第12話 事情
「お待たせ」
「俺も今来たとこだよ」
部活を終えた生徒たちの下校は存外、まちまちだ。
通常は放課活動を終了する時刻になっても、最終下校ではないし、前後に時間幅をもって疎らに好き勝手校門を出ていく。
それを見送っていただけの俺にも、ようやっと待ち人がやって来たという次第だ。
なお、一度言ってみたかっただけ、今来たとこ。
「じゃ、行くか」
「腕は組まないの?」
「チキンレースをする気はないなぁ」
俺は構わない、私も別にいいよ、で相手が折れるのを待つ駆け引きとも呼べない意地の張り合いは、出来れば遠慮願いたい。
「いまから疲れてたら、持たないだろ」
「そうかもね。うん、じゃあ、行こっか」
一旦は駅まで歩いてから、少し戻る形で図書館へとたどり着く。
遠回りは遠回りだが、コンビニにも寄りたかったので丁度よかった。
おにぎりで口を塞げば、御堂さんとの会話もないから楽だし。
「学習室なんてあるんだね」
「はじめてだったか?」
「うん。木村君はけっこう使うんだ? ここ」
「部活でな」
「部活で?」
「テーブルトーク部」
が、どういった部活動であるか。神辺さんに説明した焼き直しに対し同じように「木村君が、読み聞かせ……」と怪訝そうな顔を見せてくれる御堂さんだった。
多々良先生ほどには恐ろしい人相ではないはずなのだけれどな。頬から顎にかけての切り傷の跡とか、俺にはないぞ。
学習室は二つあって、今いる方は常識の範囲内で私語が許可されている、勉強会やちょっとした会合用みたいな一室だ。
ブース制でもなく、間仕切りのない空間に五台、丸テーブルが点在している。秘密の話は出来ないが、窓際に設けられた個人スペースに肩を並べれば、余程でなければ誰に会話を聞かれることもない。
「とりあえず、勉学の秘訣でも伝授してもらおうか」
「そんな大層なものじゃないけど……」
中間テストに出題された範囲は逆に問題ない。テストの返却時に、丁寧に解答解法を記した用紙も一緒に配られたから。こういうところ、学校側のサポートの厚さを感じる。
だから出題されなかった範囲こそ復習しておきたいわけだけれど。
間違えた問から逆算するように「じゃあここ、この定理は応用できる?」とか「語呂合わせもいいけど、もっとストーリーとして覚えちゃってもいいかもね。私はそうしてる」とか。
実際に見せてもらったノートに理路整然と纏められた内容とか。
あと単純に字が綺麗だなと思ったり。
「御堂さんって……すげーな」
「いまさら気付いた?」
「改めて思った。俺が理解出来てないとことか……出来てるつもりで出来てなかったとことか、よくまぁそんなにわかるもんだな」
ほんの三十分の内に指摘されメモ書きした内容を見るに、俺より俺のことわかってるレベル。
「先生になれば?」
「それは嫌かな」
どうしてだ、という思いで見遣れば「学生の相手なんて、絶対嫌」と返ってくる。
「自分も今まさに高校生だろうに」
「それはどうしようもないでしょ? それに私は先生方に迷惑かけたりもしてないし」
「それはそうだな」
むしろ助けている。もちろん生徒の立場からの、ちょっとしたことではあろうが。
学級委員としての役割だけではなく、御堂理花という生徒は、同じ生徒の俺から見ても、教師の側にいる、というように感じられることすらある。
「あとは、どのあたりの問題がテストに出るかだけど……」
「おぉ、あるのかそういうの、やっぱ」
それだよそれ。紀字高校の教師方々はマジで一切、全く全然、出題範囲を匂わせないのだ。中学の経験じゃ、明言か言外かはそれぞれとはいえ「ここ、大事だぞ」くらいは言ってくれていたのに。
「なんとなく、なんだよねぇ。ここらへん出そうだなぁって。授業中に思ったり、家で復習してる時に思ったり。ちょっと、うん、教えられるような感覚じゃないかも」
「……そうか。それは残念だな……それが一番知りたかったのに」
「それもどうなの」
御堂さんのおかげで自身の不足を知り、同時に分の悪すぎる賭けだったと期末試験に憂鬱を覚え、テーブルに広げた問題用紙や解答用紙はそのままにしておく。
「そろそろ本題、話すか」
こくりと頷いた御堂さんも、あまり帰宅が遅くなってはよくないだろう。
「どうせもう、ある程度はわかってるんだろ?」
「うん。……先に謝っておく、ごめん」
「別にいいけどな」
他人が軽く調べた程度でわかる範疇なら。
御堂さんもそう重く考えていないようで、一応の礼儀みたいなものとしての謝罪って感じだ。
「あのあと、答え合わせ……調べたら、やっぱり、あった、木村君の名前。
あの人、か。
誰も彼も。
名前を呼んではいけないのかな?
