第3話 帰るために

 図書館の守衛は甚だ慇懃無礼な人間だった。沙世が最初に提示されたお金を払って入館しようとすると「身分証などはお持ちですか?」 と言ってきた。……すぐ前のお客にはお金だけだったのに。

 まあ実際戸籍もない人間だから仕方ないと割り切って沙世は用意しておいた住民票を見せる。守衛はまあ合格か、みたいな顔で道を開けた。これって入ってもいいってことなんだろうかと沙世が迷っていると、守衛は面倒くさそうにゴホンと咳払いした。早く入れよ、の意だ。慌てて沙世は入館する。日本の世界トップクラスと言われる接客が無性に恋しかった。


 入って圧倒された。視界いっぱいの本の山。今流行りだという本から1000年前の著という本まで揃っている。お金取るだけはあるなと感心した。

 日本に居た頃はそこそこ読書家だった。異世界の本を読みつくしたい気持ちはあるが、今はとにかく次元移動に関する本が優先だ。魔法に関する書物、四大属性、生活関連、植物関連、バフやデバフ、精霊……。色んな種類があるのに、次元移動に関する本は僅か数冊だった。


 日本とは全く違う文字だが、翻訳魔法を行使して読み進める。

 するとどの本もまず「次元移動といったら異世界人ですよねー」 と言わんばかりに異世界から来る人間のことが書かれていた。

 いわく、時空を移動する魔法は高度なもので、異世界人は皆この世界が誕生した時に生まれたという次元を移動する怪物に引きずられて落ちてくるのだという。明確な次元移動の方法はそれのみだとのこと。

 沙世は心臓に氷があてられたみたいに感じた。それのみ? それのみって、じゃあ帰る方法は……。

 ひたすら読み進める。すると異世界からの落ち人をまとめた項目があった。

 簡単な来歴、その後どうなったかまで。これは有り難い。

 しかし沙世の期待を裏切る話ばかりだった。


 沙世のような魔力チートを持った異世界人は珍しく、大概の異世界人は怪しまれて殺されてしまったり、保護されても未知の病気を広める原因になって最後には処刑されていたり、金持ちの奴隷になったり、単純に異世界人怖いからと処刑されていたり……。

 異世界人でひとくくりにされてるけど、それって私の世界から来た人達なんだろうか。別の世界なんだろうか。著者がそういうのに興味ないのか出身世界までは書いていなかった。歯がゆい。

 そしてページをめくると、初めて元の世界に帰る手がかりのような記載が見つかった。

 その人物は沙世のような高魔力の持ち主だったようで、この世界のギルドを創設した人間だとなっていた。異世界人だと知られたのはその人間の晩年だという。


 今利用しているギルドは同じ異世界人が作ったのか、訳有りにも優しいのってそういう……。沙世はちょっと感動した。

 身体が弱くなってから「やはり元の世界に帰りたい、あの景色をもう一度見たい」 と所構わず言うようになり、方法を探った。すると、偶然にも空間能力のスキルを持った人間が現れ、それを弱った異世界人が最後の力で強化。異世界人はその力を使いこの世界から消えたという話だ。元の世界に戻ったかどうかは確かめられないので「消えた」 表記なのだろう。


 一筋の光明が見えた。

 空間能力。

 そのスキルを持つ人間を探し出して協力してもらえば……!


 しかしそうしようとして悩む。

 そもそもこの世界の魔法は量も質も私に言わせれば低レベル。

 空間魔法なんてチート級の人間が都合よく見つかったの奇跡じゃない? もしかしてこの異世界人も限界突破スキル持ちだったんだろうか?

 というか探し出すってどうやって? 募集かけるの? 異世界人が募集してますって? 危険すぎる! この本に出てきた異世界人八割くらい処刑されてるのに!


 悩みに悩んで沙世が出した結論は「相手の弱みを握って契約を持ちかける。その際に一回だけ自分のために魔法を使うようにさせる。限界突破させてそのスキルを確認して違ったら適当にポイ」 すればいいのではないか、だった。


