終末のファンタジー世界

草原 風

終末のファンタジー世界

 暗い森の中、月夜の空に吹き始めた風を感じ、ヴァンガルは掌を広げて流れゆく大気を確かめる。


「……瘴気ミアズマの風」


 冷たい息と共に、我知らずといった様子で独り言が零れていく。

 

「風が強くなる前に、仕事を済ませる」


 改めて確かめるように言ったヴァンガルは、暗い森の獣道を進んでいった。

 

 ――冒険者として受けた依頼、とある森の近隣で行方不明者が多発――更にはキャラバン隊が襲撃されたという問題を解決すべく、このような場所を一人で歩いている。


 この世界で一人きりで森のような場所を行くのは大変だ。視界は悪く、瘴気が溜まっている事すらある。しかも大抵魔物がいる為、非常に危険である。

 

 だが、冒険者としてそういった地域を探索するのが主な仕事であるヴァンガルは、慣れた所作で森を進む。


 獣人種ライカン――獣の姿を持つ人類の一種であるヴァンガルは、狼のライカンだ。

 二メートルを優に超える巨躯と、それに見合う筋骨隆々な身体。

 白銀の毛並みに尻尾、同じ色の長いタテガミは三つ編みに編まれている。

 凛々しい狼の姿を持ち、鋭い金色の瞳は森の闇を油断なく見据える。

 

 装備は彼の身代で許されるだけの、上質なモノを揃えている。

 身体にピッタリと密着する、薄手で伸縮性のあるボディアーマー。袖を無くし、可動性を確保したモノだ。

 魔法処理が施された繊維で作られたズボンにブーツ。暗器を仕込める腕当て。

 あとは各種装備に――一番目立つのは、得物だろうか。


 ――背に背負った、巨大な十字のような特大剣。

 宛ら磔刑に処された聖人の如く、重々しい存在感を放っている。

 森で振るうにしては、些か以上に扱いにくいだろう。


「……」


 だがヴァンガルはそんな大剣に迷いなく手をかける。柄を握り、鋭い金色の瞳を更に鋭くして森の闇を貫く。他の種族よりも鋭い感覚器官が、何事かを告げているのだ。

 

 果たして、夜の闇の奥よりそれらは現れた。


「――食屍鬼グール


 ヴァンガルの鋭敏な嗅覚を衝く、血錆の匂いとそれ以上の腐臭と異臭。伴って姿を現したのは、グールと呼ばれる魔物である。


 まるで犬とニンゲンを無理矢理掛け合わせ、煮崩れしたような醜悪な姿であり、兎に角不潔で悍ましい怪物だ。生物の肉や死骸を好み、時折群れでニンゲンを襲うという。ヴァンガルが森に探索に赴く原因となった襲撃も、これらの所為だろう。


「キシィィィィ……!」


 当然のように群れで姿を見せたグールの一匹が、何かを言った。だが早口過ぎてヴァンガルには唯の鳴き声にしか聞こえなかった。


(犬みたいな顔だが、これらと一緒にされるのは流石に御免だな)


 そんな事を考えつつ、ヴァンガルは大剣の柄に手をかけて前傾姿勢になる。――瞬間、抜刀と共に跳躍した。


「――っ!?」


 凶器の如く太く強靭な脚によって、ヴァンガルは梢よりも高く飛び、驚愕するグールの群れ目掛けて回転しながら大剣を振るう。大剣の鋭い刃が月光に照らされ、回転と共に剣吞な閃光となって振り落ちる。


 ――ズサン、と重々しく響く斬撃の快音が木立の間に広がった。一拍遅れて下半身だけとなった醜悪なグールが数匹、死を自覚したように崩れ落ちる。


「キシィィィ!?」


 着地後舞踏の如く回転し勢いを殺し、腰を落として大剣を構える。剣先が敵へと向く、俗に霞の構えと呼ばれるモノだ。

 

(……多い。確かにこの規模なら、キャラバンの一つや二つ、潰せる)


 大剣を構えたヴァンガルの先に居るグールは、数匹では済まない数だ。最低でも十数匹以上――或いは二十は下らないだろう。

 

(少し面倒だ)


 この戦いは疲れそうだと、ある種の予感を抱きながら、ヴァンガルは脚に力を込め――走る。

 太く強靭なヴァンガルの筋肉が膨れ、強烈なまでの運動量を齎す。バァン! と地面が爆発しクレーターさえ作る程の衝撃を以て飛翔――正面のグールの一体に鮮烈な刺突を見舞った。


