第20話 前始末
メッセージは一文だった。
『星が綺麗ですよ』
「おい、曇りじゃねぇか」
「いま雲が出てきました。残念です」
呼ばれたからサンダルを引っ掛けてやったのにこの言い草である。
「いいけど。今日はあんまり長く付き合う気はないからな」
バスケの試合映像って、そりゃ当たり前だけど、あまり審判に着目して映していない。止めたり戻したりしながら、一時間くらい見ていたところだった。
それに風も強いから、お互いにベランダなんかに長居はしたくないはずだ。
「そうですか。いつもは長いですのに」
なにが「はぁ」だ。
「不満なら終わってもいいんだけど?」
「それはお互い困るではないですか。もう少しは、続けましょう?」
星は大して見えないが、月は綺麗だ。
「なにか話すことあったっけか?」
「ひどい。いくらでもあるではないですか。……今日の晩御飯は何を食べました?」
「ないやつぅ」
「私はお鍋を作りました」
「冬のイメージだけど……何鍋?」
「……お鍋はお鍋です」
「あぁ、そう」
凝った料理を作るかと思えばこういうところもあり。
てかなんで「髪切ったな。ばっさり」そういうことをさらりとやっているのか。
「明日に備えてです。たまたま床屋が目についたので」
「美容院じゃなく?」
「はぁ、どちらでもよいですけど、あそこはおそらく床屋に分類されるお店だったかと」
仕切り越しに見る顔形に俺が覚える違和感は「そういえば店主らしき人も気にしてましたね、うちでいいのか、と」たぶんその店主さんの半分くらいか。
年頃の女の子が行くのはやはり美容院だと思うんだ。偏見だけど、そういうものでしょ。
「長い方がお好みでしたか?」
「あぁ。ロング至上主義なんだ俺」
広がる髪が「広がる髪が好きと」。
「え、こわ。なんでバレた」
「えぇ……正解ですか……ドン引きです」
最近は女子に引かれる事ばっかりな気がする。
「晩御飯は、ピラフ食べた」
「そうですか」
興味なさそうだし、興味ないのだろう。
「たしかにせい……いの……が……しい?」
途切れ途切れの独り言を補完しても碌でもない文章が出来上がるだけだろうから聞き流しておいた。
そんなに、顎に指添えて真剣に思い出さないでいただきたい。
「あぁ、いえ、こんな話をしたかったのではなく」
パン、と手のひらを合わせた隣人はにっこりと笑みを浮かべた。
「球技大会、楽しみにしていますね、あなたの結果」
「俺は審判だよ」
「ええ、聞き及んでいます」
「そうか」
まったく、どこでなにをどこまで、聞いて理解しているのやら。
楽しいだけの球技大会にはならない。
だからこそ、良かったと思える結果だけは。
○
月に叢雲かかるとも、花、風に散らず。
○
「こんなところに呼び出されるってことは、そういうことなのかな?」
「そういうことだな」
球技大会の朝、早い時間に、俺は御堂さんと桜の木の下で会っていた。
更に早い時間に学校に来ていた俺はとっくに体操服だが、御堂さんは登校そのままこの場所に来たようで、制服な上に鞄も肩に提げている。
「どきどきしちゃう」
そういう御堂さんは流石に「はっ」と鼻で笑ってしまってもいいだろう。
「呼び出されたくらいでそんなんじゃ、心臓が持たないだろ。なぁ、学年一モテる御堂さん」
「すっごい嫌な感じだね。心配しなくても、木村君は私のタイプじゃないよ」
その発言にはこっちがびっくりだ。
どこまで見透かしているんだよ。俺の臆病からの牽制が意味を成さないだろうが。
神辺さんに近づきすぎて、なくてよかったはずの傷までつけさせてしまったことが、俺を少し怖気づかせている。てか、そういうことなら御堂さんにはそんな心配するだけ損か? もしかして。
「はぁ、そうか。それはよかった。感じ悪いのはわるかったよ」
「そういうところは、素直でかわいいかな」
うへぇ。こと色恋関連の綱引きじゃ、御堂さんに手も足も出なさそうだ。
「わるかった、わるかったよ。それで用件なんだけどな」
「待って。その前に……その桜の木にもうちょっと寄ってくれる?」
「……はぁ?」
まるで意図が分からないが、呼びつけたのは俺だし、時間もそう余裕があるわけじゃないから、問答はせずにとりあえず、徐にスマホを取り出した御堂さんの言う通りにする。
「これでいいか?」
「うんうん。それでそうだなぁ……桜の花の方、上の方見て。自然体でね。あ、背中は向けないで。こっちには45度くらい体の正面が向く感じの位置……そう、そのへんだね。それで上向いて……はい、おっけーでーす」
うん。なんでモデルの真似事やらされた?
