外伝4 前編 KONの頭文字
拓哉が日本に戻って2年後の3月。
食品1課で再びエースとして働いている。
・・・・・・・・・・・
「明日、時間があったら西湖まで行かない? 全裸死体が湖に浮かんでるシーンを撮るってさ」
「ぜひ、お供させていただきます」
大ヒット中で、今や新しい定番となってしまった○×ラーメンを作る「まるばつ食品」は、業界ナンバースリー。まだまだ伸びる企業だ。
まして、極めて優秀で将来のトップを予定されている土橋専務から、馬が合うというのか、ことに可愛がられていた。おかげで小麦と砂糖、食用油の5割は拓哉の扱いになっている。
おろそかにできる相手ではない。少々スケベで夜の街に誘いたがる悪癖はあるが、飲み屋まで接待すれば、それ以上は強要してこないので、話はそれほど難しくない。
そして、土橋専務の最近のお気に入りは、スポンサーをする番組の収録を見に行くことだ。
売り上げが倍々ゲームとなっている現在、ドラマの単独スポンサーまでするようになった。
女優が「全裸死体」となるシーンの撮影です、と番組スタッフからスポンサー様へのご注進があったらしい。宣伝部出身の土橋専務は、そういう気遣いをされるのが嬉しくて仕方ないのだ。
拓哉としては、そんな場面を見たくもないが、そのドラマは主演のベテラン俳優と面識があり、ヒロイン役のアイドルは妻の従姉妹に当たる。それを楽しみにして、早朝からハイヤーに同乗したのである。
もちろん、妻の従姉妹は売り出し中のアイドルだ。本人が「全裸死体」の役などするはずが無いのは大前提。でも、念のために確かめておいた。
「お義兄さんが来てくれるんですか! 嬉しいです!」
仲良し従姉妹のせいなのか、拓哉にも懐いている。拓哉が行くと聞いて大喜び。
「私も出番があるんですよ!」
「え? まさか、湖に浮かぶとか?」
冗談ではない。そんなの見に行けるわけがない。
「あー 確か、死体を発見するシーンがありましたよね。さすがに、普通に売れてると、そういう役は来ないですよ~ それに私、一応ヒロインですしぃ」
「そ、そうだよね。ヒロインが湖に浮かんだら、シャレにならないもんね」
ケラケラと笑ってから「私も、できるだけ早く現場入りしますね」と電話を切った。
それはそうだ。ヒロインが湖に浮かんじゃったら話が終わってしまう。
安心して同乗すると、車中は雑談ばかり。箱根の山々が見えた辺りで土橋が切り出してきた。
「聞いたよ。4月から主任昇格だって? CBOT帰りで27歳の主任か。こりゃあ将来の社長だねぇ」
「めっそうもない。これも土橋専務に可愛がっていただいたおかげです」
「何言ってるの。ウチが、まだ中小企業の頃から、君が育ててくれたおかげだよ。くれぐれも引き続き頼むからね」
「ありがとうございます。微力を尽くします」
「あ、昇進祝いに、どう? 新宿にあっち系の店、良いところあるんだけど?」
小指を立ててくる姿は、典型的なスケベオヤジである。
「すみません。妻がおっそろしく気が付くタイプなので」
おそらく気付いても「仕事の付き合いだな」と判断すれば、気付かぬふりをしてくれる。しかし、そういうお店は拓哉自身が苦手だ。
「もう~ 相変わらずの愛妻家だからなぁ」
「申し訳ありません。せっかくのご厚意を」
拓哉の愛妻家ぶりは顧客の間でも知れ渡っている。意図的に、そういう噂を広めているせいもあるのだが。
「じゃあ、仕方ない、不本意だけど別のお祝いにしてあげようか」
ニヤリ。
いわくありげな笑顔だ。
「あの?」
「ほら、こないだ見積もりを出してくれた富士川のそばに建てる新工場。あそこ、
「ありがとうございます!」
まさに「お祝い」だ。食品1課として、喉から手が出るほどほしかった新工場の設備受注。
まるごと受注なら30億。食品1課の3月決算としてもデカいが、個人業績として1課のトップが確定する。
しかも設備をウチが扱うとなれば「
商社マンはそういう人のつながりが財産だ。
胸を膨らませる拓哉の横で、土橋専務がニヤリとした。
「ま、あの見積もりよりもすこーし頑張ってもらうけど」
「頑張ります」
内心苦笑した。
決めたと言いつつ、価格を下げろという「指示」である。
良い人ではあるが有能なのだ。「あとひと頑張りコストを下げる」というのは絶対だった。これはさらに研究しなくてはと内心ヒヤリ。さっそく頭の中でコストカットの方策を練り始めたのである。
・・・・・・・・・・・
富士五湖の一つ西湖のほとり。朝7時だ。
キャンプ場を間借りしての現場では、マネージャーの車で現場入りした女優が怒鳴り散らしている。
