後編 待てと言われて待つ奴はいない
曇り空の下、レジャーシートを敷いて休息をとる香峯子と五美。
「この後、どこに向かえばいいのでしょうか」
温かいお茶を飲みながら香峯子が尋ねる。
「さっきのトマトは変態二人に案内してきましたからねー」
大の字に寝そべりながら五美は暗い息を吐く。
「そうでしたわね。ところで、さっきのトマトはどのようなトマトでしたの?」
「あー、変態二人を乗っ取っていたやつですか……」
「使い魔のようなもの、とおっしゃってましたが」
すると五美は起き上がり、人差し指を頤にあてる。
「あたしの持っていたデータ、まあとりあえずこれを見てください」
五美はやたら滅多にキーホルダーの付いた鞄から一枚の古い写真を取り出した。そこに写っていたのはよく古代遺跡などで見る壁画だった。
右にはトマト頭の人物が立っており、その人物に向かって小さなトマトが人間を伴っているというシンプルな絵だった。
トマトが人間を案内していると勘違いしても仕方がない。
写真を受け取った香峯子は僅かに微笑む。
「そういうことですのね」
「そゆことです。トマト魔神ハニービーに関するデータってめっちゃ少ないんですよ」
「それは勘違いしても仕方ないですわね。ところでこんな大昔からトマトってありましたっけ?」
「トマト魔神ハニービーはあれですよ、この世にトマトをもたらしたと伝えられる神様ですよ。一応」
「あら? 《魔じん》の《じん》は《人》ではなく《神》の《じん》ですの?」
「え、はい」
「わたくしとしたことが……勘違いしていましたわ」
「まー、いーんじゃないですか?」
僅かに頬を染める香峯子はパタパタと扇ぐ。
「少し熱いですわね」
「照れないでくださいよー、可愛いなあもう」
と、肘で香峯子つついていた五美だが、直ぐに周囲の変化に気づく。
「いや……本当に暑くなってる?」
「言われてみれば……暑いですわね」
すると空から一筋の光が差し込み、二人の座るシートを包み込んだ。二人が飛ぶようにシートから離れた瞬間、光に包まれたシートは一切の痕跡も残さず消え去ってしまった。
「無事ですか⁉」
「無事ですわ。五美は?」
「なんとか。鞄も無事です、まあレジャーシートは無くなりましたけど」
互いの無事を確認した後、香峯子は顔をしかめる。
「それにしても今の光は、攻撃されたと考えてよろしくて?」
「状況的にそうかと」
光が差し込んだ場所は雲が裂けており青空が見えている。五美は雲の隙間から空を見上げた途端にジト目になる。
「あ、今の光お母様のせいですね」
「……月に居たのではなくて?」
「月でうさぎとビリヤードするから二人も来ないか、と言っていますね」
「断ってくださいまし」
「りょーかいです」
それから暫く経つと五美が香峯子の肩を叩く。
「終わりました」
香峯子は深く息を吐くと大きく伸びをする。
「気を取り直して、早く魔神とやらをぶっ飛ばしましょう」
「暑いのには変わりないですし、近くにいるのは間違いないですもんね」
「ずいぶん難航しているようだね、私を見つけるのに」
男とも女ともとれる中性的で神秘的な雰囲気を纏った声が響く。
二人は周囲を警戒するように背中合わせになる。香峯子はブロンドの煌めく縦ロールで瓦礫を掴み上げ、五美は鞄の中へ手を伸ばす。
「遂に……ですわね」
「どんな能力を持っているのかわかりません、気を付けてください」
刹那――世界は一変していた。
二人は警戒はそのままに眉を顰める。
頭上に広がるのは鉛色の空ではなく、青い空と真っ白い入道雲、日の光がジリジリと身体を焼き、周囲では蝉の大合唱が響き渡る。
二人はそんな真夏の畑の中に立っていた。一面を埋め尽くすのは二メートル近くの支柱に誘引されているトマトで、上から下まで真っ赤な宝石のような実を付けていた。
「ようこそ、私の世界へ」
声が二人を囲む。
植えているトマトの影からミニトマトが大量に飛び出し周囲を飛び交う。
更に、地面が割れ、そこからトマト頭にレオタードの人物が這い上がって来た。
やがて飛び交うトマトがトマト頭の手の中に集まると同時に――。
「先手必勝!」
「ですわ!」
五美が鞄の中から取り出したものを、香峯子は持っていた瓦礫を投げつける。
瓦礫を投げつけた香峯子だが、瞬間感じた違和感に目を瞠る。瓦礫のようにゴツゴツした重みのあるものではなく、丸みを帯びた瓦礫より遥かに軽いものを投げたような気がしたのだ。
「これは……トマトですわ⁉」
投げられたトマトはトマト頭に向かうが当たることはなく、他のミニトマトのように手に集まっていくのだった。
「おっと、トマトは大事にしないといけなぎゃぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!」