 時間はかかる、かかるけど、私の好きな漫画だって「遠回りが一番の近道だった」 ってあるもん。石橋は叩いて渡るものだ。



 家に帰った沙世はレジスのおかえりなさいを聞いてふと思った。

 自分は運が良いほうだ。もしかするとレジスが空間能力の持ち主だったりすることもあるのでは? と。

「レジスくん、いつもありがとう。お礼に、貴方に才能をあげようと思うの」

 戸惑うレジスの手をぎゅっと握りしめ、「限界突破」 と呟く。

 するとリオネルの時のようにレジスの眠っていた力が解放され、ステータスを確認すると「スキル:風」 となっていた。

 風……空間能力ではない。まあそんな都合よくいかないか。

 あげたあとで沙世はしまった、と思った。

 彼もリオネルの時のように独り立ちしたくなるんじゃないだろうか。

 ……そうなっても、見苦しく追いすがったりしないで快く旅立たせてあげたい。リオネルの二の舞は嫌だ。


「なぜか力が湧いてきます。これは一体……?」

「プレゼントよ。今までありがとう。これでレジスくんは一人でもやっていけると思う」

「え……?」

「女子供の下にいつまでもいるのって、ここでは屈辱なんでしょう? どうする? 今日から出て行く? それとも明日にする?」


 沙世としては精いっぱい物分かりの良い大人の女性としての虚勢を張ったつもりだが、なぜか目の前のレジスから表情が削ぎ落とされていった。


「僕に……出て行ってほしいんですか?」


 その返事は予想外だ。リオネルから手酷く拒否されたから能力を手に入れれば出て行くとばかり思っていたのに。だが本音を言えば……。


「まさか! レジスくんのサポートは本当に助かってるし、正直ずっと一緒にいてくれたらとすら思うけど……」

「ならどうしてそんなことを言うんですか?」

「……以前レジスくんの前に能力をあげた人が、その、こんな能力あったら普通は独り立ちしたいって言ってたから……」

「なんですかそれ、とんだ恩知らずですね。僕なんてお金を払ってでも沙世様のお傍にいたいと思っているのに」

「えっと、じゃあ、これからも一緒にいてくれるの?」

「もちろんです。沙世様がお望みであれば」


 それを聞いた沙世の目からぽろっと涙がこぼれた。


「沙世様!?」

「ご、ごめん。私っていかにも訳有りな人間だし、そう言ってくれる人がいるなんて思ってなかったから、嬉しくて」

 そう言って嗚咽をもらす沙世を、レジスは軽く抱きしめて優しく背を撫で続けた。

 利害関係の一致で一緒にいる二人から仲の良い友人な二人くらいにはなれたのかな、と沙世は人生最高の日といわんばかりに幸せだった。


 レジスはホッとしていた。

 バレた訳じゃなかったし、追い出される訳でもなかった。良かった……。

 いや良くない。誰だよ沙世様を捨てるようなことをした愚かな人間は。先程から感じる自分の中の強い力。これと同等の魔力を持ち、最近急に力をつけた人間っていったら銀髪の貴公子しか思い浮かばないけど……。

 腹は立つが、そうしてくれたから今の沙世と自分がいる。これ以上何もしてこないのならなら放置でいいな。



 沙世は落ち着いたあと、信頼できる仲間として、ただし異世界人ということは隠したままこれからしたいことを話した。

 困っている人に限界突破の力を使って、空間能力を持つ人間を見つけたいのだと。

 なぜ空間能力? 高度すぎて外れスキルとまで呼ばれているのにとレジスが言うと「聞かないで、どうしても私に必要なの」 と沙世が言う。

 何か事情がある。だが聡いレジスはそれを聞かずにただ了承した。


 その日から沙世とレジスのスラム行脚が始まった。

 その際レジスの提案で「あとのことを考えると正体が分からないようにしておいたほうがいい」 と言われて二人ともフードを被るようになった。

 適当に困っている子供を拾い、能力をやるからその力を一度だけ自分のためだけに使えと約束させる。

 ざっと50人は試した。だが空間能力の持ち主はいなかった。

 ちなみに外れスキルといえども「じゃあ別に使わないでもいいよ」 と言う訳にもいかず、水だったら美味しい水を飲むだけ、火だったら焼きマシュマロをするだけ、風だったら三分間扇風機になってもらうだけ、土だったらレジスが肥料を欲しがってたので肥料を貰うだけ、と有言実行している。そうでないと当たりの時に「何故自分だけ実行させる?」 となりかねない。とはいえこれくらいは沙世でも余裕で出来ることなので正直だるいことではあった。

 50人試して四大属性が九割であとは催眠系とか毒合成とか才能あげたことを後悔したくなるような素質のものだった。宝くじよりきついかも。けれど続けないと元の世界に帰ることも出来ない。

 沙世がそう思って溜息をついている頃、株が暴落した男がいた。


 50人。それだけの人数が突如天才的な魔法の才能を持って現れたのだ。

 最初は一人だけの才能としてもてはやされてきたリオネルだが、50人も続けて天才が現れれば埋もれる。才能のほかに容姿というアドバンテージもあったが、スラム出身の人間達が人並みになればそれも徐々に有利でなくなった。そうするとそれまで自分一人が天才みたいな振る舞いをしてきたリオネルから人が離れるのは早かった。

 馴染みの店の女は無茶なプレイをするリオネルに辟易していて、あからさまに対応が悪くなった。一度など「あいつが良いのは顔だけよ。あと金払い。でも最近は出し渋ってみみっちいったら。今は才能も金もあって低姿勢な男がわんさかいるのにあいつにこだわる意味なんかないでしょ」 と女が話しているのを聞いてしまった。


 街全体が空前の好景気に沸く中で、リオネルだけが侘しい毎日を送っていた。一体なぜこんなことに、そう思ったリオネルだが、彼は思い出した。リオネルは、こんな天才を「作る」 ことが出来る人間を知っている。

