第5話 二人の土色
「で、やっぱいるよな」
思わず笑っちゃったじゃん。
「は? いきなり来たと思ったら、なにそれ、うざ」
「わるいわるい。今のはたしかに、うざかったよな」
「今のはってか今もだけど」
しまったな。機嫌を損ねる気は、そりゃいつだってないが、なかったのに。
にしても、六限目に美化委員の顧問(でもある姫岡先生)と一緒に教室に戻ってきていたから、なんかあるかもな程度に考えていたことが、こうもドンピシャリなのだ、笑うなって方が無理だろう。
桜の木の根元に屈んでいるジャージ姿の神辺さんに、どうもまだ笑みを引っ込められない。
「ほんと……ちょっと気持ち悪いんだけど」
「わるい、ごめんって。草むしりか? 俺も手伝うよ」
「……ちゃっかりジャージだし」
なんにせよ制服のままよりはいいだろう、と部室で着替えてきたのも正解で、今日の俺は過去有数に冴えているようだ。
さすがにこれ以上の用意はしていなかったのだが「これ、はい」と放り寄越された軍手に、神辺さんの準備の良さを知る。
「えらいな」
「偉い?」
「ちゃんと予備まで準備してるところ」
「……あっそ」
もしかしたら美化委員の教え的なものなのかもな。予備を使い潰して申し訳ないが渡された軍手はありがたく使わせてもらおう。
そう、美化委員である。それも立候補なんて好き好んでの。
なんでか遅咲きの桜の木の下にだけは生えまくっている雑草を、丁寧に根っこから取り除いていく。そういう神辺さんは、俺が手前勝手に想像する『らしい』神辺さん像にカッチリ当て嵌まるのだ。
数日前に満開になってから一向に姿の変わらない樹を見上げる。草木を慈しみましょう、自然を愛しましょう、そういうお題目も悪くはないと思えた。
「サボるな」
見て満足、は許されないらしいけど。
「厳しいなぁ。手伝ってるだけ良い人でしょ」
「手伝ってくれるのはありがと。でもやるんなら、手ぇ抜かないでってこと」
「……厳しいなぁ」
並んで屈んで手を動かす。案外と楽しいなこの作業。
「訊いちゃうけど、昼はここでなにしてたんだ?」
「別に大したことはないよ。知り合いとちょっと、口喧嘩みたいになっちゃっただけ」
「そうか」
「ほんとに聞こえてなかったの?」
「そう言っただろ。嘘はあんまつかないよ俺」
「つくんじゃん。信用できないんだけど」
「そこは普段の生活態度とかその他諸々で信じてもらえると信じてる」
「うっわ、自意識過剰。木村ってそんな信用できる感じじゃないから。すぐサボるし」
「あ、それ。それマジで風評被害なんだが。なんで俺サボり魔みたいに思われてんの? 御堂さんみたいな優等生~ではないけど結構、どっちかというと真面目な方なのに」
「入学式からサボっといてぇ? 嘘だぁ」
「やむを得ない欠席な。サボりじゃないから」
「じゃ、理由は?」
「それは秘密」
「ほら信じらんない」
信用は積み重ねということか。「入学式以外にも」なんて言われる始末ではそれはたしかに信じるに値しないかもな。
「体力テストの時だって多々良先生に名指しで怒られてたし、ちゃんとやれって。てか体育とかたまに見ると大体テキトーな感じだし」
「あんま見るなよ、照れるぜ」
「うっざぁ。別に木村だけ見てるわけじゃない……じゃなくてそんなジロジロ見てないしっ。男子だって女子のことやらしー目で見てるでしょ。そういうのわかるんだからね?」
それを言われると世の男子高校生諸氏は瞑目するしかないのですがね(偏見)。
「それにほら、授業にいない時とか何回かあったじゃん。あれサボってたんじゃないの?」
「あー……普通に体調不良」
「う、ごめん。……じゃ、じゃあ変に誤魔化したりしなければよかったのに」
