第15話 神辺美玖は文句が言いたい
不満気、というものの体現だった。
週の初めの昼休みに、体育館にまでわざわざ足を運んでもらったのだし、気持ちはわからないでもない。などと言えばいよいよへそを曲げてしまいそうかな。
パスして即、三倍くらい強烈に返ってきたバスケボールに思う。
「言いたいこと、いっぱいあるんだけど」
「俺もだ。でもま、とりあえず約束からこなしてこうか。それ、ケーキな。レアチーズケーキ」
体育館の入口に机を出しておいた。その上にちょこんと乗っかっているのが、俺から神辺さんへの約束の品だ。
「そのケーキが好きだってのは、清川に聞いた」
中学の頃、たまに一緒に帰った時なんかに時々、買ってたよ、と。
それが二人でなのか、三人でなのか、はたまた俺が名前すら知らない誰彼と一緒になのか。それを言わなかったし訊かなかった。
「ちゃんと保冷剤入ってるから」
「気が利く、ってこともないか。当然でしょ、そのくらい」
一瞥してまるで興味がないかのように神辺さんは小さな箱に、机に近づくこともなくコートに入ってくる。入口側のサイドラインの真ん中に陣取る俺からは、少し距離を置いてである。
ボールを置き。
「神辺さん。なんでもいいから言ってみてよ。ファウルでもバイオレーションでも」
「チャージング」
『手のひらを拳で叩く』
「ホールディング」
『腕を突き出し手首を掴む』
「ブロッキング」
『両手を腰にあてる』
馴染みのある、そうでなくとも何となく聞いたことのあるような単語が続いた。
「意外と様になってるね」
「意外は余計だ」
体操服に着替えて審判員用に配られたビブス(全競技共通)まで着用している。
明日は一日、この格好だ。
「じゃあ……パスを受けました。パスもドリブルもシュートもしないまま何秒以上持ってちゃいけない?」
「5秒」
他にもいくつか、問われては答え、五つほど続けた頃になって神辺さんが「木村は」と零した。
「審判員にでもなるの?」
「それもありかもな……冗談だよ」
睨まれたのですぐに訂正する。
「教える事なんてなさそうだね」
「そうでもないさ」
ということで、実演で更に数個のルールを確認させてもらって「やっぱり教えられる事ないし」と言われる程度にはここ数日の成果を披露しておいた。
「うざいね、そういうとこ」
「もし神辺さんが俺の立場だったとしても……こんくらいの予習はするだろ」
「そうかも」
「だろ? やれることくらいは、やんないとな」
「……なんか……」
違和感がある。と、言いたいのだろうと思う。
そしてそれは正しい直感だ。
なにもバスケットボールのルール講座をしてもらうためだけに、頭下げて体育館を貸し切ったのではない。生徒会長さんが懐の深い人であってよかったし、この学校が生徒主導の校風でよかった。
校舎から体育館に続く渡り廊下は一本で、そこに『利用不可』の看板を出しておけば滅多なことでは
日頃、昼休憩に練習や遊ぶために体育館を利用している人たちには申し訳ないが。
例えば古賀さんだとか。
一応、知る限りは個別に伝えてある。
「俺ってそこそこ、いろんなことをそれなり以上にはこなせるんだよな。大抵のことはやればまぁ、出来る」
証明にはならないが、スリーポイントシュートを決める。
入ってよかった。本当に。大口叩いてはいるが、内心じゃビクビクなんだ。これ外してたらダサかったよなぁ。
「自分で言うのは、ナルシストっぽくてちょっとキモいかな」
神辺さんは僅かばかりは笑うが。
「でもじゃあやっぱ、あたしは……いらなかったんじゃん」
すぐに目線を下げてしまう。
「それは誰と比べてだ?」
ペイントエリア外縁から放ったボールもゴールに吸い込まれてくれてよかったよかった。
「どういうこと……?」
不満ではない、不快……そして苛立ちだ。神辺さんの声、それと振り返って目にした表情にも、それらがはっきりと滲んでいた。
「
「なんっ……!?」
驚愕に息を呑むことと怒りに声を荒げることがいっぺんに起きると人間、言葉が言葉にならないものだ。
神辺さんは言葉を詰まらせ、ただ、見開いた瞳から驚きの色が抜ければ、敵意にも似た憤怒しか残っていなかった。
「なんで、木村が、木村に、そんなこと……そんなこと言われないといけないの!?」
「『神辺姉妹』―――『神辺姉妹の姉の方』なんだって?」
「だからっなにっ。怒るよ?」
もう怒ってるよね? とは流石に言えない。
「前に話した、神辺さんがバスケやってるの見たいって話……バスケやって欲しいって話なんだけどな、あれ、けっこう本気なんだ。本気で、バスケを続けて欲しいと思ってる」
「意味が、わからない。いまそれ関係ないじゃん。……なんで木村が、そんなこと、そんな風に思うの? あたしの勝手じゃん、バスケやろうが……辞めようが。文句言われる筋合いないってこと。放っておいてよ、あたしなんか」
「そりゃ、神辺さんからしたら、筋合いも何もないけどな」