「なんで……ちょっと笑ってるの……?」
「いや、それで……事故の記事だか見たんだな。まぁちょっとは、それなりに話題になったらしいもんな。すぐ出てきただろ」
名前を入力して検索。関連ワードで再検索。なんて素晴らしきネット社会。過去を蓄積していった先、人類みんなでいつまでも心痛め続けるつもりだろうか。
「うん。それ以上は……そういう普通に、簡単に出来ちゃうことしか、してないから……それ以上は訊かないし、答え合わせはもう、おしまいにする」
御堂さんは人でなしではないようで、必要以上に正誤も真偽も、詳細も求めてこなかった。そんなところは、やはり根っこで良い人ではあるんだなと思う。
調べればすぐにわかることだ。
よくある交通事故。
乗用車の運転手が過労で意識を失った結果、昼間の大通りをゆく人波に突っ込んだ。幸いにして死者は出なかったから、大々的な報道はされていない。
ただ、その時に盛大に人生が変わった人間が二人いて、二人だけではないが、兎にも角にも、それがあの人であり、俺なのだった。
まったく、よくある事故の一つである。
「びっくりしたろ」
「ちょっとね。……やっぱり、そういうことなんだよね? どこをどうとか、訊く気はないけど……陸上部に入らなかったのは、陸上、続けなかったのは、体のせいなんだって」
「……これは俺の自意識過剰だけど……俺に対して思うことがあるなら、それは御堂さんの感傷だからな」
「わかってる」
ならいいけど。
「それで今度は俺が、ごめん、なんだけど……会う気はあるのか?」
御堂さんは一度瞑目してから口を開いた。
「むしろなんで、木村君が会わせようなんて考えるの? ねぇ、それ、それこそ、木村君の自己満足なんじゃないの?」
「そうだぞ。俺が心残り……満足するためだけに、二人がちゃんと話せればいいって思ってる」
「自分は他人に踏み込ませないくせに」
「んなこたない。踏み込んでくるならくるで構わないよ」
あるいはこうして、誰かに吐き出したいのかもしれないし。
「……なんか狡い」
「弱者の強さってやつだな。ちなみに、あの人の方には、まだ何も伝えてないぞ」
「……本当に狡い」
椅子を引き「ちょい手洗い」と席を外す。
電話でもメールでも、チャットでもSNSでも、連絡手段はいくらでもある。
そのどれをも選ばずに、『会いたい』を伝えずに『会わせて』とは。
「ほんと、面倒な先輩だよ」
尊大なくらい自信に溢れ、そのくせ妙に小心なあの人に俺は生涯、頭が上がらないのだ。
席に戻ると、御堂さんはスマホを操作していた。相当、集中しているようで、すぐ横にまで来たというのに気付いている様子がない。
椅子を鳴らしつつ「戻った。待っとけばいいか?」と問いかける。
「あ。……ううん。大丈夫」
御堂さんはすぐにスマホを仕舞った。
そういうことなら、先程の続きをよいだろうか。
「会うかどうかは、すぐに決めなくていいというか、会う気になるまで、多少は待つから。焦って会おうとはしなくていいからな」
しっかと目と目が合っている今の状況は、早めに解消したいけど。
俺から逸らすのは負けのような気がするから、御堂さんの動き待ちだ。
たっぷりと十秒はしてから窓の外に移った目は、空を見ているのか、向かいのビルでも見ているのか。
「わかった、ちゃんと考えておく。もし、私がやっぱり会いたくないって……どうしても会いたくないって思ったら、期末試験の勝負はなかったことになるの?」
「いや? そん時は無理にでも会ってもらう」
「向こうが会いたくないって言ったら?」
「会わせるさ。嘘でもなんでも使ってな。勝負で俺が勝った時に、その約束を守らない御堂さんじゃないよな?」
「あはは。ひっど。それ、ひどくない? 自己満どころか自己チューだよね、そんなの」
