第4話

「流石に食べ過ぎた」

 胃腸と体の大きさに関係が無いことを忘れて、調に乗って食べ過ぎてしまった。九十キロを超えた体は、好物といえども沢山の量を食べられる訳ではない。高校生で部活をしていた頃は、当たり前のように白米をお茶碗三杯ほど食べていた。しかし、いまはこの腹の膨らみが苦しい。腹を擦りながらベッドに横たわると、心地よい睡魔が襲ってきた。

「このまま寝るついでに、ゲームしてみるか」

 机の上に置いたタワーパソコンに電源を入れた。説明書によると、機体前面の三つのランプがそれぞれ点灯していれば問題なし。上から順番に、電源、インターネット接続、ヘッドギア。すべて緑色に点滅していることを確認して、ヘッドギアを装着した。

「あとは寝るだけだけ。にしても、ヘッドギアの異物感がすごくて、逆に寝にくいそうだな」

新しく手に入れたおもちゃでこれから遊ぶ、そんな純粋な子供のような期待感を胸に目を閉じた。


三十分後


「このゲーム、本当に寝ないと始まらないのかよ」

そう一人で突っ込みを入れながら、ベッドから上体を起こした。自分が思っているよりも睡魔が弱かった。むしろ、高揚感で目が覚めてしまい、この三十分間をひたすら瞼の裏を見て過ごした。これでは埒が明かないと感じて、一度ヘッドギアを外し、トイレに向かった。用を足し部屋に戻ろうとすると、父親が部屋の前に立っていた。

「おかえり」

「ああ、ただいま。いまちょっと良いか」

「いいけど」

「じゃあ、一階に行こう。母さんと一緒に話したいことがある」

 父親が階段を下りるに続けて付いていく。久しぶりに父親と言葉を交わした。だからか分からないが、目の前の父親の背中は、自分の記憶よりも少し小さくなったと感じた。父親はいつも温厚篤実な人間であった。自分と文乃が幼い頃は、毎日のように時間を作って遊んでくれていた。中学受験の頃は仕事が忙しいにも関わらず、志望校の過去問の研究や、苦手とする分野の勉強に根気強く付き合ってくれていた。母親とも仲が良く、自分から見た父親は尊敬ができる憧れの対象でもあった。

 一階の食卓には母親が既に座って二人を待っていた。父親は母親の隣に、自分は父親の前に座った。

「まずは二九歳の誕生日おめでとう。さっき、母さんから、今日の夕食は篤も一緒に食べたと聞いた。私も一緒に食べられなくて、申し訳なかった」

「いや、父さんが謝ることじゃないって。俺自身、自分の誕生日だって、忘れていたぐらいだし」

 母親は小さく微笑んだ。

「母さん、よっぽど嬉しかったのか、家に帰ってきたなりすぐに伝えてきたよ」

 今度は、恥ずかしそうに笑う母親。

「それで、今日は、前々からお母さんと考えていたことを伝える、良い機会なんじゃないかと思っている」

 部屋の前で話かけられて時から、父親の口調はいつもより硬かった。そして今、父親の言葉により強い意志を感じた。直感的に、この後の話は楽しい話題ではないことを感じ取って、緊張する。

「結論を先に言うと、三十歳になったら、この家から出て行って欲しい」

 父親はまっすぐにを自分を見ている。身構えていたものの、自分の予想を超えた言葉が出てきて、口が開かない。働いてほしい、ひきこもりをやめてほしい。そんなことを、きっといつか言われるだろうとは思っていた。しかし、家から出て行ってほしい。そこまで両親が見放したい、と考えているとは予想していなかった。

「なんで、今更言うんだ」

「母さんとはずっと相談していた。それで、やっぱりこのままの状態を続けるのは、父さんにもお母さんにも、そして篤にも良くないという話になった。篤だって、このままで良いとは考えていないだろ」

