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前編 変態パニック焼き鳥屋を添えて
瓦礫の山々に囲まれ、鉛色の空が広がる。
辺りには何やら香ばしい匂いが漂っており、その匂いを嗅ぎながら瓦礫の山に立つ香峯子は呟く。
「なんだか嗅いだことのある匂いですわね」
「この匂いはトマト魔神ハニービーですね」
そう答えるのは香峯子の少し後ろで瓦礫きを検分している五美だ。
「まさかこの近くに?」
形のいい眉を顰めながら香峯子は振り向く。
検分していた瓦礫の一つを手に取り、それを香峯子に向かって投げる。
受け取った瓦礫は僅かに温かい。
「この温かさ、さっきまでここの近くにいた証拠ですよ」
「全く、困ったものですわね」
「けちょんけちょんにしてやりましょーよ」
ため息をつく香峯子と手に持つ瓦礫を砕く五美。
二人はこの世界を崩壊させた元凶を見つけるため駆けつけたのだ。
「愛斗さんの無事は確認できていますわ」
「随分と心配されましたね」
「ああん優しすぎますわ!」
突如悶え出す香峯子にジト目を向けると意地の悪い笑みを浮かべる。
「一緒に花緒峯もいますけど? あーあ、二人の仲が進展しちゃうなあ」
「友達も助けるのは当然ですわ!」
涙目になりながら拳を握りしめる香峯子は思い浮かべる。避難所で花緒峯に会った愛斗の安心した表情を思い出すと少し胸が締め付けられるが嬉しくもあった。
「五美、追いますわよ」
「りょーかい!」
五美はじゃらじゃらとキーホルダーの付いた鞄を漁り、中からダウジングロッドを取りだし構える。
「あっちですね」
示す方向に向かい二人は駆け出す。
「またれい! そこのお二人さん!」
二人が駆け出して数分。突如かけられた声に二人は止まり、辺りを警戒する。
「いやーはっは、こんなところに若い女の子が二人!」
姿を現したのはピシッとスーツを着た中年の男性だった。
「ここは危ないから早く避難しなさい、それともおじさんの後ろに避難するかい」
「なにを言っていますのこの方は?」
「無視していいと思うんですけど?」
小さな声で話す二人を見て、男性は腰をくねくねと振りながら鼻メガネをかける。
「おいおい無視はやめてくれよお、おじさんは寂しいぜ」
「すみませんあたし達先を急いでますので」
言うや否や駆け出す二人、どことなく嫌な予感がしたのだ。
数百メートル程離れると香峯子は重々しく口を開く。
「逃げ切れる気がしませんわ」
「確かに、走っているあたし達に声をかけてくるぐらいですもん」
やはり嫌な予感ほどよく当たるもので駆ける二人の背後から先ほどの男性の声が聞こえてくる。
「待ってくれよー」
「やっぱり追ってきましたわ――ね⁉︎」
「どーしたんですかお嬢さ――ま⁉︎」
振り向くと同時に二人は言葉を失う。
そこには悪夢の光景があった。
先ほどの男性が鼻メガネをかけたまま背泳ぎで追ってきていたのだ。
「悪夢ですわ悪夢ですわ!」
「あれ絶対一般人じゃないですよ! お嬢様の命を狙ってくる奴らと同じ類の人ですよ!」
「それなら悪夢ではありませんわね! ぶっ飛ばしてくださいまし!」
「りょーかいぃ!」
五美は身体を後ろに向ける、男性は凄まじい速度で近づいてくるのを確認すると辺りに散らばる瓦礫を蹴り飛ばす。
瓦礫は弾丸の速度で男に向かって飛んでいく。しかし弾丸は男性に当たらない、男性は高く飛んだのだ。
