟ね」

「分かった分かった。変なお世辞はいらないから次回から忘れないで」


「ありがと。助かったわ、シャルル」

姉さまは僕の差し出した教科書を胸に抱えるとにっこりと笑った。


「男の子のクラスに来たって先生にバレたら流石に怒られちゃう。急いで帰るね」

「…そうだね、早く戻りなよ。姉さま」

「うん。またね、シャルル。ばいばーい」


廊下を走って遠ざかる姉さまの姿を確認した後、僕は少しため息をついた。

自分の机に戻るとクラスメイトの連中が僕をわっと取り囲んだ。


「――シャルル君の双子のお姉さんてシャルル君にあまり似てないね」


『男女の双子は二卵性なんだから似てなくて当たり前だろうに』

と思いつつも

「…そうだね。女の子だから僕とあまり似てないかもね」

と曖昧に笑った僕に、二、三人のクラスメイトの言葉が聞こえてきた。


「でもすごく可愛かったよな…ほわっとして甘え上手そう」

「あー、それ分かる。何と云うか小動物系…ぽい?」

「それ系だよな…気さくな感じがお嬢様なのに凄く良かった。めっちゃ癒されそう」

「にこって笑顔が良いよな。そういう娘って付き合っても楽しそうだしな」


「いいなー、シャルル。あんな姉さんがいて」

何故か僕はそこでモヤっとした。


姉さまの事を良く知らない奴が彼女の事を褒めている。

(それは良いとしても)イヤ…やはり良くはない。


狭量で非常に申し訳ないが――僕にはその台詞の中の幾つかが我慢できなかった。

『めっちゃ癒されそう』

『付き合ったら楽しそうだしな』

『…小動物系?』

『ほわっとして甘え上手そう』


普段だったら…若しくは他の女子の事だったら全く気にならないのに、なぜかこの手の話題をに当てはめる事が僕の気に障って仕方がなかったのである。


(何故こいつらがをしてるんだ)


ほわっと癒されるどころか、姉さまは病気の僕にガマガエルを持ってくる女なんだぞ。

ドレスを汚しまくりメイド長の逆鱗に触れる位のお転婆で、気さくで甘え上手どころか図々しい位面の皮の厚い事を平気でするんだ。

おまけにいつも怪しげな本ばかりを読んで、一人夜中に笑う様な(隣の部屋だから良く聞こえる)得体の知れない女なんだぞ。


(――そんな気安く姉さまの話をするな)


(姉さまはこいつ等には勿体無いくらいの女の子なんだ)

姉さまは、僕の姉さまは――。


「…シャルル君、シャルル君どうしたの?」

「――え?何だい?」

「君…今すごく怖い顔してるけれど」

「こ…怖い顔?僕が?」


はっと気が付くと姉さまの話題を出していたクラスメイトも含めて僕の顔を見てびっくりしていた。

「あ、アハハ…ごめん。褒めてくれてありがとう。うん…姉さまにはそう伝えておくよ」


僕は取り繕う様に笑ってその場を誤魔化した。


けれど僕の背後の席からは

『シャルルって…もしかして実はお姉さんと仲が悪いのかな』

というひそひそ声が聞こえていた。


 *******


(――そんな訳が無い)

僕と姉さまの姉弟関係は跡継ぎレースをしているとは言え概ね良好だ。

僕に至っては本気も出していない。


僕が部屋で今日の授業の復習と明日の予習をしていると、部屋のノックが静かになった。

「……シャルル、いる?」


扉の隙間から姉さまがそっと顔を出した。

僕は椅子から立ち上がった。

姉さまが本を持って部屋に入ってきたのだ。


「…どうしたの?今日はちゃんとノックしてから開けるじゃない」

「あはは、流石にね…借りていた本を返しに来たの。ありがとう助かったわ」

と云うと姉さまは、今日僕から借りて行ったハイネ先生のテキストブックを僕に渡した。


僕は姉さまの指の絆創膏が昼間よりも増えているのに気が付いた。

「ねえ、姉さま…その指どうしたのさ?」


「あはは、バレてたか…えと、あとこれ…こないだのお詫びも兼ねて」

と姉さまが言って僕に差し出したのは、ピンク色のリボンのついた絹のハンカチだった。


「…シャルルの名前を刺繍をしてあるから使ってくれる?」


絆創膏の正体はそれか、と僕は思った。

(こういうところ…女の子なんだよな)

と僕は内心苦々しく思う。


お転婆でもちょっとガサツなところがあってもアリシア=ヘイストンは間違いなく可愛らしい女の子なのだ。

残念ながら本人は全く自覚していない様だが。


僕はお礼を言って受け取るとなんだか少し元気のない姉さまに言った。

「…は気にしないでよ。僕ももう気にしていないから」

「う、うん…分かった。シャルルがそう言うならわたしも気にしない。じゃあお休みさい」

余程気を遣っているのか、姉さまは部屋を出る時の扉も静かに閉めていった。


僕は小さくため息をついた。

「気にしてるじゃないか…」


『こないだの事』というのは――大きな声で言うのも憚られるが、先日勉強の気分転換に僕が一人で××××していた最中、姉さまがノックも無くいきなりバーンと扉を開けて僕の部屋に入って来たという事件だ。


姉さまは僕と僕の手元を交互に見た途端悲鳴を上げ、走って僕の部屋を出て行った。


僕としては『悲鳴を上げたいのはこちらの方』だったが、姉さまに速攻先制攻撃されたのでどうにも出来なかった、というのが正直な所である。

(姉さまは余程ショックだったのかその日の夕食に顔を出さなかった)


僕はピンク色のリボンを解いて姉さまがくれたシルクのハンカチを広げた。


『with love to ―― Charles』――『シャルルへ 愛をこめて』


姉さまも時間にゆとりがある訳ではのに。

(頑張ってハンカチこれに刺繍してくれたに違いない)


僕はそれにそっとキスをすると『汚さないように』と引き出しを開け、そこに置いてあるにピンクのリボンと共に丁寧に仕舞った。

実は昔から姉さまから貰ったハンカチや手紙は全てへと大切に保管しているのだ。


――僕はこの時点で、大分シスコンをこじらせている事にまだ気付いていなかった。

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