「それはほんとにそのとおりだと俺も思う。だから神辺さんが謝ることはないよ」
「うぅ、そう言われたって……」
入学式、体力テスト、数度の保健室利用。どれも四月中のことで、短い期間、それも人間関係を探り合っているような期間に度重なれば、そりゃサボりの印象が付くのも仕方ないわな。
あの頃は俺も必死だったから、必要のない嘘と方便をだいぶ重ねてしまったものだ。……遠く思い出すには、最近にすぎる出来事ですね、はい。
「とにかくっ、そういうところで、みんな、木村はなんかサボる奴みたいな印象持っちゃったってこと」
「なるほどなぁ。つまり自業自得だったわけか」
ちょっと哀愁。
「神辺さん的にはどう? 今もサボりな印象? 最近は授業抜けてることとかないけど」
「え……今、は……不真面目って感じは、ないかな。でも、体育なんか特にだけど、やっぱちゃんとやってないって感じはする」
ちゃんとやってない、ね。今の俺はそういう風に見えると。
他人はそんなに自分を見ちゃいない、とはよく言うが、中々どうして見てる人は見てるもんだ。
「そっちは? 木村から見てあたしはどんな印象?」
「真面目だな。……ちゃんとやろうとしてる人」
「……んん」
ぎゅっと眉間に皺を寄らせて目を瞑る神辺さんが「んんんんん」と唸る。
「いやどうした?」
「……なんでもない」
どう解釈していいものかわからない。溜息つくような評価ではないと思うのだが。
「印象っていうと、うちのクラスは結構、印象的というか、存在感ある奴多いよな」
「あ、それはすごいわかる。御堂さんでしょ、相田さんでしょ。大野さんも美人だし。てか女子はみんな可愛い子ばっかだし……男子としては嬉しいもんなの? やっぱ。そういうクラスで」
「答えにくいこと訊くなぁ。……まぁ、そうだな、悪い気はしないよな」
「うわ……」
「引くなや。そっちが、なんだ、容姿で女子の名前挙げだしたんだろうが。俺はもっとこう見た目だけじゃない……存在感の話をしてんの」
神辺さんは何なの、先週末といい、普通以上(たぶん)に女子を、同性を気にしてるよね。百合の時期にはまだ早かったと思いますけども。
「はいはい。じゃあ、あたしが女子を言ったから、木村は男子ね。男子で存在感あるやつ」
「清川」
「見た目じゃん」
「ほーう。つまり神辺さんは清川の見た目がいいと、そういうわけだな」
「うっざっ! だ、だからなに!? 見た目は見た目じゃん。客観的に? こう、あるじゃんっ、基準がっ。それで言うと清川とか、あと、あと、三峰とか高橋とか。大体なに? 木村はじゃあ御堂さんや相田さんを美人だって思わないってこと?」
「思うけど? 特に相田さんとか、俺が知ってる中じゃ、それこそ芸能人なんかも含めたって間違いなく一番美人だな。ス……」
「……す?」
「いやなんでもない」
あぶな。スタイルもいい、は言わなくていいと俺だってわかる。幸いにして神辺さんは察せていないようで、小首を傾げている。
「あーうん美人だよな二人とも。大野さんも神辺さんもそうだし。好みとか美人……綺麗系か可愛い系かってのはあるだろうけど」
言いかけた言葉を洗い流す早口の後にふと考える。
ふむ。そういう判断なら、(綺麗)—(可愛い)、で置くと。
(綺麗)神辺さん―御堂さん―大野さん(可愛い)
だな、俺的には。大野さんの時点で綺麗と可愛いが半々って感じだから、総じて綺麗寄り。
相田さん? あれはもう神々しいの域なんで。次元が違うんで。
染色している者も多いとはいえ地毛が黒ばかりの中に天然金髪ってだけで人目を惹くに充分なのに、色艶の程も黄色味なしの眩い金糸で、本場にだってあんなに綺麗な髪を持つ人はいないんじゃないかって思う。