二人は頭上を高く飛ぶ男性を見上げる。空中で身体を捻った男性は手に持つ瓦礫を砕き、二人に向かって瓦礫の雨を降らせる。
空気を切り裂く音が耳を掠める。
香峯子は咄嗟に近くの鉄骨を縦ロールで持ち、瓦礫を打ち返す。
「ただの若い女の子ではないようだね」
音もなく着地した男性は鼻メガネを取ると不敵に微笑む。
「あなたもわたくしの命を狙う輩ではなくって?」
「なにを言っているんだい? おじさんはただの一般人だよ」
二人は戦慄する。
「……一般人?」
「変態の間違いではありません?」
ジリジリと距離をとる二人だが、二人が離れた分だけ男性は奇妙なステップを踏みながら距離を詰めてくる。
「それにしてもさあ、いきなり攻撃してくるなんて酷くない? おじさんびっくりしちゃったよお」
「うっ、ごめんなさい」
「……申し訳ありませんわ」
「まあ、おじさんは優しいから許そうと思うんだけどぉ、でもぉ、お仕置きしちゃう!」
再び鼻メガネをかけた男性はステップの速度を上げる。
すると男性を中心に世界が歪み始める。
「お嬢様!」
「合点承知の助ですわ!」
二人は男性を挟むように広がる。
五美は男性に向かって瓦礫を蹴り飛ばす。瓦礫が弾丸のスピードで飛んでいく。そして瓦礫が男性に当たるかと思った瞬間、瓦礫は男性の周りを一周して五美に襲いかかる。
「おっと」
瓦礫を避けた五美は地面に拳を叩き込むと地面が揺れひび割れる。
その光景に眉を顰めた男性は自身の足元周辺にひび割れたことに気づくのが遅れた。
「――ッ」
気づいた頃には男性の足にはブロンドの煌めく髪が絡みついていた。
男性の背後に回った香峯子が縦ロールを地面から伸ばしていたのだ。
青い顔をした香峯子が男性を持ち上げる。ステップを踏めなくなったせいか、世界の歪みは無くなっていた。
「しまった! 背後を取られたッ」
「行きますわよっ」
香峯子が男性を五美に向かって振り下ろす。それに合わせて五美が瓦礫を男性に向かって蹴り上げる。
振り下ろされる男性と蹴り上げられる瓦礫の正面衝突。
瓦礫が砕け散り、鼻メガネも砕け散る。そして男性はそのまま地面に叩きつけられる。
地面に叩きつけられた男性を見た五美は顔を青くする。
地面に伸びるのは、ふんどし一丁の男性の姿。男性のスーツは後ろ半分が無かったのだ。
「嫌なものを見てしまいましたわ」
額の汗を拭いながら香峯子は男性を視線に入れぬように五美の手を取る。
「行きましょう」
「……はい。ねえ、お嬢様」
「どうしました?」
「トマト魔神ハニービーとかどうでもよくなりません?」
「そうですわね、帰りたいですわ。でも、そういう訳にはいきませんわよね」
二人は揃ってため息をつく。
顔を撫でる風が心地よい、変態を見た後のせいか今だに鉛色の空だが心を洗ってくれる気がする。
五美は再びダウジングロッドを構える。
「あっちですね、行きましょうか」
二人は再び駆け出すのだった。
駆ける二人の鼻に食欲をそそる、タレが焼ける香りが入ってきた。
「この香りは……」
香峯子は辺りを見渡す、すると一軒の屋台が建っていた、どうやら先ほどの香りはこの屋台からしているようだ。
「この匂いは焼き鳥の屋台ですね」
「五美! 行きますわよ!」
目を輝かせる香峯子に五美は力強く頷く。
「行きましょー!」
屋台には客はおらず、ちょうど二人分席があった。
「やってる?」
五美は暖簾を手で避けながら中に入り席へつく。