「キシィィィ!?」


 ズサリと、弾力のあるグールの外皮を破り大剣が肉体を穿つ。

 

 ――ヴァンガルの得物である剣は、大剣にしては刃の幅が狭い。

 大剣としての従来の使い方――相手を砕くような方法では火力が期待できないが、その分斬撃と刺突――特に刺突に関して鋭い威力を発揮する。

 高い技量を必要とする、物好きな武器だ。


 だからこそ、こうして怪物相手でも引かずに立ち回れる。

 

「ふっ――!」


 グールを貫いたまま、手首に力を込め上体を逸らし、一気に周囲を薙ぎ払う。周りのグール共を斬り飛ばし、勢いによって刺さった醜悪な怪物が抜けて吹き飛び、木の幹に叩きつけられる。


「キシィィィ!!」


 剣を振り切ったのを狙ったのか、グール共が奇声を上げながら鉤爪を立てて飛び掛かってくる。ヴァンガルは大剣から手を放し、更にはそのまま蹴り上げる。――カンッ、と澄んだ金属音が響き中空へ大剣が飛んだ。

 

「シッ!」


 鋭く息を吐き、回転と共に更にグールを蹴り上げる。見事なサマーソルトキックだ。ヴァンガルのブーツはグリーブに近く、金属を以て補強されている。宛ら獣の足であり、剥き出しの鉄爪により蹴撃は斬撃さえ伴う。


「ギィィ!?」


 ゴム質の皮膚を破り、鋭い蹴りがグールを抉った後吹き飛ばす。そのまま姿勢を低くして残りのグールの爪を回避――


「ふーっ……」


 深く息を吐いて、拳による連撃を見舞う。一撃二撃三撃――丸太のように太く強靭な凶器たる腕より繰り出される徒手空拳は、強烈過ぎる火力を持つ。獣人種ライカンの大男なのだから、殊更だ。

 

 ゴム質の皮膚さえ貫く衝撃でグールを砕く。腐臭を放つ肉片から目を逸らし、中空から落ちて来た大剣をキャッチ――そのまま周囲から飛び掛かってきたグール共を斬り殺す。


「これで十匹」


 殺した数を数えて粘着質な血糊を払うヴァンガル。――その視線の先に新手の影を捉えた。


「――変異種ヴァリアント

 

 ドス、ドスと重量感ある足音を響かせ現れたのは、一回りも二回りも大きいグール。普通のグールはヴァンガルよりも小さいが、これは寧ろデカい。


(コイツが群れのボスか)


 他のグールを率いるに能うだけの力はあるだろうと、予想しながら再び斬りかかる――が、


「……っ」


 カキィン、と響くような金属音。驚くべきことに、変異種のグールの皮膚はゴム質ではなく硬いらしい。


「……そうか」


 刃を弾かれて崩れた体勢を、全身の優れた筋肉を稼働させて無理矢理に戻して後方へ飛ぶ。

 ――それを追うように、すぐさま変異種グールが追撃してくる。

 巨大な右の鉤爪が迫る――上体を弓のように逸らし回避。追撃の爪を逸らした勢いのまま後方へ回転し回避。――距離を取って変異種グールを睨む。


(斬れないのなら、斬れるようにするまで)


 距離を置いたヴァンガルを追って殺すべく変異種グールが迫るが――それを抑止するようにベルトから抜いた銀色の短剣三本を投げつける。


「ギジィィ?」


 短剣は変異種グールの足元に突き刺さった。命中しない投げナイフに疑問を持ってか、地面を見た瞬間、眩いばかりの閃光が放たれる。


「ギジィィィ!? ギィィ!!」


 至近距離からの閃光で目をやられたのだろう、変異種グールは顔を抑えながら闇雲に苦しんで爪を振る。

 その様子を尻目に、ヴァンガルはおもむろに剣指を結んで、大剣の腹を鍔元から剣先までをなぞる。なぞり終えると、刃が煌めき不可思議な光を宿し始める。


「――無光むこうの意志よ、此方に集え。我が携えし刃に、一重、二重、三重なる鋭さを与え給え――」


 口数の少ないヴァンガルが、明確な意志と力を以て奇妙な文言を唱え始める。彼が口にした言の葉は、妙なる反響を伴い森に木霊していく。

 ――それは魔法と呼ばれる、この世界に存在せし異能であった。その発動をすべく、詠唱を紡いでいるのだ。


「――〈鋭利化レイザード〉」


 魔法の名の口上を以て、発動が完了する。ヴァンガルが撫でた大剣の刃が一際輝き、寒々しささえ覚える程に鋭い光を宿し始める。

 

