第13話 謎の声とデイジーの忠義

ジョシュア様に確認を取るのを前提として、ようやくオリバーには部屋を退出して貰って、わたしはようやく一息ついたのだった。


「ねぇ、デイジー。…わたしお腹が空いちゃった」


と言うとデイジーは、慌てて果樹園で食べるはずだった、というサンドウィッチをバスケットから出して用意してくれた。


野菜と卵のサンドウィッチだったが、瑞々しい野菜と濃厚な自家製マヨネーズがとても美味しかった。


取り敢えず足の痛みが落ち着くまで屋敷内の散策も含め、動き回る事が出来ない。


(困ったわ…。何もする事が無いもの)


因みに貴族の女性の嗜みとして、一応刺繍は出来るが得意ではない。


眼がチカチカして、手がプルプルして疲れてしまうので、刺繍作品はいつも挫折するのだ。


帳簿を見ても疲れないのに、それだけはいつも不思議だなぁと思っている。


するとその時、少し開いた窓の隙間からコレットの鳴き声と、紹介された従業員の中では聞いた覚えのない男性の話し声が、結構ハッキリと聞こえる。


(あら?…まだ知らない家来従業員が居たのかしら?)

と不思議に思い、わたしは立ち上がった。


デイジーに手を借りて移動しようとしたが、彼女は丁度先ほどの軽食のバスケットを下げ、お茶の準備をする為に部屋から出て行ったらしい。


わたしは長椅子の背もたれに手を付いて、片足飛びで窓際まで移動しようとした。その振動で、右足首に痛みが走る。


「…痛ぁっ…」


鈍い痛みに行くも帰るもできなくなり、半泣きの片足立ちで立ちつくしていると、ちょうど部屋に戻ってきたデイジーがわたしを見て叫んだ。


「お…奥様っ…危ないです!

それに…片足で移動しようとするなんて無茶ですよ!」


デイジーの声が部屋に響くと同時に、ぱたりと男性の話し声も消えてしまった。

(あ…今、確認しようと思っていたのに…)


不思議に思いながらも、デイジーに掴まってひょこひょこと長椅子の方へ戻る。


「ねぇ、デイジー…。さっき外で男の人の声がしたんだけれど、誰かいた?」


デイジーはわたしがきちんと長椅子に座ったのを確認していてから、窓の外を確認してわたしに教えてくれた。


「…いえ?、誰もいませんけれど…?」

「えっ…でも今…、確かにコレットの鳴き声がしたのよ?」

さっきあんなにブヒブヒと威嚇されたのだから忘れようもない。


「…いえ。…でもコレットも居ませんけれど…」


デイジーの言葉を信じるなら、いまこの数秒で庭にいた誰かが消えてしまったか、わたしの聞き間違えなのかだが――。


(いないなら確認のしようがないわ…)


ため息をつき、わたしは追及するのを諦めた。


++++++++++++++++++++


夕食は「お部屋でどうぞ」

とコック長が言ってくれたので、寝室にテーブルを設置し、運んでもらった。


部屋で食べるから簡単なものでいいと伝えたので、ローストビーフのサンドウィッチとトマトスープだった。


ローストビーフサンドはホースラディッシュが効いていて、これまた美味しい。


スープも出汁が丁寧に取られ、ベーコン、トマトや玉ねぎ、ジャガイモやセロリが入っていて具沢山で食べ応え十分だった。


食後にデイジーがハーブティーを淹れてくれた。


わたしが夕食後のお茶にくつろいでいると、デイジーが言いにくそうに

「あの…先ほど旦那様が帰って来られまして。…今夜はこちらに来られない、と仰っておりました」


「…分かったわ。仕方ないわね…」

そう言われたら、そう返すしかないではないか――わたしは頷いた。


そのわたしの様子を見ていたデイジーは、


「あの奥様…旦那様は奥様の事を決してお嫌いでは無いと思います」


――これは伝えなければ…と言わんばかりの表情で訴えた。


++++++++++++++++++


「ですから…あまりこの事ひとつを気に病まないでくださいね」


デイジーは、わたしが旦那様に嫌われたと思って落ち込んでいるのではないかと心配をしてくれていたらしい。


(裏表の無い、忠臣ってやつね。…ありがたいわ。ヘイストン家ではなかなか味わったことの無い感覚だわ)


「ありがとう。…デイジー優しいわね。

でも、違うのよ…ほら、わたし達お互いの事をほとんど知らずに結婚って形になってしまったじゃない?」


「はあ……」


「だから、これからできるだけ交流を深めてジョシュア様のことを知りたいな、と思っていたから残念というか…。

でもまあ、お仕事が忙しいなら…仕方がないわよね」


わたしの言葉に、デイジーの表情が段々と曇ってきたので

「ホントに大丈夫よ。…大丈夫だから」


今度は哀し気な表情の彼女を宥めるのに、一生懸命になってしまった。


その日の夜は、右足首の痛みとへの気遣いでいつもより疲れていたのだろう。

眠気がいつもより早く訪れてきた。


わたしは早めに床に就く事にしたのだった。


+++++++++++++++++++


――夜半だろうか、部屋に誰かが入ってきたのが分かったのだけれど、どうしても眠くて目が開かない。


(ああもう…眠すぎる。…目が開かないのよ…)


もともと一回眠ると目が覚めない性質たちだ。


眠すぎて身体が動かせない事もしばしばである。


部屋でガタガタ何かしている物音がしたが、その音だけではよく分からなかった。


そうこうしているうちに、今度は眠っているわたしに誰かが屈む気配がした。


(――えっ?)


一瞬ざわっと血の気が引いたが、屈んだ人物はわたしの額に唇を軽く落とすと、また静かに足音をほとんど立てずに部屋を出ていった。


そして、昏い部屋に何故か花の香りだけが広がっていたのだった。

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