「おう、いらっしゃい」
香峯子が五美に続いて入り、席へつく。
中には炭火がパチパチと音をたてるコンロで焼いてある串をひっくり返す、いかにも職人といった風貌の高齢の男性がいた。
「なんだいお嬢ちゃん達、こんな物騒な時に出歩いて、危ないんじゃねえのか」
「そうですわね、さっき変態に遭いましたわ」
「身の危険を感じましたね」
暗い表情を浮かべる二人を見て男性は微笑むと何本か焼き鳥を皿に置き、二人の前に並べる。
「それは疲れただろう。食いな、うめえから」
おしぼりで手を拭いた二人は揃って「いただきます」と手を合わせ、焼き鳥を頬張る。
一口食べると口の中に炭火の風味が付いた香ばしいタレの匂いが広がる。
「食べ応えがありますわー」
「パリパリしていて美味しいー」
幸せそうな息を漏らす二人は瞬く間に皿に盛られた焼き鳥を食べてしまった。
「凄く美味しいですわ!」
「はは、そう言ってもらえるとこっちも嬉しいな、ちょっと待ってな」
そう言うと男性はどんぶりにご飯を盛り出した、その上に刻み海苔を散らし、その上に串の付いていない焼き鳥とネギを盛った。
「ほら、焼き鳥丼だ」
「うわぁぁ! ありがとうございます!」
瞬く間に焼き鳥丼を平らげた二人は「ごちそうさまでした」と手を合わすと温かいお茶を一口飲み、深く息を吐く。
「どうだい、力が出てきただろう?」
「感謝致しますわ、ありがとうございます」
「お嬢ちゃんらはこれからどうするんだい?」
「そうですわね、世界をこのようにした元凶をぶちのめしに行きますわ」
男性は目を瞠ったあと僅かに微笑む。
「お嬢ちゃん、やっぱり只者じゃねえな」
「わたくし、世界の支配者と呼ばれている一家の一人娘ですので」
「ちなみにあたしはそのボディガードでーす」
「そ、そうかい」
「あら、信じてくださいますの?」
「まあな。全く、世界ってのは広いな」
すると不意に五美が立ち上がる。
「お嬢様、結構近いですよ」
「まさか、焼き鳥の匂いに釣られて⁉」
「へへっ。それは光栄だな」
「焼き鳥ありがとうございます、とても美味しかったです」
「……もう行くのかい?」
「ええ。これはお代ですわ」
すると香峯子は金の延べ棒を何本かテーブルの上に置く。
それを見た男性は慌てて手を振る。
「こんなもん貰えねえよ!」
「ほんの気持ちですわよ、このお金で事業を拡大してくださいまし」
「ほら、貰った貰った」
暫くこのやり取りが続き、やがて男性が観念したように金の延べ棒を受け取る。
「それじゃあでっけえ店構えるから、また食いに来てくれよな!」
「楽しみにしてますわ。それでは」
「それじゃバイバーイ」
そして二人は屋台を後にしたのだった。
屋台を後にした二人が目にしたのは上空を漂う、揺らめく赤い球体だった。
「火の玉……のようですわね?」
「んー、火の玉っていうか――」
火の玉は四つ上空に浮かんでおり、そのうちの二つが二人の方へ空中を滑るように向かってきた。
目の前に来た火の玉をジト目で見ながら五美は呟く。
「湯むきされたトマトなんだよな」
さっきの揺らめいているように見えたのはめくれたトマトの皮だったようだ。
香峯子は呆れたように息を吐く。
「なんですの、まさかこれがトマト魔人ハニービーですの?」
「これはその使い魔のようなものですね」
「潰しても?」
「多分案内してくれるんじゃないんですかね」
トマトが飛んできた場所を見ると、残り二つのトマトもなくなっていた。
