多面性青春騒動

さくさくサンバ

一章 神辺美玖 編

第1話 球技大会があるらしい

 人類ひとが紡ぐ歴史の、はじめもはじめ、冒頭1ページ目には書いてあると確信している文句が一つある。


『人生はままならないものだ。』


 努力は実るとは限らず、幸福は長続きしない。成功も栄華も予期しない出来事であっさり露と消える。


「あ」


 と言う間に、トランプタワーが崩れ去るみたいなものだ。


 休み時間に真剣勝負である。俺と、俺の一つ後ろの席の清川きよかわで、どちらがより高いタワーを作れるか。


 中間試験の最終日に、テスト漬けに疲れた俺たちの気分転換というわけだが、中々どうして互いに負けてやる気はない。


 そんな最中、近づく影に気付かなかったし、気付いていたとしてどうすることも出来なかっただろうとは思う。トン、と軽く、机にぶつかる体を、言葉でにしろ手でにしろ制止させることは、どのみちきっと間に合わなかった。


「あ、ごめん」


 それはたぶん、五段目完成寸前だったタワーの崩壊に対してではなく、ぶつかったことへの何気ない謝罪だろう。


「なんてことだ」


 と、俺が俺の机の上史上おれのつくえのうえしじょうもっとも凄惨な事故を前に悲哀に目を細める頭上から「え、な、なに。トランプ?」なんて聞こえてくるから間違いない。


「あー、なんでもない、気にしないで。大丈夫だから」


 とはいえ変に気にさせるつもりもないから、問題ないことは言い添えておく。


「おっ、チャンス」


 背中に届いた弾んだ声は清川で、チャンスだなどとのたまってくれやがる。後ろの席であるから、清川からは事故後の現場が容易に窺えるはず。競争相手の転倒に喜ぶとは品のない奴め。


 俺が眉を顰めていると、背後からガタリと音がして「あぁっ!?」と今度は小さな悲鳴が届いた。


「あ、わり」


 焼き直しみたいな台詞はクラスのムードメーカーの進藤しんどうの声だった。察するに、似たり寄ったりの経緯と結果があったのだろう。


「ふはっ、ざまぁっ!」


 おっと、失礼。思わず。


 振り返って、振り返る前に見ていた光景とそう大差ない惨状が目に入ってきたものだからつい。


「進藤おまえ、なんてことしてくれんだよ! もうちょいで木村きむらに勝てたのに。パン一個かかってんだぞ、どうしてくれんだ」


「いや知らねぇよ!? ぶつかったのは悪かったけど!」


 廊下側最後尾という人通りの激しい位置とはいえ、机や椅子にぶつかられるなんてことそうは起きない。運が悪かったと思って諦めるのだな清川よ。お互い様でもあるわけだし。


「いやー、ナイス進藤。グッジョブ」


 おまえのせい、いや知らんがな、やいのやいのと口論とも言えない口論を楽しむ清川と進藤のうち、決定的アシストをしてくれた方にサムズアップを贈っておく。


「おう! ん? おう?」


 受けて進藤は疑問符混じりだ。清川も「おう、じゃねぇっつの」だから、事態を飲み込みきれていないだろう進藤にはちょっとくらいは申し訳なく思ったりもする。


「いっちょ説明してくれっか」


「誰だよ」


 とは言いつつも進藤の要望には応える清川だから、二人を放置して俺は机に散らばったトランプを集める。幸いにして床にまで落ちてはいない。


「トランプでタワー作って、勝負してたってこと?」


「ん? ああ。この休み時間でどっちが高く積み上げられるかな。まぁ二人して崩れたし、勝負はノーカンだな」


 こちらもこちらで説明の必要があったらしい。進藤は振り回したが、こっちは置いてけぼりにしてしまっていたか。


 段数以外に勝敗の条件は取り決めていないが、今回は勝ち負けノーカウントになる。気分でそんなもんだ。元よりお遊びだから、それっぽい理由付けが出来るのなら試合放棄もなんのそのというわけ。それで空気が悪くなるような間柄でもない。口ではなんやかんや言い合うかもしれないけど。