「終わりだ」


 未だ閃光の目つぶしで苦悶する変異種グールに向け、鋭く一閃を見舞う。――横一文字に鋭すぎる斬撃が入り、まるでバターでも切り裂くようにスルリと剣が肉を断つ。上半身と下半身を見事に切り分け、一拍遅れてそれらが崩れ落ち、変色した血液の噴射と共に肉塊と化す。


「……」


 その様子から無感動に視線を逸らし、ヴァンガルは未だ倒し切れていないグール達を見据える。自らの群れの長を斬獲した狩人に恐れているのか、残りのグール達は腰が引けている。


「あと数体、追加か」

 

 その様子を無感動に眺め、ヴァンガルは戦闘の続行を静かに口にした。








 

 

 


 

「――これで最後か」


 グールの肉片の中から、目当てのモノを探し当てたヴァンガルが独り呟く。

 戦闘を圧勝という形で終えたヴァンガルは、討伐後の死骸を漁っていた。


 冒険者を斡旋するギルド、ひいてはその元締めのグランドクランは、討伐した魔物の内部にある「魔石」と呼ばれる物質を、その質に応じて買い取っている。これは、多くの冒険者にとってかけがえのない収入源となっている。当然、ヴァンガルも例外ではない。


 死骸の中から取り出した、小ぶりな、くすんだ紫色の石を手で転がし、全てのグールから魔石を回収し終えた事を確認する。


「よし」


 確認して、ヴァンガルは満足げに頷く。地面に突き刺していた大剣を背に収め、改めて周囲を見回す――と、奥の方から未だ香る血液の匂いを察知。怪訝さと警戒を覚えながら、匂いを辿って森を進む。


「……なるほど」


 匂いの正体は、死体だ。それもニンゲンの死体。グールが殺したり攫ってから喰ったりしたニンゲン、その残飯だ。或いは保存食だろうか。山のようになった肉塊や、千切れた手足などが乱雑に積み上がっており、血液を滴らせて血だまりを作っている。

 

 酷い腐敗臭と、新鮮な血液の香り、色々な人体の匂いなどが綯い交ぜになり、光景以上に胸がムカついてくる。酸鼻な光景には慣れているが、不快さは拭い去れない。


「……これは」


 そんな中、肉塊に埋もれるようにしてあったモノを見つけた。

 顔を顰めながら取り出してみると、それは人形だった。

 毛糸か何かで作られた、安い造りの人形。微笑む少女を象ったモノだろうか、血を吸っているせいで意匠が上手く判別できない。


「……」


 ヴァンガルはそれを暫く眺めた後、軽く払ってからベルトについたポーチに押し込んだ。

 

「帰るか」


 誰に聞かせるでもなく呟いて、ヴァンガルは帰路についた。



 

 

 

 

 

 ――暗澹とした天気の下、暫く街道を歩く。時折冒険者や商人のキャラバン隊とすれ違うのを幾度か繰り返し、ヴァンガルはホームにしている街に辿り着いた。

 

 重厚且つ凄まじく堅牢な城壁は高く、高く街を守っている。故に内部の街並みを外部から窺う事は出来ない。配置されている兵士らの数、設置されている兵器も多く、常備戦力として過剰で遊兵を作っているのでは、と疑うほどだ。


 だが、それでいい。ここは辺境都市ローデクス――オルブレン中央大陸、人類生存域の最西端に位置する魔境なのだから。


「止まれ。通行許可の証を提示してもらう」


 帰ってきた感慨を抱きながらローデクスに入ろうとした瞬間、門の兵士に止められる。――顔を見下ろしてみれば、いつもの兵士ではない。ヴァンガルを見上げて焦りと僅かな恐怖も見せている。確かに、強面ではあるが――