「わたくしたち以外あと二人、いるようですわね」
不意にトマトが空を滑り出し、二人は慌ててその後を追う。
しばらく進むと人影が二つ見えてきた。
「え、無理」
五美が露骨に嫌そうな顔をすると香峯子は何かを察したのか足を止める。
「……まさか?」
「いやーはっは、また会ったねお二人さん」
トマトを頭に生やしピシッとスーツを着た鼻メガネの中年男性が両手を上げて腰を横に振っていた。
そしてその隣には全身緑タイツのトマト頭の人型のなにか腕を組んで颯爽と立っていた。
「なんですのあれ?」
「全身タイツの変態ですね」
「人……ですわよね? 頭がトマトですけれど」
「一応人ですね――まさかっ」
すると五美は瓦礫を蹴り飛ばした。
勢い良く飛んだ瓦礫が漂うトマトを木端微塵にし、その勢いのまま変態二人組に向かって飛んで行く。
瓦礫が二人に当たる直前、全身タイツが軽く腕を振るう。瓦礫は綺麗に両断され、そのまま地面を裂きながら二人に向かってくる。
難なくよけた二人は変態二人組からかなりの距離を取る。
「どうしてトマトを潰しましたの?」
「あのまま放っておくと変態二人組と合体して面倒なことになりましたよ」
「ちゃんと説明してくださいまし」
五美は岩陰から変態二人組を観察する。
「あの二人、トマトの使い魔に乗っ取られていますね」
「まさか残り二つのトマトは⁉」
「そうです、あの二人を乗っ取りましたね」
「わたくし達も危なかったのでは?」
「恐らくその心配はないかと。あのトマトは意識がない相手しか乗っ取ることができないと思います」
そこまで聞くと香峯子も岩陰から顔を出す。
「……あの全身タイツが意識を失っていた経緯を知りたいですわね」
変態二人組はその場を動かず、なにか話しているようだ。
「細かいことは後で聞きますわ、とりあえずあの二人をぶっ飛ばしたいですわね」
「一対一で行きますか?」
「そうですわね……どちらを担当いたしましょうか」
変態二人組が向かってこないのは鼻メガネが自分達の強さを知っているからだろうと香峯子は考える。そして今この時も鼻メガネが全身タイツに自分達の戦い方を教えているのだろうとも。
「お嬢様、さっきの全身タイツの攻撃、教えますね」
「わたくしに全身タイツを担当しろと?」
「鼻メガネは相性悪いかなって」
軽く微笑む五美に香峯子は微笑み返す。
「これで五分になりますね」
作戦会議を終えた二人は岩陰から出て、変態二人組へ向かう。
「そちらは任せましたわよ」
「お嬢様こそ。……あたしボディガードって名乗るのやめようかな」
相手の顔がはっきり見える位置に着くと同時に五美は全身タイツに肉薄する。
鋭い蹴りを全身タイツは受け止める――が受け止めきれない衝撃は全身タイツを勢い良くを彼方へ飛ばす。
「お嬢様、お願いします」
「チョベリグですわ!」
飛んで行った全身タイツを香峯子が追う。
それを確認する前に五美はその場から飛び下がる。
――瞬間辺りの空間がひしゃげる。
「あっぶな!」
「おーっと避けちゃうなんて、おじさん悲しいなぁ」
ステップを踏みながら鼻メガネは楽しむような声を滲ませる。
軽くも冷たい声音で五美は呟く。
「問答無用でぶっ飛ばす」
「若い子と遊べるなんておじさん嬉しいなぁ」
崩壊した世界の中、アンドロイドギャルと変態鼻メガネの戦いが今ここに始まる。
全身タイツを追った香峯子は走りながら五美からもらった情報を思い出す。