バスケットボールを拾う。デカくて硬くて、重いボールだ。
「でも、見てらんないと思っちゃったんだよな。やりたいのにやろうとしない神辺さんを見てたらさ」
力を込めてパスを出す。おそらくは女子にやるべきではないほどの強さで。
それを神辺さんは難なく受け止める。
「やりたいなんて、言ってない。……むしろやりたくないって、辞めたんだって、そう言ったよね?」
そう、そこからだ。
妹さんの名前を出して動揺を誘ったが、まずそこを覆さなければいけない。
そしてそれは、あまりにも簡単なことだ。
投げたのと同じ力強さで戻ってきたボールをキャッチする。
「辞めた。やりたくない。ね。……じゃあなんで、男バスでマネージャーなんかやってんだよ。なんで部活に、バスケに真剣じゃない部員どもにイライラしてんだよ。なんで今も、爪を綺麗に、短く整えてるんだよ」
「それは……」
神辺美玖は本当はバスケを続けたい。そう言うにはあまりに薄い根拠だ。
単にマネージャー業に興味があったでも、バスケは辞めたけど他に気になる部活もなかったでも。
苛立ってなどいないでも、練習を真面目にやるのは当然だからでも。
爪は短い方がいいでしょでも、付け爪の方がおしゃれしやすいでも。
いくらでも否定出来る。
本心からやりたくないのであれば、どれも大した言動じゃない。やりたくないに矛盾しない。
だからきっと無意識で。
だからきっと。
「そういうのを、未練があるって言うんじゃないのかよ」
一回、二回、とバウンドするように出したパスは、神辺さんの両手にすっぽりと収まった。
神辺さんはそうして、ボールをじっと見つめはじめる。
思うところがあるのだろう。そうさせているのだし。
ところで制服女子にボール(ある程度以上の大きさ)って、なんか良いよね。
非日常感ってやつのおかげだろうか。
神辺さんが押し黙っている間、俺は暇である。
認められなければまだ数枚、カードを切るが……。
その必要はないようで、神辺さんは一つボールをついてから、パスを寄越してきた。強くも弱くもない、あまりに受け止めやすいパスだった。
「やりたくないのは、嘘。でも、辞めたのは本当だから」
いつもは強気な目尻が下がっていると、その微笑は、笑おうとしているだけにしか見えないのだ。
あの日、駅の改札前に会った時と同じように、笑えないのだと、そう見えてしまうのだ。
ここからだ。ここからやっと。
話が出来る。
ぐるっと体育館を一周見回した神辺さんは「そうだな……いっか」と入口にほど近い壁際まで歩いて、そっと腰を下ろした。
「木村も。ほら、こっち。……疲れちゃうから」
いやに優しい声音に、逆におっかなびっくりって心持ちだ。
とりあえずは言われたとおりに傍にいき、胡坐をかく。向かい合うことはせず、互いに体育館を見渡すような恰好。そうすべきだと思った。神辺さんの視界を遮るべきではないと。
「ちょっとだけは長くなるから……先に文句だけ言っていい?」
「えぁ?」
変な声出た。それは随分、すかされた気分なんだが……。
「あー、まぁ、いいけど……お手柔らかに頼む」
「無理」
○
隣り合って座って、一緒に広い体育館内を見てる。
だだっ広い。
バスケットコートは広くて、体育館は広くて。
とても静か。
だから、あたしの文句が、響いてくれるといい。
「バスケのルール、教えてなんて言うから、あたし復習したんだけど」
木村は何も言わない。聞く態勢ってやつなのかな。
「ちゃんと教えてあげなきゃって思って……本とか読み返して……頑張ったって程じゃないけど、ちゃんと」
やっぱり、何も言わない。
「最近の体育、球技大会の練習してるけど、一回も話してないよね。ルール教えるの『あ、みんなのいるとこじゃしないのかな』って、思った……これは、合ってはいたね」
それと、目を瞑って思い出すのはクラスの人たち、他クラスの人たち、味方として相手として、バスケの試合をした人たち。その中に、古賀さんの姿はない。女バスの人たちの姿が、一つも。
「また来るかなって、あの桜の木のとこ行ってみたこともあるし」
と言って思い出す。
「そうだ結局、桜の花びら、見つからなかったんだけど……見間違いだったんじゃないの?」
「それはない。たしかに見た。見つからないなら……どっかいっちまったんだろ」
言い方か、事実か、何かがまたあたしの心に引っ掛かって、喉が鳴る。
遅咲きの桜の花弁に一つ、噂がある。
『成就』
その花弁を手に入れることが出来たなら、『願いが叶う』と。よくある縁起話。
転じて、思春期にありがちな噂として『恋が実る』と。
遅く咲いて長く咲いて、一片の欠けすらないまま。その最期は決して人に見られず一晩の内に消えるように散るという不思議な桜。
だから、そんな噂があって。
それを『どっかいっちまった』と言う木村は、知っているのだろうか、知らないのだろうか。
どんな意味を込めて言ったのか、それとも意味なんてないの?