 事実、背中に「お、逃げんのか?」「木村選手棄権につき勝者清川!」って、いやいや、進藤はいつの間に審判に納まろうとしてんだ。そしてなんで清川に付いてんだ。


「ノーカンだノーカン。両者崩落で失格につき無効試合。んなことよりそろそろ片付けないと休み時間終わるぞ」


「それはたしかにな」


 俺と同じく、散らばったトランプの回収をしていた清川だから、俺が集めたカード束を差し出せばすぐに受け取る。


「次の休み時間に再戦するか?」


「タワー作る以外でな。また崩れたら床に散らばったりしそうだし。てか散らばってんな」


 床に落ちているスペードの8に目をやれば清川が拾い上げる。


「今度は普通に……スピードとかやろう」


「んじゃそうすっか」


 今朝のこと、家を出際にたまたま見つけたから、で清川が持ち込んだトランプは、それなり以上に活用されそうだ。


 次戦の提案はするっと通って、ついでに周りの人間にも伝わったことだろう。後始末をすること、休憩時間が残り僅かであること。


 勝利者宣告(無効)の身振りの大きさを「それ邪魔だから」と切って捨てられて以降静かになっていた進藤は「じゃな」とあっさり離れていくから手を振り合うのだが。


「どうした?」


 横合いのブレザーの裾が動かないから顔を見上げる。女子にしては、というか男子の平均身長よりもおそらくは高いところに、物憂げな顔が乗っかっていた。


 邪魔の一言で男子を黙らせた際と同じ表情でないことだけは確かだろう。


「んー、なんか、清川と木村って、仲良いよね」


 それはこの前後席にはじめましてを交わしてかれこれ二か月ほど経ったわけで。


「「いやあんまり」」


 なんて息が合っちゃうくらいには気が置けない。


 男(友人。トランプ片付け中)と目と目が合っても嬉しいことはないな。


「めっちゃ仲良いし」


 小さく笑みを浮かべる神辺かんべさんの言葉に異を唱えても、今の今じゃあまり説得力はなさそうだ。


 実際のとこ、明朗で快活な清川が後ろの席だったことは僥倖だったと思っている。友人としてはもちろん、紀字きのじ高校一年三組の一員としても。


 クラスというか集団全般そういうものだろうけど、影響力の大きさは個人差があるもので、発言の機会の多い清川きよかわ行人ゆきとという男子が善性であることは、健やかに楽しい学校生活を送る上で非常に有難い。


 ふと、視界の端に屈む影を捉える。


 すぐに立ち上がった女子生徒は「はい、清川君、これ」に続けて「散らかしちゃダメだよ」と柔らかく注意を口にした。


「わるい。そんなとこにも落ちてたのか。さんきゅ御堂みどう


 発言の機会の多い男女が善性であることは、健やかに楽しい学校生活を送る上で非常に有難い。


「それと今日の放課後、委員会だけどちゃんと覚えてるよね?」


「覚えてる、わかってるって」


 御堂さんの視線から顔を逸らす清川は、先週にうっかり委員会の集まりをすっぽかした前科持ちだ。


「木村君、もしまた清川君が忘れてそうだったら引っ捕まえてね」


「任せとけ」


「引っ捕まえるって……」


 清川が俺は罪人か何かかとぼやく間に御堂さんは「じゃあね」と一言残して去っていった。


「二人とも誰とでも仲良いか」


 神辺さんのその評価は、少しばかり違うだろうというのが俺の見解だ。


「誰とでもって言うなら、御堂さんと仲良くない奴の方こそいないんじゃないか。俺や清川じゃなくってさ」


 仲が良いの線引きにもよるだろうが。少なくとも表向き、品行方正で誰に対しても親し気な優等生が、不仲を感じさせる相手を見たことはない。


「それはそうだけど。新入生代表だし、学級委員もやって……部活も。憧れるよね。あたしじゃ全然、相手にもならないや」


 なんの勝負だ。


 という疑問と、神辺さんが言うほど、御堂さんと同じ土俵に立てないかっていう疑念もある。


 入学式で新入生を代表して堂々たる態度を示したらしい御堂さんは大したものだと思うけど、中学時代に部活で全国の相当いいところまで行ったらしい神辺さんも負けていない気はする。