先ほどの飛ぶ斬撃には高濃度のリコペンが含まれていたらしく、全身タイツの手にはうっすらと赤く染まっており、切り裂いた地面にも断面が赤く変色していたらしい。
つまり全身タイツはリコペンを攻撃に転用できるというのが五美の推測だ。
「さすが、五美ですわね」
素直に感心をしているとわずかだが全身タイツの姿が見えてきた。
倒壊した家屋に埋まっていたのか全身タイツの辺りには土煙が立ち込める。
全身タイツが香峯子の姿を認めると、手足を軽く振り、脱力する。
「そのまま埋まっていればよろしくて?」
「……」
歩を緩めた香峯子は悠然と構え、全身タイツを観察する。
(五美の蹴りを受け止めた腕が赤く染まっていますわね……防御にも使えるとなりますと少々厄介ですわ)
無言のままの時間を互いに刻む中、先に動いたのは全身タイツだった。
全身タイツが縦に腕を振るうと地面を切り裂きながら斬撃が香峯子を襲う。横に飛んで斬撃を避けた香峯子だが次の瞬間縦ロールを縦に振る。
凄まじい音と同時に香峯子のブロンドの縦ロールが僅かに赤く染まる。
「横はずるくありませんこと?」
「……」
「まさか頭がトマトのせいで話せませんの?」
尚も飛んでくる斬撃を避け、時に受け止めながら香峯子は全身タイツに肉薄する。するとよだれをすする音が聞こえてくる。
「じゅるり?」
「トマト……へへ、トマトトマトリコペントマト、じゅるり」
「ああ、ただの声が小さいトマト好きですのね……」
縦ロールを使い全身タイツの両腕を締め付け、そのまま瓦礫の山に振り落とす。
「――ッ」
腕を封じられた全身タイツが足を振って飛ばしてきた斬撃をなんとか他の縦ロールで防ぎながら香峯子は距離を取る。
全身タイツが瓦礫を切り刻み姿を現す。その身体は先ほどのように一部だけではなく、全身が赤く染まっていた。
「完熟ですわね」
「――ッッ」
両手を突き上げた全身タイツの頭上に数多のミニトマトが現出する。全身タイツは手を振り下ろす、斬撃と共に数多のミニトマトが香峯子を襲う。
「食べ物を粗末にしたくありませんわよ!」
その時、ミニトマトが裂け、裂け目から牙を生やした。
「これなら問題ナッシングですわ!」
斬撃を避けた香峯子はミニトマトの大群を打ち落とし始めるが、すぐにミニトマトの大群から距離を取る。
「……やられましたわ」
見ると縦ロールのあちこちが噛まれ、所々が千切れてボサボサになっていた。
ミニトマトの大群は追い打ちをかけるように広く展開し、香峯子を囲う。
「酷いことをやってくれましたわね」
ミニトマトに囲まれながらも香峯子は全身タイツを射竦める。
その迫力に全身タイツは焦ったようにミニトマトの数を増やしはじめる。
「あらあら、過熟になってしまいますわよ」
香峯子を無数のミニトマトが囲う。
不敵に微笑む香峯子が縦ロール同士を擦るのと無数のミニトマトが香峯子を襲うのは同時だった。
鼻メガネは飛んでくる瓦礫を粉砕しながら声を弾ませる。
「おじさんにその攻撃は聞かないよぅ!」
瓦礫を蹴りとばし続ける五美は湧き立つ苛立ちを抑えながら観察する。
先程は空間を捻じ曲げていた鼻メガネはトマトに乗っ取られているせいか威力が上がっていたのだ。空間がひしゃげ、ありとあらゆる物体が粉砕されてしまう。
(あの空間にも高濃度のリコペンが漂っているねー……てかこのまま適当にやっとけば過熟通り越して腐って倒せるんじゃね?)