反面、顔立ちに日本人離れとまでいうほどの濃さや深さはない。髪と瞳に特別、曾祖父の代の血が現れてしまったのだと、本人は言っていた。それにしたって、容貌は突き詰めすぎていっそ人間から離れてるくらいのレベルだし、金髪に碧眼といういかにもな色彩も相俟って、どこの
身長も高めで、先述したようにスタイルも―――。
「ねぇ、木村、ねぇ。よくわかんないんだけど、殴っていい?」
「殴る前に訊くべきじゃね?」
「さらにもう一発っ」
土は着かないように手の甲を使うことを、優しさと呼んでいいのだろうか。
ポスン、と軽い衝撃だから、甘んじて受けておくけど。
数拍の間隙に、非常に下らなく有意義且つ下世話な話は打ち止めて、話題の舵を少し切ることにする。
クラスメイトの外見を品評するような真似は、健全とは言えないからな。
「球技大会、楽しみだな。今度バスケのルール、細かいとこ教えてくれよ」
「……審判、だっけ」
「そそ。全部の競技で出来るようになっとけって。結構無茶言うよな、生徒会さんは」
愚痴ではある。ただまぁ、生徒会からの要求は妥当とも思う。人手が欲しくて募集するのに、誰はあれが出来ませんだの、管理の手間が増える事は極力、避けたいだろう。それに全競技全審判業の習熟は一応、努力目標ではあるし。
明日、図書室でルールブック探そ。
「……そろそろ……こんなものじゃないかな」
「というと?」
「だから、ほら、もう雑草、この辺りはないから。……もういいんじゃないかなって、こと」
言われて見渡せば周辺の地面はすっかり土色ばかり。切り上げるに頃合いではありそうだ。
「そう、だな。神辺さんがいいってんなら、それでいいんじゃないか」
俺はただのお手伝いだから従うだけだ。
「うん、じゃあ、終わり、終わろ?」
「ん、そうだな」
二人して立ち上がって、軽く体を解すのだけれど、ほとんど同じような動きをしてしまったせいで微妙な静寂が俺と神辺さんの間に横たわった。
それはもちろん一瞬の間であって「それじゃ」と切り出せば霧散するような空気感ではある。
「ゴミは俺が出しとくよ。焼却炉のとこのコンテナでいいんだろ?」
「……うん。ありがと」
面倒を買って出た時に余計な言葉を挟まない女子は受けがいい。少なくとも俺の中では。
神辺さんが汚れきった軍手を雑草の束の上に置くから、俺もそれに倣う。そういえば元から草臥れてたっけ。
「あのさ……」
俺がゴミ袋の口を縛る間に、神辺さんの目は、桜と俺と袋、を三巡はしたと思う。
縛り終えても逡巡は決着しないらしいから、一つ、神辺さんが気付いていないだろうことを打ち明けてやろうと思う。
「昼の時」
俺が口を開いたと同時、一際強く風が吹いて、つい桜の木を見遣った。俺と、神辺さんと、二人共だ。
揺れても散らぬ花弁が静かになるまで、少しだけの沈黙。
「……昼の時、神辺さんの肩に、桜の花が落ちるのを見たよ」
普通なら、それがなに? って話だ。だからなんだ、そういうこともあるだろう、と。
神辺さんが「え? えっ?」と自分の肩を右に左に確認するが、昼にって言ってるだろう、ジャージには絶対に残っていないよ。
「そのあと、どうなったのかは知らない。見たのはそこの、四階の窓から見てた時で、昼が終わる直前にここで会った時にはもう、見当たらなかったから」
だから、伝えることを保留していたというのもある。
「さてと。じゃ、俺は行くんで。神辺さんはこのあと部活か?」
「あ、え……う、うん。そうだけど」
「そうか。マネージャー、頑張ってな。マネージャーも頑張れでいいのか?」
「……知らない」
俺と神辺さんの三十分の成果はそう重いものでも、大したものでもなかった。
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