「なんで私が序盤で殺される役なわけ? ありえないんだけど!」
「だから言ったじゃん。峰岸さんが、どうしてもKONちゃんとの同じフレームはNGだから序盤だけだよって。それに、後半は今をときめく美桃ちゃんが出るけど、あの子もなぜか君との共演を拒否してるんで。ウチとしてはようやくねじ込んだんだからね」
超大物俳優の峰岸剛は愛妻家。不倫嫌いなのは有名な話だ。今回は、出演OKを取ってからKONの出演が決まりクレームが来ている。事務所としては拝み倒して「同じフレームはNG」の条件で許してもらっていた。
しかも、なぜか、今をときめくトップアイドルの美桃ちゃんがKONを毛嫌いしていることが発覚した。
プロデューサーからは「美桃ちゃんが現場入りの前に、朝一でKONを『殺し』て現場から引き上げてほしい」という要望がマネージャーに出されていた。
もちろん、プライドだけは高いKONが、そんな扱いを認めるわけがないので内緒だ。とにかく、撮影が終わったら、何かの理由を付けてさっさと車に乗せてしまうつもりだった。
しかし、撮影に入る前に、こんなに揉めるとはとため息。どうせ、また台本を確認して無かったのに違いない。
「しかも、何コレ、こんな役? 裸で西湖に浮かんでる死体よ? いくら、人気が落ちてきてるって言っても冗談じゃないわ! セリフだってろくに無いし。こんなの、その辺のAV出身の大部屋の子がやるんでしょ!」
「今回のシーンは台本通りだよ? 確認してって言っておいたよね。台本渡したの10日も前だよ?」
マネージャーは引き下がらない。
「知らないわよ。まさか、こんな変な役が回ってくるなんて思わなかったもん」
「撮影済みの部分は最初だけと言っても、ここで拒否すると君が出た場面は全部撮り直しだ。このシーンを撮る今日の撮影もパーだ。違約金はすごいことになるよ」
「マネージャーでしょ! 何とかしなさいよ。それがアンタの仕事なの!」
バシッと台本を投げつける。角がモロに顔に当たった。血が滲んでくる。
さすがに「しまった」とは思ったが、そんなことで弱気になれば、こんなひどい役を受け入れたことになってしまうと、KONはあえて知らん顔をする。
「はぁ~ わかった。じゃあ、この役を降りるんだね?」
「当たり前でしょ! サッサと断ってらっしゃいよ」
「違約金は、たぶん3千万にはなるよ、君が個人で払うんだ。いいんだね?」
「何よ! そのくらいのハシタ金!」
「いや、7年前ならともかく。今、君の出演料で払える額じゃないから。いつまでもトップだと思っていたらダメだよって、昨日も社長に言われてきたよね?」
ヒョイッと台本を拾い上げて、ぞんざいに差し出した。その態度にKONは鼻白む。
「オレは今回でマネージャーを降りる」
「え? なんでよ! ずっとやってきたでしょ!」
「いや、もう疲れたし。伸び盛りの西ヤンの方につくから」
「じゃあ、私は誰が付くのよ!」
「いや、まとめて誰かが引き受けるかなぁ」
つまりは、
「それとさ」
「何よ!」
まだあるのか?
「この役を降りるんならウチと契約解除ね。社長はOKを出してるから」
「え? 契約解除? ウソでしょ?」
業界最大手のこの事務所で解除されたら……
「言っておくけど、ウチが契約解除をしたら、AVの女優さんを囲っている事務所以外拾うところはないと思うよ。「ケイオーエヌは、
今まで、どんなにKONが荒れても、ひたすらご機嫌取りに務めてきたマネージャーの表情は冷たい。
大学に入った時から、常に「浮気」「不倫」を繰り返し、1年で中退。去年は結婚式を挙げたと思ったら半年でW不倫デートがスクープされたKONだ。
離婚裁判も、まだ終わってもいない。
モデル出身だけはあり美貌は健在。外見を磨くことに怠りは無い分、見た目はすこぶる良い。
だが、女優に進出してから、台本はろくに読まず演技も下手。現場での評判も悪すぎる。
『ヤバい。私って、そこまで立場が無くなってるんだ』
さすがに事態を悟った。ブチキレモデルとか、ユル股女優などと言われても、W大に合格する程度には頭も悪くない。
かつてのアイドルが高額なオファーに乗ってAVに出ると、その後は何をやっても浮かび上がれないという原則くらいは知っていた。
自分には後がないことに、今さらながらに気付いた広田
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筆者より
ちょっと長くなりますので2話に分けました。
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