「ねえねえ、お名前教えてよお!」
鼻メガネはステップを踏みながらこちらへ向かってくる。
五美は気持ち悪さに顔を歪めながら距離を取る。
「やっぱ無理! ぶっ飛ばしたい!」
「やっぱ無理ぶっ飛ばしたいちゃんって言うのお? ユニークな名前だねぇ」
「うっっっざ!」
ステップを踏みながらにもかかわらず背泳ぎを超える程のとてつもない速度で移動する鼻メガネ。ステップを封じる方法がない限り五美には過熟によるタイムオーバー以外勝ち目はなかった。
「ねえ! おじさん何歳?」
「ええー、何歳に見えるかなあ?」
「わかんないからきーてるんだけど!」
「きみは制服着ているから高校生なのかな? じゃあおじさんはその三倍かなあ、いやいや、そこまで歳とってないよぅ!」
あまりの気持ち悪さに顔面蒼白になりながら五美は叫びながら駆け続ける。
「やっぱり若い子は元気だねえ、おじさんはもうそこまで動けないよお」
「とか言いながらスピード上げるのやめてくれますー?」
更に駆ける速度を上げる五美は本気で気持ち悪がりながらも冷静に思考をする。
それから暫く、残像が見える程の速度で追いかけあっているとき、遂に五美の狙っていたことが起こった。
「ぎゅあーッ、あッ脚が!」
「やっと足が止まったな! この変態鼻メガネ!」
五美は崩れ落ちる鼻メガネめがけて跳躍、頭から生えているトマトに狙いを定め、かかと落としを決める。
トマトが潰れたのを確認すると五美は鼻メガネに狙いを定めて回し蹴りを叩き込む。
鼻メガネが砕け散り、ただの変態になった変態は空の彼方へ飛んで行った。
「ちょースッキリ!」
清々しい表情で深呼吸をする五美は香峯子が向かった方に目を向ける。
「お嬢様を迎えに行きますか」
ずれた鞄をかけ直して香峯子の方へ駆け出すのだった。
ミニトマトが全方位から香峯子を覆った瞬間、香峯子の周囲に炎が渦巻く。
一瞬にして消し炭になったミニトマト払いながら、燃え盛る縦ロールを揺らめかし一歩一歩全身タイツに歩み寄る。
「焼きトマトにしてやりますわ」
香峯子に気圧されるように一歩一歩後ずさる全身タイツはやがて立ち止まり消し炭にされたミニトマトの無念を晴らそうと手を広げる。
すべての力を注ぎこんだトマトを現出させた全身タイツは両手でトマトを持ち、身体を捻じり力を溜める。
「トマトォォッ」
全身タイツの声が轟く。全身のバネを使い、地を蹴り高速回転。辺りを切り裂きながら香峯子へと肉薄する。
「大きな声を出せるじゃありませんの」
僅かに微笑んだ香峯子は炎を滾らせ、真正面から迎え撃つ。
炎を纏う縦ロールがトマトに突き刺さる。
とてつもない衝撃に身体が浮きそうになるのを香峯子は他の縦ロールを地面に刺すことで堪える。
拮抗しているように見えだが、それは長く続かず、徐々に縦ロールがトマトを消し炭に変えていく。
「燃えなさい」
囁くような声音と同時に縦ロールの炎がトマトを包み込む。
――そして残ったのは、全身緑のタイツの変態だけだった。
「髪の手入れ、大変ですわね」
深く息を吐いた香峯子は傷んだ自慢の縦ロールを優しく撫でる。
「お嬢様ー」
声のする方に顔を向けると、五美が大きく手を振りながらこちらへ駆けて来ていた。
香峯子の側に着くや否や五美は驚嘆の声を上げる。
「うっわ、お嬢様の髪だいぶ傷んでますね」
「はしゃぎすぎましたわ。これ、戻ります?」
「ちょっと待ってくださいね」
五美は鞄の中からヘアオイルを取り出した。
「座ってください」
腰を下した香峯子の後ろに回ると、五美はヘアオイルを丁寧になじませる。
すると瞬く間に傷み、くすんでいた髪は元通りの煌めくブロンドの縦ロールに戻った。
「これぐらいならよゆーで元に戻りますよ」
「よかったですわ」
「それじゃ少し休んでからいきましょーか」
この後に控える戦いに向け、二人はつかの間の休息をとるのだった。
「ところでこの全身タイツどうします?」
「毛布でも掛けておきましょうか」
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