「……」


 ヴァンガルは何も言わずに自分の首から提げているドッグタグを指さす。分厚い胸板の上にある白銀のタグを見て、兵士は驚愕した。


「ぷ、プラチナ!? し、失礼いたしました!」


 一転して、兵士は驚愕を張り付けたまますぐに敬礼を返してくる。ヴァンガルは頷いてからローデクスに入っていった。


(新人か、さっきのは)


 衛兵の入れ替わりはよくある事だ。特に魔物が多いこの辺境地域では。

 門を背にそんなことを考えながら歩いていると、自然にローデクスの街並みが目に入る。

 レンガ屋根の建築が立ち並ぶ、この世界において一般的な風景だ。

 

 他の――比較的安全な内陸の街に比べて、物々しい雰囲気が強い。とはいえ、人の営みがある以上、大通りはよく賑わっている。

 それにかなり清潔だ。不潔は病の原因になる。辺境の街は魔物という脅威が多いからこそ、病くらいは気を付けねばならないのだ。


「……」


 道を往きながら、ヴァンガルが冒険者ギルドを目指す。依頼を終えた冒険者が、街に帰って真っ先に行くのが冒険者ギルドである。巨躯故、大通りを往けば目立つし視線も感じるが、すぐにそれらは逸れていく。獣人種ライカンはそう珍しい種族ではないのだ。


 暫く歩けば、目当ての建物に辿り着く。小さな館ほどもある、大きな建物だ。堅牢で実用性のみを追求したような建物――ギルド会館である。地価の高い大通りに会館を持てる――それだけで、冒険者ギルドの地位が理解できる。


 ヴァンガルは両開きの門に手をかけ、粗雑に開け放つ。陽光が門の開閉に従い入り込み、内部の光景が映し出された。

 外見通り綺麗な内部は、一階と二階に分かれている。一階は奥に大きな受付、右に依頼の掲示板がある。ヴァンガルは迷いなく奥の受付に向かった。


「よう、『銀風』! 依頼帰りか?」


 途中、ソファに座り駄弁っていた冒険者のペアの片割れの男が気さくに声を掛けてくる。――が、ヴァンガルはそちらを一瞬見た後、足早に受付へ向かう。


「ちっ、相変わらず冷たい奴」


 ヴァンガルに無視された冒険者は不貞腐れたようにそういう。そんな声を背後に、ヴァンガルは受付の女性の前に出て見下ろす。強面で体格もかなりの差があるが、受付嬢は臆することなく笑顔を浮かべた。


「おかえりなさい、ヴァンガル様。依頼達成の報告ですか?」


「………ああ」


 快活な受付嬢の言葉に、ヴァンガルは小さく同意する。


「ヴァンガル様が受注されたご依頼は――ああ、えっと、『行方不明者多発地帯で、キャラバン隊が謎の魔物の襲撃を受けた。原因の調査及び殲滅』――でしたね」


「そうだ」


「では、依頼の報告をお願いします」


 受付嬢が紙とペンを持ち出したのを見てから、ヴァンガルは――会話という苦手な行為を――始める。


「………キャラバン隊を襲ったのはグールだ」


「ほう……食屍鬼、グールですか」


「…………数々の行方不明者も、グールの仕業だろう」


「なるほどなるほどぉ……確かに、グールはその旺盛な食欲でニンゲンを多々襲撃する性質がありますね。キャラバン隊が襲撃されたのは夜というのも考えればさらに納得です。グールは日光が苦手ですからねぇ」


「……………グールは襲撃多発地点の街道から、程近い森の奥に巣を構えていた。入ってから獣道を行って一時間ほどだ」


「ほうほう。――それで、襲撃者の正体がグールであると、確定させるような証拠はありましたか?」


「……少し、待て」


 ヴァンガルはそう断ってからポーチを探り、中から汚れた人形を取り出した。グールの食べ残しの中にあった、少女が好みそうな人形だ。


「これだ」


「これは――なるほど。では、グールの仕業であり、原因は壊滅したという事で、依頼達成報告を受理します。依頼達成おめでとうございます、ヴァンガル様」


「……あと、これを」


 依頼達成の受理と共に、ヴァンガルは持っていた袋を受付のカウンターに置く。中にはグールから取った魔石が入っている。


「グールの、魔石だ」


「おお、魔石ですね。ではこれも検品後換金致します」


 ヴァンガルが出した魔石の袋の重さに僅かに驚きつつも、受付嬢は快活に頷いた。ようやく報告を終えられる――と、一安心していた時である。

 