あたしは頭を冷やしたくて抱え込んだ両膝に顔を埋めた。
深呼吸というほどじゃないけど、大きめに息を吐いて、吸って、吐く。よし。
「先週の木曜と金曜、御堂さんと大野と遊んだでしょ。二人で。その前にはあたしと喫茶店行ってるし。木村はいつか……痛い目見ればいいよ」
「それは勘弁願いたいから弁明するけど。御堂さんとは勉強会で、大野さんとは、大野さんのストレス発散に付き合わされただけだ」
「ストレス発散? 勉強会は、まぁ、二人とも『成績優秀者』だし御堂さんなんて学年一位だから、わからなくもないけど……」
「大野さんのお兄さん、今年から大学生なんだけど、留学してるそうなんだ、アメリカに」
「アメリカ……」
大野に兄がいるのは聞いている。大学生というのも。でも学歴なんて知らなかったし、ましてや留学のことなんて。
親友と呼ぶには浅いけど、クラスの中では仲のいい友達のあたしが、知らないこと。
なんで木村が知ってるの。って、たぶん、顔に出ていたのかもしれない。
「それで、俺にもキョウダイが、妹がいるんだけど、それでなんか……話すようになった。愚痴とか聞かされてる、お兄さん関連の」
いきなり軽薄になった会話は「ほんとなんで……そうなったのか」言外に、わからない、と肩を竦める木村がおかしくって、あたしも釣られて首を傾げることになった。
「それは……うん、わかった」
としか言いようがないというか。
ちょっと変なところに会話が流れてしまって、あたしは特に意味もないのに右足首を握ってみたりする。
「木村、妹いたんだね」
知れて嬉しく思う。今知って、悲しく思う。
「いる。可愛い妹が。妹の話は脱線になるから、いつかな。文句ってか雑談みたいになってるけど、言いたいことあるんだろ? 神辺さんの話したい方、話してくれ」
「うん」
でも、ちゃんと『文句』だよ。
「噂、否定したでしょ。したというか、させたというか。御堂さんとも最近、仲良いよね」
「噂はどんな尾ひれがつくかわかったもんじゃないから早めに取り消しといた方がいいと思ったし、御堂さんとはテストの勝負以降、前より少し距離感なくなったな」
「噂されるの、嫌だったんだ?」
「嫌、てか……あー……間違った噂はまぁ、迷惑になるだろ、俺にも、神辺さんにも」
そう言うと思った。のはほんとで、でもそれを伝える気分にはならない。
噂、か。
あたしと清川なんかはもう『そうじゃない』ことをわかってる人も多くて、噂になることすらない。
だから噂が立つ程度のことすら、煩わしくもちょっとくらい、期待、したんだけどなぁ。
周りに押されて急かされて、それならどうせなら、なんてものも幾つかは見てきた。
あれ? と引っ掛かる、引っ掛かってしまった。
そういうの、あたしは。
軽率だって思っていなかったっけ?
……思ったより……思ったより、傷は深くなりそう。
「金曜、先週の金曜、朝、見てたのに黙って行っちゃったよね。声くらいかけてくれてもよかったのに」
「そんな雰囲気じゃなかっただろ」
「中間試験の勝負、みんなとやるのに誘ってくれなかった」
「清川から、誘って断られたって聞いたしな」
「日曜、電話したのに無視した」
「まて、それは違うよな? 電話には出られなかったけど、そのあとチャットは反応したろ」
「『いま無理。何の用だ』てね」
「あぁ、そんで『じゃあまた今度』って」
「それで、終わったよね」
今にして思えば、あたしは、この時にもっと踏み出すべきだったのだろうか。
そうすれば何か変わったのだろうか。
それとも、何も変わらなかった? 踏み出したとして、意味などなかった?
「ケーキ、あんなつもりじゃなかった」
なら、今更、そうしてしまうことに意味は……。
「またあの喫茶店でもいいし、別のとこでもよかったし……一緒に食べに行くつもりだった」
「そうか。それは……その可能性は、考えてなかったな」
涙は出ない。そんなはっきりとした色なんかではないから。
桜の花びらのような、淡い、淡い色味だ。薄く、美しい。
さらりと空に舞い、溶けてしまうような。
でもちょっとだけ、悔しいのは悔しくて。
「じゃあ、なんで……なんでそんなに、あたしなんかに構うの?」
それはあたしの。
意地の悪さか、悪あがきか。
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