 それぞれに、それだけの単純な話、ではないというのも色々と聞くところではあるけれど。


「だってよ? 学級委員殿?」


「神辺だって、憧れられる側だろ」


 たぶん大体、似たようなことを思っていたのだろう清川が指摘した。わざとらしく共通点を挙げる俺のパスは見向きもされないのでちょっと悲しいね。


「ん、ありがと。って言っとく」


「素直に受け取ってくれよ。本気だぜ?」


 二人の邪魔をしないよう、俺はひっそりと姿勢を正すのだった。


「神辺もやるか? トランプ。あとで。こいつ、ておい、前向いてんなよ。木村も、神辺と三人でもいいだろ?」


 スマホでも弄ったろうかなと手を動かすより早く、あっという間に呼び戻されて、改めて体勢を横向けて「俺はいいけど」と神辺さんに判断を委ねる。


「んー……」


「あぁいや、勝負とかじゃなく。普通にトランプしようって話な」


 神辺さんが渋り清川が気軽さをアピールする。


「ゲームは勝負ですけどねー」


「ちょっと黙っとけ」


 ちょっとふざけただけなのに。


「ん、いいや。勝負の邪魔しちゃ悪いし」


 勝負、勝負ってなんだっけ? 三人して『勝負』を口にするからか、どうにも会話が浮ついて聞こえる。


「んなことないけど……まぁ、神辺がそう言うなら」


「早い早い。もっと食い下がっていこうよ。てことでやっぱ、次の休み時間に勝負しない? そうだな、神経衰弱か……ダウト」


 そうあっさり破談してはつまらないので、逆に俺が押し気味にいってみよう。


「やんない」


 すげないなぁ。取り付く島くらい作っていただけないだろうか。


「それに次の休み時間とか、普通に勉強したいし。清川や木村みたいに遊んでる気はないってこと」


「遊び言われてますよ清川さん」


「心外だ。真面目にやっているというのに」


「遊びは遊びでしょ……」


 御尤も。


「神辺だって今は勉強してないだろ。肩の力抜くのも大事だぞ?」


「やはり娯楽、娯楽は全てを解決する」


「うざ、てかめんどくさ。木村なんか娯楽言ってるし。その解決って先送りでしょ。……テスト今日終わるんだし、放課後とかなら、まぁ、考えるけど」


「ワンチャンあり、と」


 そう思ったが、そうでもないとすぐに気付くし、学校の外も考慮に入るならトランプしてる場合じゃない。もっと色々あるでしょう、娯楽も遊戯も。


「放課後とか大抵、空いてないんだよなぁ」


「おっと清川、リア充自慢か?」


「部活」


「知ってた」


 そういうわけなのだ。ワンチャンもなかった。


 部活に所属する高校生の放課後ってそんなもの。必定、なにがしかの部への所属が必須の本校において大半の人間の放課後は部活動に費やされるのだ。そうならないよう立ち回る人たちも、いるはいるし、テスト期間であれば話は別だけど。


 中間試験最終日の今日は活動休止を継続する部も多いというのに、男子バレーボール部は熱心なことだ。


「あたしも部活だった、そういえば」


「駄目じゃん」


 清川の言う通りだが、便乗した「ちゃんと考えて発言していただけます? 神辺さん」はさすがに一睨み頂戴してしまった。


「男バスのマネージャーも遊びじゃないんですけどぉ」


 二睨み目。


「……わかってるし。はいじゃあ、今の話はなしで、なかったことってことで。じゃあ、あたし戻るから。二人ともあんま……遊んでばっかいないでよね」


「善処する」


「前向きに検討する」


 神辺さんは「そういうとこ!」と言い残して去っていく。


「残念だったな。神辺も巻き込めるかと思ったんだが。あとそういう触れ方はよくないんじゃねーの」


 触れ方、は神辺さんの部活動について。


「見解の相違だな。痛みなくしてなんとやらってやつだ」


 というか、遊びじゃないぞと言われたくらいで目を逸らしてしまうような状況なら、どのみち心は痛み続けているだろう。


 それは一時の享楽に巻き込んだところで、それこそ先送りにしかならない。


 たびたび他の生徒と声を掛け合ったりしながら自席に戻っていく神辺さんの、高い身長、広い背中、締まった脚、というとちょっと変態チックか。


 とにかく、持って生まれたものと鍛えて積み上げたものの両方が見て取れるとして、それを本人がどう思っているのかは俺なんかには計り知れない領分なのだった。


「『勿体ない』、か」


「そうだな。俺もそう、思うんだけどな」


 清川の同意を聞き流しながら、男バスのマネージャーが自分の席に座るのをぼんやりと見届けた。


 そしてまた思い返す。入学直後に何度も聞いたことだ。


『うそ!? 神辺さん、バスケ部入らないの? 勿体ないよ!』


 人生はままならないもの、らしい。



 一年一学期の中間試験、つまるところ高校入学一発目の試験(小テスト除く)が終わった瞬間になんとなく伸びをしてしまうのは、自分が思っていた以上に肩肘張っていたということだろうか。


 主要科目をやり遂げた時点でトランプカードで遊戯に興じるくらいには緊張は抜けていたと思ったのだが、案外と自分のことをわかっちゃいなかったようだ。


「にしても委員会だりぃなぁ」


 後ろの席からは早速、次の憂鬱に対する溜息なんかも聞こえてくる。


「逃げてもいいぞ」


「そんでおまえが捕まえて御堂の好感度アップってか?」


「いいアイデアだろ?」


「んなわけないだろ」


 ホームルームを待つ間、表情に影を落とす者がいるとすれば、清川みたいな面倒事を抱えた人間か、或いは二日に渡ったテストの出来に不安を覚える人間だろう。


「やべぇよぉ、オレ赤取ったかもしんねぇ」


「うわ寄るな三峰みつみね、陰気が移る」


「感染させてやろうか、おお?」


 暗い顔でやって来た三峰なんかは昼頃からこの調子で、今朝は元気に「今日の放課後、打ち上げやろうぜ! 女子も一緒に! むしろ女子いっぱいと男はオレだけでよし!」などとほざいていたというのに、数学の試験を境に随分と様変わりしたものだ。