「あの、それなにに使うんでしょうか……?」
もう若干こわいくらいだから敬語も出るよね。
「大丈夫、そのうちわかるから」
わかればいい問題じゃないんだよなぁ。しかもそのうち、じゃ不安しかないんだよなぁ。
「悪用はしてくれるなよ」
「とんでもない。きっと良いこと、あるんじゃないかな」
こわいこわいこわい。
「いやマジで何に使うんだよ、教えろ」
「んー、そんなことより早くした方がいいんじゃないかなー、誰のために朝の貴重な時間を使ってあげてるんだっけなー」
頬っぺた引き攣りすぎて裂けそ。
完全に予定外の一幕に出鼻を挫かれた気分を立て直し、改めて御堂さんと向かい合う。
「どきどき」
「いやもういいから。今日の球技大会、神辺さんには近づくな」
「あは、命令? お願いならそれなりの言い方してよ」
「いや、今回ばかりは、頼んでんじゃねぇんだ。近づくな、って言ってる」
「亭主関白は時代遅れだと思うけど」
「御堂さん。本気だ。神辺さんに、近づくな」
「向こうから来ることもあると思うけど」
「最低限で終わらせろ。接触も会話も。なにもずっとなんて言わない、今日だけでいい、今日だけでいいから、神辺さんに何もするな」
「神辺さん以外ならいいってこと?」
「それで通そうってんなら、こっちも今後はやり方を考えさせてもらう」
神辺さんに近づくな、を言葉通りに受け取るしか出来ない御堂さんではない。敢えてそうするというなら、それは神辺さんに近づくのと同義だ。
「そう。どこまでわかってそんなこと言っているのか、聞かせてもらえるかな?」
「このまえ、神辺さんと俺が付き合えばいいと言ったよな。あれは、神辺さんと誰でもよかったんだろ。俺じゃなくても。たまたまその時、神辺さんに一番近かったのが俺だからそう言っただけで」
「本気じゃないとも言ったと思ったけど」
「冗談でもないってな。そして神辺さんを誰かと付き合わせたい、神辺さんに彼氏を作りたいのは、清川に神辺さんを諦めさせるためだよな?」
「へぇ、さすがに恋敵ってこと?」
「本当に清川が神辺さんを好きなのかは重要じゃない。そう思ってる人がいるってことだ。少なくとも、御堂さんに相談するくらいには、本気で、そう思ってる誰かが」
「気持ち悪いね」
「くらいって付けてくれ」
大野さんといい、そんなに俺は気持ち悪いですかそうですか。悲しい。
「誰かは知らない。御堂さんがどこまでやることを約束したのかも当然知らない。これが俺の知ってること、といっても、予想が大部分だけどな」
そして気持ち悪いくらいには当たっている。ということだ。
御堂さんは地面に目を落とした。じっとしているのは、体だけなのだろう。
何を考え、どう考えたのか、御堂さんは顔を上げると少しほほ笑んだ。
「それでもし今日、神辺さんと清川君が付き合いだしたりしたら、私は全然、正しくないよね?」
「正しい……が、恋愛相談に約束したことを果たすって意味なら、そうなるかもな」
御堂さんが再び俯くから、俺は畳み掛けることにした。
「でも、そうはならない。させない。神辺さんは今日、バスケ部に、バスケに戻る。そんで……そうなれば、神辺さんがそう近いうちに、他人を視界に入れることはないはずだ。誰にしろ……清川にしろ。なら、その誰かにもまだチャンスがあるだろ。機会が、時間が。そこから先は何も言わないし、逆に俺が何かすることもない。清川のためにも動かない。それで手を打ってくれ」
御堂さんは半分、俺たちの仲間だ。古賀さんと友人というのが大きいが、つまり今日やることをかなり詳細に知っている。
その結果に関わらず、大きく変わるものがあるってことも、理解しているはずだ。それが何で、どう変わるかはわからないが、今まで通りには戻らないのだと。
あるいは清川と神辺さんが恋人同士になるなんてことも、充分に有り得る。そしてきっとその可能性は、俺たちの身勝手が失敗に終わった時にこそ、起こり易いことだろう。
「信じてくれ。御堂さんを間違わせはしない」
「……本気で言ってる? 本気でこんな穴だらけの、気持ちしかないような、気持ちに訴えるだけのやり方が、上手くいくって、そう信じてるの? 私にも信じろっていうの?」
「あぁ。俺たちは信じてる。だから、御堂さんは俺を信じろ。俺がやるって言ったことが、そうなると、信じろ」
御堂さんは「傲慢」と笑う。その通りだ。
「自意識過剰で、笑っちゃう。そんなに自信満々だと、逆に腹は立たないものだね」
「そうだろ? なぁ、俺は昨日の小テスト、満点をとってみせただろ」
「そうだね。私が一問、落とした問題も正解して、唯一の百点満点」
頷く。それで伝われと念じながら。
「ほんと、笑えない。……いいよ、信じてあげる。ねぇ、裏切ったら……ひどいよ?」
裏切るなんてひどい。という温い文句ではない。裏切ればひどくし返すのだと、そう言われている。
「裏切らなきゃいいだけだ。ありがとな、信じることを選んでくれて」
万に一つの懸念を除けたことに安堵し、御堂さんと別れて教室に向かう。いや御堂さんも教室に行くんだけど、連れ立っては面倒というか、既に登校している男子連中との雑談を、便所、てことで抜けて来てるからさっさと戻りたいのだ。
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