突如悶絶しだしたトマト頭に追い打ちをかけるように五美は鞄から液体の入ったタンクを取り出し、中身をトマト頭にぶちまた。それとほぼ同時に、香峯子は縦ロール同士を擦り、炎を纏うと液体を被ったトマト頭を撫でつけた。
激しい音とともにトマト頭から火柱が立ち昇る。
二人は熱気が襲って来ない場所まで後退する。後退しながら周囲を観察するが、トマト畑がどこまでも広がっているだけだった。
「熱い熱い熱い熱い!」
周囲に植えられているトマトが燃え移らないよう離れていき、火柱を中心に円形に何もない土地が表れた。
やがてトマト頭の絶叫が聞こえなくなると香峯子は纏った炎を消して様子を見る。
「丸っ焦げになりましたわね」
トマト頭を注視していた五美がかぶりを振る。
「これで倒せればいいと思ったんですけど、そう簡単にはいきませんねー」
五美がそう言うや否やトマト頭の身体が割れ、中からチャイナドレス姿のトマト頭が出てきた。
「いきなりデスソース投げるのは反則だろ!」
トマト頭が五美をビシッと指さす。心なしかトマト頭から湯気が立っているように見える二人だった。
「貴方がトマト魔神ハニービーですのね」
「いかにも」
「よし、じゃあぶっ飛ばす」
瞬時にトマト魔神へと肉薄した五美が強烈な蹴りを放つ。
「ねえちょっと神の話ぐらい聞こうよおぉぉッ」
それを腕で受けながらも抗議の声を上げるトマト魔神だが。
「世界を崩壊させた奴の話なんか聞くだけ無駄」
聞く耳を持たない五美は尚も攻撃を続ける。
前後左右から襲ってくる攻撃を紙一重で避け、受けながらも反撃の隙を伺うトマト魔神だが、隙を埋めるように香峯子の縦ロールが攻撃を仕掛けるため、防戦一方に立たされているのだった。
やがて縦ロールがトマト魔神のトマト頭を貫く。
貫かれたトマト魔神が地面に倒れ伏すと、再び背が割れ、中からメイド服姿のトマト魔神が出てきた。
「ちょとまっ――」
五美は鞄から取り出した瓶を数本投げつける。
中の液体を被ったトマト魔神の服がじわじわと溶け出していく。
「ひゃん!」
溶けた部分を手で覆うトマト魔神の足に香峯子の縦ロールが絡みつき、トマト魔神を地面に叩きつける。
数回にわたる叩きつけにより、頭が破裂したトマト魔神は倒れ伏したまま動かない。
そして背が割れる前に五美はガムテープでトマト魔人をきつく巻いた。
暫くすると破裂したトマト部分から羽を生やした小さな姿のトマト魔人が恐る恐る出てきた。
「わお、羽虫」
五美は目を丸くすると目の細かい虫かごを取り出し、トマト魔人を捕獲する。
「おねがいしますいじめないでください」
「なんで?」
夏の暑さを忘れる程の冷たい声を発する五美に香峯子は苦笑交じりに声を掛ける。
「五美」
「はーい」
口を尖らせた五美が虫かごを置き、二人はその場に腰を下ろす。
「ねー、暑いんですけど」
「あ、はいすみません」
五美が睨むとすぐに辺りが夏の景色から、瓦礫の山が点在する元の世界に戻る。
その瓦礫の山に目を向けながら。
「で、なんでこんなことを?」
「ちょっとした出来心で……」
「出来心で世界をめちゃくちゃにするとかマジありえないんですけど!」
虫かごを激しく振る五美を見ながら香峯子は、叩き潰してもいいのではないかと思うのだった。
「潰してもいいですか?」
「オッケーですわ」
「ごめんなさい二度とやりません命だけは!」
「別にあんたが死んでもあたしたち困らないんだけど」
「わたしが死ねば全てのトマトが妖精になるんです」
「……どういうことですの?」
げんなりした様子の香峯子はトマト魔人を見る。
「全てのトマトが話したり動いたりします」
「訳が分かりませんわ」
こめかみを押さえる香峯子に対して五美はなにか理解したらしく、ポンと手を打ち付ける。
「五美、説明してくださいまし」
「多分ですけど、この羽虫は腐っても魔神ですからその身に秘めた力が凄いんですよ。そしてこいつが死ねばその秘めた力が行き場を失って他の全てのトマトに向かってしまう的な感じです」
「それで妖精になると?」
「はい」
表情を消した香峯子はポツリと。
「……気持ち悪いですわね」
「……リリースしますね」
五美は虫かごの蓋を開けた。
「今回は許したげる、次やったらトマトが妖精になろうがかんけーなくあんたを消す」
微笑みながらそう言う五美の目は笑っていなかった。
トマト魔神はガクガクとうなずくとフラフラと飛び去っていった。
それを見届けた五美は立ち上がり大きく息を吸う。
「終わりましたねー」
「愛斗さんに早く会いたいですわ」
立ち上がった香峯子は避難している想い人に思いを馳せる。
「事後処理しましょうか」
「任せましたわ、わたくしはドロンしますわ」
「お嬢様も手伝ってくださいよ!」
土煙を巻き上げながら駆け出す香峯子を五美は追いかけるのだった。
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