「清川はなんか赤点取ってねぇの? 取ってろ」


「取ってないんだなこれが」


 もちろん結果はまだわからない。とはいえ感触として、それと普段の授業態度やテスト期間中の様子からしても、清川がそう悪い点を取ってしまっていることはないのだろう。


「くそがよぉ」


 三峰が矛先を清川に変えたことは俺としては大歓迎だった。


「あぁ、赤点はやだなぁ。なんとか上手いこと点取れてねぇかな、どうかな木村!? どう思う?」


「俺に訊かれてもなぁ。そんなに自信ないのか?」


 変えたんじゃなくて増えただけだったという事実は残念だ。


「いやわかんね。なんかヤバそうな気がする」


「あちゃー、一番マズいやつじゃん」


 出来たかどうかの手応えが自分でわかっていない状態という三峰は、きっとたぶん「ご愁傷様」なのだろう。


「もし再試なってたらおまえ、オレの勉強見てもらうからなっ」


「普通にやだけど」


 なんでそんなことしないといけないの。俺が勉強教えるのは可愛い女子に限るんだなこれが。


 三峰は相当レアなくらいに中性的な見た目をしているとはいえ男は男だから、自力じりき俺以外力おれいがいりきで頑張ってくれ。


「おーい、清川くーん! 清川君もカラオケ行くよねー!?」


 俺と三峰が友誼の在り方についてちょっとした議論を交わしていると、窓際の集団の中からそんな声が聞こえてきた。


 席順の都合で隅っこに納まっちゃいるが、色んな要素の複合の結果、清川はなにかと呼ばわれることが多い。


 顔(爽やかにイケメン)とか背丈(180近い)とか体形(バレーでかなり鍛えてる)とか。学級委員であることとかスポーツ全般出来ることとかそもそも陽気な気質であることとか。


 制服も私服も、特別に洒落てるってこともないが、俺のように無頓着でもなく、さりげにおしゃれってやつで。


 バカやるくせに授業であてられて答えに窮することはない。


 まぁどうしたってモテる野郎だ。おかげで俺と三峰の友情は永遠になりそう。


「部活! わるいな! カラオケはまた今度行こうぜ!」


「おっけー!」


 あっさりと遠間の会話が終わり、三峰が「あれ?」と口にする。


「清川、委員会あるんじゃねーの? 御堂さんがそんなこと言ってたけど」


「あるぞー。別にそんな長くかからないだろうしそのあと部活ってだけだ」


「あぁ……そんなもんか。てかテスト終わったその日に委員会とか、なにやんの?」


 それは俺も少し気になっていた。大した意味はなく、なにも今日やらんでもっていう感想レベルで。


「五月の最終日に球技大会あるだろ? それでなんやかんやあんだと。注意事項の連絡とか種目なにやるかとか」


「「へぇー球技大会なんてあるのか」」


「おまえら……」


 清川が苦笑を浮かべるが、知らなかったものは知らなかったのだから仕方ない。


「まぁいいや、がんばれ」


「心籠ってねぇなぁ」


 清川の文句はもっともだが、三峰の言うこともわかる。他に特に言うことないもんな。


「そういや三峰はカラオケ行くのか?」


 ぽんと思いついて訊いてみた。先程の大野おおのさんから清川への声掛けに際し、三峰の反応が少ないということは。


「そりゃ行くっしょ。もう話してあるし。そういう木村は来ないって聞いたけど用事でもあるのか?」


平田ひらた杉谷すぎたにと先約あるからな。三峰こそ部活は? 卓球部は今日は休みなのか?」


「休みでなきゃ遊びになんて行かねーよ」


 朗らかに笑う三峰。こういうところ、女子を追っかけるばかりではないから心証悪くはないんだよな。


「えぇ……話しぶり的に俺だけ誘われてなかったのか? 地味にショックなんだが」


「いや、もう誘われてるもんかと」


 それに蹴った話を自分から他人に振るものでもなし。


「オレは誘いに来たとこ。大野に先越されたけど」


「んだよ……へへ、どっちみち行けなかったし、いいけどな」


「男が照れても気持ち悪いだけだぞ」


 ばっさり切ってやれば「うっせ」と返ってくる。

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