「貴方は……」


 受付近くのソファから、か細く疲労した男の声が聞こえた。掠れかけて、半死人といったような声だが、獣人種として優れた聴力を持つヴァンガルは、ギルド会館の細やかな喧噪の中でも聞き取れた。

 

 ヴァンガルがソファの方を見てみると、そこにはやつれた男がいた。中年入りかけといった年齢だろうか、だが疲労のせいかやつれていて、見た目以上に老け込んで見える。


 男は期待で輝く目をヴァンガルに向けながら、一歩ずつ静かに近づいてきた。


「貴方は……ヴァンガル、さんですよね? このローデクスでも、十人しかいない、プラチナランクの冒険者――『銀風』の二つ名を持つ、ヴァンガルさん、ですよね?」


「………」


 男の質問に要領を得ないヴァンガルは、一先ず聞かれたことが正しかったので無言で頷く。


「ヴァンガルさん! ギルドの方が教えてくださいました。私のキャラバン隊が襲われた件について、貴方が解決を受け持って下さったと!」


 酷く焦りながら、期待と切望を込めた視線を宿し男はそう叫ぶ。言われて理解した。この男こそが、例のキャラバン隊を所有していた商人だったのだ。


「私は、私はこのローデクスに残っていて――でも、私の妻と、娘がキャラバン隊に同行していて……。彼女達だけ、先に帰っていてもらうつもりだったのです! 妻は……ダメだったのは聞いています。しかし、娘は! 娘の亡骸はまだ見つかっていないと!」


 ――男が何を求めているのか、ヴァンガルは会話から察した。そしてそれに答えられないことも思い出した。この仕事をしている内に、何度も味わってきたやるせなさが込み上げてくるが、慣れとは恐ろしいモノで、すぐに感情が平坦になっていく。


「娘は……娘は無事だったんですよね?! 帰ってきて、いますよね!?」


 男はヴァンガルの手を掴み、涙目になりながら見上げてくる。ヴァンガルは目を伏せ、その後受付嬢に視線を投げた。成り行きを見守っていた受付嬢は一つ頷き、例の人形を出してくる。


「……ん」


 ヴァンガルはそれを取り、男に差し出した。


「………え?」


 男はその人形を見て、ワケが分からないといった様子で、酷く困惑した表情を張り付けたまま当惑の声を上げる。

 血塗れの、薄汚い人形だ。きっと面影は薄れているだろうが、その人形を買い与えた張本人だろう男には、僅かな思考の後理解が及ぶ。


「……これは――娘の」


 おずおずとした手つきで人形を受け取った男は、心ここにあらずといった様子で小さく零した。


「……それだけしか、無かった。襲撃者は、グールだ」


 そういうと、暫く男は視線をヴァンガルの目に合わせたまま固まる。その後瞳が揺れ動き、身体を振るわせて涙を零し始める。歯を食いしばり、薄汚い人形を力強く掴み、俯いた。


「どう、して……」無力感に満ちた、低い言葉を発し始めた。「どうして……」


 男は暫く譫言のようにその言葉を何度も繰り返した。何度目かの呟きの後、更に低い声で囁く。


「どうして……もっと早くに……助けてくれな――」


 そう言い切ろうとした瞬間、男は固まる。その後、握った人形に更に力を込め、俯いた姿勢を一礼に変えて、


「ありがとう………ございましたッ……」


 震える声で、礼を述べた。

 本来、何を言いたかったかは理解できる。きっと、八つ当たりじみた怒りをぶつけたかったのだろう。

 責めはしない。そうなったとしても、仕方ないと思える。

 