 それを思い出したと同時に、彼女は能力をくれたのに恩に着せるでもなく嫌がったらすぐ解放し、酷いことを言われたのに事実として悪評を広めるでもなく、何て誠実な人だったのだろうかと今更ながらに実感した。

 もう一度会いたい。いや、会うだけでは足りない。ほのかな思慕と、上げておいて落としやがってという逆恨みがリオネルを支配する。



 有名になりすぎた。沙世はそう感じていた。

 スラムに行くと待ち構えていたかのように子供達がわんさといるのだ。

『ここに魔法の才能をくれるフードの人間が来るらしい』 そう噂が広まってしまった。

 これまでいかにも可哀想な子ばかりを拾い上げて限界突破させてきたからだろうか、ここに来る前に棘のある植物で傷を作ってきたり、肌がかぶれる植物を塗りたくっていかにも可哀想な子供です感を演出して来る子供が非常に多い。そんなことしてもステータスウィンドウを見れば原因は何かはっきり分かるから意味はないのに。

 こうなると正体を分からなくしてからここに来ようと言ったレジスの慧眼に感謝するしかない。知られていたら家まで来られていたかも。

 その日はあまりに人数が多すぎてそっと帰ることにした。ああいう中で一人だけ拾おうものなら「どうしてあいつだけ!」 と喧嘩になるのだ。かといって全員まとめて限界突破はいくらなんでもこちらの体力というものがある。別のスラム街か、いっそ病院や孤児院でも行こうかと頭を抱えた。


 レジスは疲れた表情の沙世にお茶を入れながら、彼女に「孤児に才能をあげるのをやめませんか」 と言いたくなるのをこらえていた。

 沙世は使い捨てにしているつもりだろうが、孤児の中には沙世に恋した人間もいる。

 才能を得てギルドで活躍したある少年がスラムに戻ってきて、一人で適当な孤児を探すレジスに因縁をつけてきたことがあった。どうも沙世を探していたらしい。

『お前はあの方のなんなんだ? まさか恋人なのか?』

 だったらなんだというレジスに少年は分かりやすくうろたえた。

『あの声、どう聞いても女だろう。優しい声だった。あの声の持ち主のお陰で、俺は生まれ変われたんだ。もう一度会いたい。どうかお礼を……』


 油断している人間を殺すのは何でもないことだった。女神様の恩義に報いるのは自分だけでいい。自分だけだったから、女神は自分を信頼してくださったのだから。

 もちろんそういう義理堅い人間ばかりではなく、元々自分の中の力なのにどうして恩返しなんてしなければいけない? と沙世を徹底的に無視したり、孤児だった過去を隠したいあまり沙世の悪評をあることないことばらまいて社会的に消そうとしてきた人間もいたが。前者はともかく後者には相応の処置をさせてもらった。


 孤児達が沙世様に冷たくするのも愛するのも沙世様が限界突破なんてさせるからだ。けれど第一の部下の身で意見なんて……それで嫌われてしまったら……。そももそ限界突破にこだわる理由はなんだ?


 沙世とは常に一緒にいるようにしてはいるが、買い物などでどうしても離れる時間はある。その時間を使って図書館に行って沙世が読んだらしい本を探した。思えばあの日から沙世の様子がおかしくなったのだ。


「は、はい! ええと、奥の次元移動に関する書物だったと思います! あんまりあそこに行く人いないんで記憶に残ってました! ところでこのあと時間ありますか?」

 受付の若い女性は口が軽いのかペラペラと教えてくれた。異母兄にこき使われていた頃の自分だったら見向きもしなかっただろうにと思うと沙世以外の女性にモテることに何の感慨もない。むしろ相手する必要があって迷惑、くらいなものだが、情報を得るまではと適当に愛想を振りまく。


 そして読んでいた書物を手に取り、ページをめくり、彼女が何者なのか想像がついてしまった。異世界人は大体が嫌われている。一番知名度の高いギルドの創始者とて「あの名誉あるギルドの創始者がこの世界の人間でなかったことがショックだ」 と言われるくらいにはほんのりとした差別意識がある。

 だがそんなものがどうでもよくなるくらいレジスは沙世に心を預けてしまった。もう遅いのだ。

 それなのに、おそらく沙世は元の世界に帰ろうとしている。

 なけなしの良心と理性、暴れるような悪心と悲しみがレジスの中でせめぎあっていた。




 沙世はその日も生活費のために任務をこなすことにした。そんな沙世を見つめる男がいた。リオネルだ。

 ただ見るだけで何をすることもない。基本警戒心の薄い沙世だ。普通に仕事をして、普通に家に帰っていく。その日はリオネルも家に帰った。


 翌日、リオネルは沙世が家を出たのを見計らって、その家に呼びかけた。


「……すみません、誰かいますか?」


 その声を聞いたレジスは、まさか孤児がここまで嗅ぎ付けたのか、と武器を背中にしまって玄関まで応対しに行った。

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