 父親の言葉は至極真っ当。だから、これ以上正論を投げかけないで欲しい。そんな思いで、食卓の木目を見つめた。

「ここまでの状況を許したこと自体は、父さんにも責任がある。だから、今すぐ出ていけとは言わない。一年間だけ猶予は与える。この一年をどう使うかは、篤次第だけれども、三十歳の誕生日には、必ず家から出て行ってもらう」

「出て、ってどう生きればいいんだ」

「色々な選択肢があるだろ。働いて、家を借りて、ご飯を食べてという生き方でもいい。自転車で日本一周してもいい。なんなら公園で寝泊まりして、炊き出しをもらうのでもいい」

「それじゃ、ホームレスじゃん。息子がホームレスでいいのかよ」

 父親の言い分が完全に正しい。そんなことは頭でわかっていても、居心地と機嫌が悪くなってきて、胸が苦しくなりだした。

「ホームレスだろうと、篤が選んだことを、父さんと母さんは受け入れる。私たち二人の願いは、篤が自分の人生と向き合って生きていることだ。篤にとってつらいこと経験したから、今こうして家にこもっているのも知っている。だからと言って、肯定し続ける時間は、もう、父さんも母さんも終わりに近づいていると考えている。今、篤には苦労して自立すること。そして私たちは、篤の苦労している姿を、もう一度見守ることが必要なんだ」

 顔を上げ、父親と母親の顔を見た。二人とも、同じ意志を持った顔をしている。

「でも本当に無理だって。だって、俺十九歳から今まで、引きこもっているんだよ。十年。その間ずーと怠けてた。そんなやつが、今更社会に出て、普通に生きていける訳ないじゃん」

「そうだな。難しいと思う」

「だったら!」

 一気に頭に血が上り、怒号を浴びせようとした。でも、その瞬間に目に入ってきた光景に驚いて、動きが止まってしまった。あの父親が静かに涙を流しながら、頭を下げている。

「本当に篤には苦労をかけると思う。もっと早く、篤に対してやれたことがあった。もっと上手く、父親として助けてあげることもできたかもしれない。そんなことを考えながら、父さんはずっと悩んでここまで来た。でも、結局何もしてやれてなかった。だから、二十代最後の一年というのが良い機会だと思った。強制的にでも、篤が自立できるようにする。それが、父さんができることで。きっと、篤のためになることだと思う。この通り、お願いだ」

「篤、私からもお願いします」と母親も頭を下げた。

「無理だって」

 小さい声で呟き、席を立った。両親には目もくれず、とにかく早くこの場から離れたい。そんな思いでリビングを出て、二階に戻るために階段に差し掛かかった。そこには、妹の文乃がうずくまっていた。文乃は顔を上げ、こちらをじっと見つめた。文乃はゆっくりと立ち上がり、無言で階段を上り始める。文乃は上まで登りきると、振り返ってこちらを見た。

「お父さんとお母さんに、ここまで苦労かけさせて、本当にダサいよ」

「うるせぇぇよ!」

 一度鎮静した怒りが、見当違いにも文乃に対して爆発した。そのまま階段を上り、怒りに任せて自分の部屋の扉を閉めた。怒りと情けなさと悲しみと、その他の表現できない感情が混ざりに混ざりあい、ベッドに向かって唸った。


 どのくらい時間がたったかは分からないが、唸り続けると、少しずつ冷静になり始める。スマホはどこだっけ、と机の上にある目をやると、そこにはヘッドギアあった。そして、【夢を見るようにゲームをプレイすることです】、というゲームの説明書の記憶が、唐突によみがえった。

「なぁ、本当なら、俺を現実から夢に連れてってくれよ」

 縋るように、ヘッドギアを装着する。今日に限って言えば、まだ4時間も活動していない。1時間前に、全く眠くならないことを確認したばかりである。それでも、情けない自分と、現実から逃げ出したいという衝動が、簡単に意識をゲームへと誘った。

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