 だが――この世界で遺品が返ってくることは、寧ろ得難い恩恵とすら言える。

 故人を想う縁すら、帰って来ない事など常なのだから。


「……ああ」


「――では、この番号札を持ってお待ちください」


 ヴァンガルが小さく頷くと、見計らったように受付嬢が木製の札を差し出してくる。ヴァンガルはそれを取り、手で弄びながら壁際にあるソファに座った。


「――あのおっさん、可哀そうだな」


 ――遠くから、そんな声が聞こえた。見てみれば、先ほどヴァンガルに声を掛けて来た冒険者の男が、片割れの女と話していた。


「街道で襲われて、妻も娘も、おまけにキャラバン隊も失くしちまったって」


「――確かに、哀れですね」


 冒険者のペアは、トボトボと会館を去っていく商人の背中を見てそういった。


「あのおっさんの店、知ってるぜ。こんな辺境の街に、態々内陸から商いをしに来た商人だ。いい品も多い、新進気鋭の商会だったって」


「それが、こんな事に――運がない、という一言では言い表せないですね」


「護衛も付けていたんだろうが――グールの群とは、それこそツイてないな」


「……ヴァンガルさんの報告、盗み聞きしたんですか? お行儀悪いですね、貴方」


「しょーがないだろ。俺もライカンなんだ、耳が良くて聞こえちまう」


「全く……私が冒険者の神官で良かったですよ。聖哲教会の神官なら、今の発言で九十分の説教でしたから」


 その発言を機に、商人の男についての話題は消え去った。

 冒険者にとって、死とは身近なモノであるから、そう気にも留めない。

 これだって、ありふれた日常の背景に過ぎない。

 ヴァンガル自身、あと数日もすれば、あの男の涙さえ忘れるだろう。


(――そう、この世界は、残酷なんだ)


 ――この世界は、残酷だ。

 かつて凄まじい技術力と文化を誇った、超古代文明にして、直近の先史時代、『アース・テール』

 だがその文明は、ミアズマという災厄の前に滅び去った。

 

 突如世界に現れたミアズマ――瘴気と呼ばれる力。あらゆる生命を蝕み、殺し、そして異形の存在たる『魔物』に姿を変えさせる。


 それにより、人類は90%の人口を失った。


 残った10%とは、死んでいく過程で進化を重ね、瘴気への抗体を獲得した子孫だ。

 抗体を持った子孫が生まれ、それなりに成熟した社会や文明を築くのに4000年も掛かったという。


 ミアズマという災厄、そしてそれより生じる魔物。二つの脅威を前に、現在の人類が今日まで生きてこられたのは、進化の過程で肉体が強化され、『魔法』という異能にも目覚めたからだ。瘴気が生み出した功罪だろう。

  

 だが、それでもこの世界は死に掛けだ。いつ滅んでもおかしくない、ギリギリの均衡を保っている。

 終わりかけの世界だ。壊れかけた世界だ。

 異なる視点から見れば、此処は幻想の世界なのだろうか?



 

 だが――取り留めのない空想に、重々しい程の、血と死と鉄の味はしない。




 だから、この世界に産まれたモノは希望を抱かない。

 安寧の死などなく、殆どは苦しみと絶望の果てに死ぬ。

 母の胎より産み落とされた時から、こう教わるのだ。

  

 ――お前がこれから行う、『生きる』という行為は、必ず絶望で終わる。


 汝一切の希望を捨てよ。その言葉こそが生誕の福音。

 生誕する前の原初の虚無に、希望を捨てて生まれる。

 生きる理由はなく、ただ本能に従って生き、従って子を生し、従って社会を築く。



 

 故にこそ、皆探しているのだろう。生き足掻くに足る、理由を。




 ――カチリと、壁にかけられた魔導具が音を出す。見れば、そこには番号が発光するように浮かんでいた。

 ヴァンガルが受付嬢より貰った番号と、同じ数字が映し出されている。

 下らない考えを断ち切って、ヴァンガルは立ち上がり、傍に置いた大剣を背に背負って受付嬢の下へ向かった。


「お待たせしました。では、番号札を」


 受付嬢の言葉通り、ヴァンガルは先ほど渡された番号札を取り出しカウンターに置く。

 

「確認しました。では依頼の報酬金、金貨五十枚と、グールの魔石買取分を併せて、金貨五十四枚となります」


「……十四枚だけ貰う。残りは預金に」


「畏まりました。……はい、どうぞご査収ください」


 ヴァンガルは金貨の詰まった小袋を受け取り、それをポーチに仕舞う。深々と一礼する受付嬢を背に、ヴァンガルはギルド会館から外へ出た。


「……」


 気づけば日の光が傾きつつある。雲に覆われた空でも、光が無くなり掛ければやはり暗くなるモノだ。


「……行くか」


 街の喧噪を背にして、ヴァンガルはローデクスの大通りを進む。

 今日も生き残ったという、とりとめのない感慨を胸に。そして明日も生き残る為に、街へと繰り出した。

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