「そうだな。でもま、勝負だから。降りてもいいぞ」
「勝負なら、私が会いたい……会いたいと思って自分で連絡とったりしたら、木村君はどうするの? 勝負を降りる?」
「その時は純粋にデートしようか。その時までに御堂さんに彼氏とか、好きな人でも出来たら別だけどな」
「……そう……安心した」
その一言に、俺は警戒感しか覚えないんですけどね。勝負がなくなるわけじゃないことに安堵するほど、勝った時のあれこれを好き勝手考えているらしいなんて。
古賀さんを紹介してもらった時の割に合わない見返りほどの、一筋縄ではいかない要求は勘弁願いたいものだが。
○
図書館の閉館は待たず、上土の駅前に御堂さんと別れ、バスと電車を乗り継ぎ家に辿り着く。
道中立ち寄ったスーパーで購入したものを、冷蔵庫やら洗面所やらに収納し、風呂と食事を済ませれば、今日はもう何をする予定もない。ただ寝るには早いから、撮り溜めていたアニメを消化しながら最近の事を頭の中に整理してみたりする。
まず直近にあったのが中間試験で、これは我ながら良い結果だったと思う。『成績優秀者』にも名を連ね、その恩恵としての奨学金(微々たるものだが)を得ることに成功した。
一人暮らしにおける全ての金銭的負担は両親に圧し掛かっており、それを少しとはいえ軽減できたはずだ。早く、バイトをはじめないと。
試験、でいえば、友人たちの思い付きで行われた点数勝負には参加してよかった。今日の昼に一食分の食費が浮いたことも助かったが、なによりそれなりに大所帯で楽しく同じ卓を囲めた。いや、人数が人数だったからテーブル二つ使ったけどそういうことではなく。
今度は勝負じゃなく、みんなでテスト勉強しようと、そういう話にもなっている。いっそ合宿でもしようよというのは、さすがに難しいとは思うけれども……実現するのなら是非とも参加したいものだ。
学校行事なら、次の大きなイベントは球技大会で、ただの一生徒としては審判の役を果たせればいいので、隙間時間にルール等を覚えていくようにしている。当日までには大きな問題はなく動けるようになれるだろう。
問題なのは、その日に、その日までに、俺という個人として、俺たちという者共として、どうするかということで……。
神辺さんにとって、俺たちのやっていることは、独り善がり以外の何物でもない。それは間違いない。余計なお世話だと言われて否定出来る要素が一つもない。
俺は、らしくない鬱憤晴らしに走るような事情を、解消したい。してやりたいのではなく。
他人の青春に介入し、その掛け替えのない時間が鮮やかなものであるように身勝手に改変したい。俺が納得できるものに。俺が見ていて気持ちのいいものに。
だから、神辺さんにはバスケットボールを続けて欲しい。
今はまだ、古賀さんに借りた映像にしか知らないひたむきさと美しさを、直に見たいとそう思う。
古賀さんがどうしたいのかは大まかにはわかっている。本人も隠したり誤魔化す気は更々ないようで、俺と同じように、神辺さんにバスケを続けて欲しいらしい。
外から見たいだけか、共にコートに立ちたいかの違いはあれど、つまり同じ目的を持つ同士と言っていい。
御堂さんは何がしたいのだろうか。ただ友人、古賀さんの手助けをしたくて、その一手として神辺さんを球技大会でバスケに出場させることを提案し、実行しただけの事なのか。
それだけと思えないのは、御堂さんに対しても、俺の考える青春を押し付けようとしている、俺自身の邪のせいなのか。
そして清川は、どうしたいのか―――。
重たくなっていく瞼に抗えず、すべてを思考に追う前に、俺は意識を手放した。
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