第8話 失恋連鎖

 タツとのやりとりを思い出すたびに、胸が苦しくなる。幸い、クラスが離れているので顔を合わせることはないけれど、震える声で言われた「ひとりにしてくれ」という言葉が頭の中で何度も再生される。蛙のケースに入れられた蛇の姿が目に焼きついて離れない。タツがやったとは思っていないし、思いたくもない。それなのに、あのときの不自然な様子のタツならやってしまうのではないかと考えてしまう。そして、彼のことを本心から信じることができない自分に涙が出そうになる。


「最近、元気ないね。どうしたの?」浮かない顔をして委員会の仕事をこなす私に、小形くんが尋ねる。


「あ……ううん、なんでもない」

「そんな様子で言われても、説得力ないけど」

「本当に、なんでもないから」


 私の答えに納得したのか、彼は「ふうん」と相槌を打つ。そして、そのまま言葉を続けた。


「倉益さんは、好きな人が別の人を好きだったら、告白する?」

「え……?」


『田中と橋下の与太話を聞いて、姿穂はどう思った?』

『本当は、俺のことも気持ち悪いと思ってたんじゃないか』


 タツの言葉が頭をよぎる。どうして今、小形くんはこの話を……。


「……私はしないけど、告白する権利は、あるんじゃないかな……」いつも、タツに言っていた言葉。


「振られるってわかってるのに?」

「相手に好きな人がいる時点で、振られているようなものだし……それに、気持ちを伝えるのは、悪いことじゃないと思うから……」


 本当に? 本当に私はそう思っているのか?


「そっか、そうなんだ」

「……小形くん、好きな人いるの?」

「うん、まあね。変?」

「あ……いや、そうなんだと思って。ねえ、小形くんの好きな人って、どんな人……?」


 私の質問に、彼は「内緒」と笑った。


「でも、すぐわかるよ。どうせ振られるしね」そう言う彼は、悲しいとか、悔しいとか、そんなことをなにも感じていなそうな表情をしていた。


 小形くんの言う通り、彼が誰に告白したのかはすぐにわかった。昼休みはその話題で持ちきりになり、彼の想い人は迷惑そうな表情をしている。クラスメイトが彼女の席を囲み、矢継ぎ早に質問をぶつけた。


「いつ? 純さん、いつ小形くんに告白されたの? 昨日の放課後?」

「どうして断ったんですか? 小形くん、5組で1、2を争うイケメンなのに、もったいないですよー!」

「うるせえ。付き合う理由がないから断った。それでいいだろ」


 三好さんは少しイラついた様子で答えたけれど、クラスメイトは気にしないで質問を続ける。


「ていうかー、なんで誰とも付き合わないんですか? あんなに告白されたら、ひとりくらいいい人いるでしょ、絶対!」

「もしかして、うわさみたいに……」


 ひとりの質問に、他の女子が「ばかっ」と小さく小突いた。


「……うわさってなんだよ」三好さんが唸るような低い声で尋ね、周りをにらみつける。


「あの! 好きな人がいるって話! 前に聞いたことがあって……」


 他の女子のフォローに、三好さんはなにも答えない。沈黙が続き、教室内に気まずい空気が流れる。そんな居心地の悪い場所に耐えられなくて、私は教室を飛び出した。

 いつも、なにかあると生物室へ行っていた。しかし、タツのことがあった以上、今では生物室も居心地の悪い場所だ。それに、もうすぐ授業が始まる。きっと、どこかのクラスが使うだろう。だから、私にしては珍しい場所を選んだ。

 埃っぽい扉を開けると、強い日差しが差し込んだ。まぶしくて、思わず目を細める。しかし、次第に目が慣れると、目の前に広がる景色に心が惹かれていった。

 ――空が、とても近い。

 手すりに駆け寄り、足元を見下ろす。昼間なので、通りを歩く人は少なかった。

 今度から、ここで過ごすのも悪くないかもしれない。日が高いうちはしばらく暑いだろうけれど、風が当たって気持ちいい。


「おい、サボりかよ」


 そんなことを考え、今度は手すりにつかまり空を眺めていると、後ろから声をかけられた。振り向けば、不機嫌そうな彼女が開きっぱなしの扉の前に立っている。


「……三好さんもサボり?」

「ここはもともと、ウチの特等席だ」

「そうなんだ」


 三好さんが私のとなりに並ぶ。


「空がよく見えるね」私の言葉に、彼女はなにも答えない。


「お昼休み、いつもここに来てたの?」

「天気がいい日は。教室にいると、気分が悪くなる」

「私も、そうしようかな」

「人の特等席を奪うんじゃねえよ」


 私に目もくれないで、彼女はそう文句を言った。

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