第5話 僕にください(3年生終わり)
3年生の終わりごろ、ずっと狙っていた大手商社にようやく内々定の感触が持てた。後は入社までの競争に勝ち残るしかない。
そして、今度は紗絵の番だった。
3月27日、水曜日。
横浜の夜景が見えるレストランを予約したよ。ちょっと奮発して高級フレンチのお店だ。
理由は言わなくても、薄々わかってたんだろ?
プレゼントしたネックレスはいつもの通りだけど、服も化粧も気合いが入りすぎるほどだった。一緒に住んでいたのに、わざわざ駅で待ち合わせてから行ったね。
指輪のサイズはリサーチ済みだ。
お互いに緊張してたな~
でも、いつもの通り綺麗に食べてた。すごく自然な感じでいるのがステキだったんだ。そんな小さなことにも感動したのは惚れた弱みだって自覚はあったよ。
でもさ「綺麗な食べ方の子だよな」って、そんな些細なことも嬉しかったんだ。
『こんなに素敵な子と二人で人生を歩くんだ』
自分の輝いた将来を考えると、ワクワクしたよ。
デザートを食べた後、ギャルソンがカートを押して来るのが見えて、オレは背筋を伸ばした。
君は不思議そうな顔をしたっけ。
「こちらが本日のメインの品でございます」
君は目を見開いてたね。
「たくちゃん、これ……」
「開けて?」
「うん」
ギャルソンは心得たもので素早くいなくなった。
二人の空間だ。
震える手でリボンを解いてた。箱を開けた瞬間「あっ」と小さな声を漏らした。
「本気って思っちゃうよ?」
目が潤んでる。
「もちろん、本気だ」
テーブルを回り込むと、リングを取ってひざまずく。
君は頬を赤くして左手をそっと差し出した。その細い手を取って薬指にリングをはめた。
「愛してる。結婚してくれ」
何度も何度も頷いた。返事ができなかったのは泣いてたからだ。ようやく君は「喜んで」と言って、また泣いてたね。
気を利かせたお店がエルガーの「愛の挨拶」を流してくれていたのを覚えてる。
涙でアイラインがクシャクシャになっちゃってた。
それでも、さ、平凡過ぎるほどに平凡な顔の君が、あんなに綺麗だったなんて初めて思った気がするよ。
え? そんなの失礼だって? いーんだよ。オレの妻になるんだから。世界中でただ一人「妻を愛する夫」だけは言う権利があるんだよ!
お店からはサプライズで祝福の拍手と花束をもらって二人の部屋に帰ったっけ。
そしてすぐに、君の実家に行った。
超緊張したよ。新幹線に乗っている間も、何本、珈琲を飲んだか覚えてないほどだ。
家の前で、優しそうなお母さんが出迎えてくれたね。君と眼差しがよく似ていた。
君が将来、こんな感じの「お母さん」になるんだろうな、って想像してしまうのは、当然だよね。
家に入らせてもらうと、みなぎる空気の緊張感がスゴかった。
娘が初めて彼氏を連れてきたというので、お父さんは最初っから構えちゃって無言。オレも緊張して言葉が出ない。並んで座った君は君でハラハラした表情でパニクってたね。
「お嬢さんを僕にください」
「うぅ、あっ、う、うーむ」
その後、見かねたように、お母さんがお酒の用意を始めて、お父さんとオレと、交互に君がお酒を注ぎ続けたね。
返事をもらえぬまま、ただ一緒に酔い潰れた三日間だった。
とうとう「娘をやる」の言葉がもらえぬまま、帰りの新幹線のギリギリになってしまった。
玄関で、お父さんがボソッと言った。
「ウチの子は器量が良くないけど、人を
そんな風に頭を下げる目に涙があった。君を大切に育ててきたんだって気持ちが胸に伝わったんだ。だからオレは精一杯答えたよ。
「私は、まだ社会に出てない半人前です。必ず幸せにするなんて
せっかくの感動的な場面なのに君だけはプリプリしてたね。
「二人とも、ひど~い! そりゃあ、私は美人じゃないけどブスでもないですよ~だ。それに、たっくんと一緒にいられれば、それだけで幸せに決まってるんだから!」
そんなやりとりを横にいるお母さんは、ただ微笑んでくれてた。
『これが幸せのカタチなんだろうな』
そう思ってた。
あの瞬間で、永遠に時が止まっていればどんなに良かったんだろうね。いや、そんな仮定を言っても仕方ないか。
すでに同棲していたオレ達だ。変わったのは、お互いの左薬指にリングを着けるようになったことだけだった。
親友の美羽ちゃんには二人で報告したね。祝福してくれる美羽ちゃんは、心からの笑顔を向けてくれたから、逆に心の奥がチクッとした。
やっぱり、家柄も良くて成績優秀、そしてこのスタイル。どれ一つ取っても、他に追随を許さない美女は心まで綺麗だったんだな。
そういえば、あの時初めて、君に言われて美羽ちゃんとアドを交換したね。
「私の大事な親友と旦那様となる人が、いつでも連絡を取れたら嬉しいな」
そんな風に笑った顔は、自信に満ちて、とっても輝いていたね。
実は超絶美女の美羽ちゃんとは意図的に距離を取っていた。アドは交換しないできたし、君がいない時は立ち話までだって決めてもいた。美羽ちゃんもそれを理解してくれていたんだろう。
君がひそかに「美羽ちゃんに取られてしまう」のを心配していたことくらい気付いていたからね。だから婚約したことで自信が持てたのかなって思えて嬉しかった。
あ、アド交換をしたおかげで「出会った記念日」をサプライズみたいにして美羽ちゃんと一緒に祝えたのは良かったよ。
あれは喜んでくれたね。もちろん、それ以外では個人的に連絡を取ろうとは思わなかった。必要ないし、君が心配するといけないから。だから、まさかアドが役に立つ日が来るなんて、あの頃は思いもしなかった。
・・・・・・・・・・・
そして、4年生の10月、最後の週から3週間の海外研修が始まった。
一足先に入社した海外卒業組に追いつくため、国内組は「研修旅行」へとご招待された。実に3週間にも及ぶ海外研修は観光なんかほとんどない。事実上の「入社前幹部候補生試験」だ。
企業研究をした時にOB・OGのみなさんからの裏情報だ。
T大卒ならともかく、私大生は、研修の時の成績で幹部候補の部署になるのか、二軍落ちかが決まってしまう。
OB・OGからの裏情報が本当に頼りになるのはありがたいけど、研修はマジで辛かった。現地の人脈を作るのは当たり前。となると英語と中国語をフルに「実戦」で使わされるわけだから。
ちょうど、紗絵も希望する食品メーカーへのインターンシップに行った。メンターはウチのOBだとかで、親切に面倒を見てくれおかげで無事終了したらしい。
良かった。
OB・OGがどこの会社にもいてくれるからホントに助かるよ。
君から「美羽ちゃんの家に泊まる」という連絡が入ったのは、オレが日本に帰る直前の11月10日のことだった。
一度、泊まることを覚えると、オレが日本に帰ってからも、時々泊まりに行くようになったね。
オレが海外にいるときは「寂しいんだろうな」と単純に思ったし、戻ってからも泊まりに行ったのは「美羽ちゃんだって卒業前に相談したいことができたのかもしれない」と思ったからだ。
オレは、一ミリも疑ってなかったんだ。
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