第51話 平田優は振り返る

 愛生ちゃんが話し終えてから、じゃないか、話している間にもずっと、おれは過去の中にいた。


 『おばあちゃん』との思い出の中に、そしておれたちの思い出の中にだ。


 はじめて会ったのは、それこそ幼稚園の頃だったはずで、なにせ小学校の入学式に記念撮影した写真に一緒に写っているのだから。


 おれと愛生ちゃんと海羽ちゃんと祥子ちゃん、そして『おばあちゃん』。


 両親と三人のもの以外に、そんな写真がアルバムの中と記憶の中に残っている。


 同じ新築マンションに入居した四つの家族に、それぞれ同じ年頃の子供がいた。ってことなんだそうだ。幼稚園も一緒。


 そういった縁が幼馴染の関係を育み、小学校でも同じクラスだったおれたちはほとんどずっと四人で遊んでいた。


 多くは愛生ちゃんの家で。


 リビングを占拠してゲームをするおれたちを「上手だねぇ」と椅子に座った『おばあちゃん』が見守ってくれていた。


 近所の駄菓子屋に行きたい時には付いて来てくれて。


「お夕飯が食べられるだけにしなさい」


 節度、を教えてくれた。


 運動会でお昼ごはんに食べる『おばあちゃん』の手料理が、おれたちは大好きだった。


 奈多家の夕飯に子供が三人、増える事が多かったのもそういうわけだ。


 一緒に遊園地に行った。水族館に、動物園に。


 手芸を教えてくれて、今も続けているのは祥子ちゃんだけだけど。


 五つも回すお手玉の技は愛生ちゃんが受け継いで、たまにテレビで披露したりもしている。


「家族に教えてもらいました」


 大事だから、だろうか、そう答える愛生ちゃんが画面の中にいた。


 大切なものをみだりに晒したくはない。そういうことなのだろうと、おれは思っている。


 それが今はもう続いていないからこそ、なおのこと。


 『おばあちゃん』が倒れたのは、おれたちがまた奈多さんの家で卓を囲んでいる時で、本当に何の前触れもなく。


 どさり、と。


「おばあちゃん?」


 最初に声を掛けたのは奈多さんのお母さん。


 テーブルに突っ伏した『おばあちゃん』におれは、おれたちは、何も言えなかった。言わずに済んだ。


「おばあちゃん!!!」


 奈多さんのお母さんがすぐに血相を変えて『おばあちゃん』の体を揺すり、お父さんが「救急車、呼んだ方がいいな!?」なんて聞いたことのない大きな声を発しなければおれは、ご飯の時にテーブルに寝ちゃ駄目なんだよ、なんてことを言ってしまったと思う。一瞬、思ってしまったことを今だって、覚えているから。


 ただでさえ大変な時に、よその家の子を三人も面倒見られるわけもなく、救急車の次に連絡されたおれの両親が、それを他の家庭にも取り次いで、愛生ちゃん以外の三人は泣きながら自宅で一晩を明かすことになった。といっても、少ししたら泣き疲れて寝てしまったわけだけど。



 最初に面会、ガラス越しだけど、が許された日は、『おばあちゃん』は『おばあちゃん』ではなかった。


 帽子と呼吸器でほとんど顔がわからない。ひとつも動かない。


 10分も耐えられなくって、おれたちはあっという間に病院を後にした。


 それから、はじめに変わったのは愛生ちゃん。


 平日でも、学校があっても、病院に行くと言って聞かないからと、教室に見ることが少なくなった。


 そうして一度崩れはじめたものは、崩れきるまで止まらなかった。


 元々、四人で固まり過ぎていたおれたちは三人になって、陰鬱な雰囲気もあって、揶揄われ笑われ、そうして次に変わってしまったのは祥子ちゃんだった。


 学年が一つ違うから、クラスにどう人間関係を築いていたのか詳しくはわからないけど、同級生と喧嘩した、のだと、そういう話だけは聞こえてきた。


「なんもしてないもん! あっちがわるいのに!」


 わかってしまった。


 おれたちは学校に行っていたんじゃない。ただ四人でいただけ。


 自分たちが普通だと思っていたものは異常で、おれたちは停滞してしまっていたのだと。4年間も、おれたちは誰一人、世界を広げることをせずにいてしまった。


 すべては手遅れで、海羽ちゃんは「学校こわい」としゃくり上げ、おれは一人で自分の席に座る置物になって、それも半年は持たなかったし。


 それでも、どの家庭にも崩壊が伝染しなかったことだけは救いだ。


 家でなら、四人でなら普通に遊んで当たり前に笑えていたというのと、中学生になってからは登校だけはするようになったというのも、大きいかもしれない。


 一応、学校には行く。ただ同じ失敗をしないように、校内、外で、話すことはなくなった。


 そして中一の冬に、見た目だけは順調以上に成長した女の子三人に、どこからか話が持ち上がったわけだ。そのあたり、ちょっと寂しいけどおれはよく知らなくて「実はね」と聞かされた内容に「すごいね!」って返した。


 幼馴染の三人が、芸能人になる。アイドルになる。


 実感は伴わず、学校来なくていいのいいな、なんてことを先生とする体育の準備運動中に思った程度だった。


 この頃になると『おばあちゃん』は呼吸器は外して久しく、ただもうずっと一日の大半を眠って過ごしていた。


 放課後や休日に面会に行ってみても会話を出来ることは稀で、時には起きているのに反応はないなんてこともあった。


 その数少ない機会に、愛生ちゃんたちは報告した。


「私たちね、アイドルになるの。『おばあちゃん』と一緒にも見たよね。テレビの中でキラキラしてた女の子たちみたいに、私たちもああいう風になれるようにね、今、頑張ってるんだ」


 どこまで理解してもらえたのかはわからない。『おばあちゃん』は笑いかけてくれることもなく「よかったねぇ」と、それきりまた、穏やかな寝息を立てはじめたから。


 次の次、くらいの面会の時だったか、珍しくかなりさっぱりと起きている『おばあちゃん』は唐突に言った。


「やりたいこと、ちゃんとやりなさい。後悔はどうしたってするものだけれど、それが涙にならないように、やりたいことをやるんだよ。そうやって、笑って生きていきなさい。四人が笑って、みんなも笑顔になれるようにね。そういう、風に」


「うん。うん。だ、だから『おばあちゃん』も、『おばあちゃん』もまた、元気になってね。それで……見に来てね、私たちがちゃんと笑ってるとこ。みんなを笑顔にしてるところ」


「笑ってるところ……愛生が、笑って……」


「うん。……うん。うん」


「笑ってる……ところを……」


 言いながら、手を握る愛生ちゃんから、傍に立つおれたち、海羽ちゃんを、祥子ちゃんを、おれを、『おばあちゃん』はゆっくりと見回して、ゆっくりと瞼を閉じた。


「見に……」


「おばあちゃん!?」


「大丈夫、寝ただけだよ」


 心配する愛生ちゃんに、祥子ちゃんが優しく声を掛ける。


「『おばあちゃん』……今日は少し、話せたね。……アオ、祥子……がんばろう。わたしもがんばる」


 海羽ちゃんの真剣な声に二人も応えた。


 それをおれは、少し遠いところから眺めていた。そういう、気持ちだった。

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