第9話 人は誰でも、目的のために犠牲を払う

 マグナ・ハイランドにてフォルランと側仕えの騎士を殺し、衛兵から追われる身となったマコトとニコラは、城を脱出するため、出入りの商人の荷馬車に潜り込んだ。

 無事に城門やハイランドの検問所をやり過ごした後、荷馬車が数時間ほど進んだ頃。ぬかるんだ柔らかい地面で速度が落ちた地点を見計って、マコトとニコラは馬車の荷台から飛び降りた。

 幸いほぼ無傷で馬車から降りることに成功した二人は、服についた泥を払って、周囲を確認する。どうやらここは、湿地帯を通る街道のようだ。マコトたちが乗ってきた馬車以外に人通りはない。


「マコト様、私たちこれからどうしたらいいんでしょう? あと数時間もしたら、日が暮れてしまいますし……そもそもここはどこなんでしょうか」

「とりあえず、ここは表街道だな。辺りの雰囲気と城を出てからの時間を考慮すると、ムルグの湿地帯だろう。ここはハルトフォードの騎士が巡回するルートだから、少なくとも普段騎士が寄り付かないエリアまで行く必要がある」

「なるほど……さすがマコト様ですね!」

「こんなのはただの経験則だから、慣れの問題だよ」

 

 地理に覚えがあるのは、マコトが勇者として、あるいはハルトフォードに属する覚醒者として、大陸中を転々として戦ってきたからだ。


「いえ、その経験があるだけでも、私にとってはすごいと思います」


 マコトはニコラから、尊敬の眼差しを向けられた。


「とりあえず、目指すのは旧街道だな。あっちの方が治安は悪いけど、騎士の巡回も不定期だ」


 ハルトフォード内に張り巡らされた街道の内、表街道は交通の要として多くの旅人や商人などが利用しており、整備や治安維持のため騎士が常に巡回している。一方で旧街道は舗装の老朽化や、より便利な表街道が整備されたことにより、一般人の利用が減り警備も手薄になっている。

 故に盗賊などが待ち伏せており治安が悪い部分もあるが、後ろめたい商売をやっているような連中や、関所で税を払いたくない冒険者などはまだまだ利用している。


「旧街道は治安が良くないと聞きますが……大丈夫でしょうか」

「木を隠すなら森の中って言うだろ? 僕らみたいな逃亡者は、胡散臭い連中に紛れて移動した方がかえって都合がいいんだ」


 それに、盗賊くらいなら今のマコトでもたやすく対処できる。


「なるほど、そういうものですか……」


 感心するニコラの横で、マコトは何かが聞こえてくるのを耳に捉えた。

 

「これは……」


 耳をすます前に、微かだった音がはっきり聞こえるようになってきた。

 これは、馬の駆ける音だ。

 数は二頭。合わせて、鎧の擦れるような音も微かに混ざっている。

 巡回の騎士が接近している、とすぐに理解したマコトだったが、ここは何も遮蔽物がない湿地帯だ。

 逃げ隠れする間もなく、馬に乗った二人の騎士が、マコトたちを発見した。

 顔以外を鎧で固めた二人の騎士はマコトたちの前で馬を停めると、警戒の眼差しを向けてきた。

 無理もない。

 近くには町もないのに、マコトとニコラはやたら軽装で、旅をするには心許ない格好だ。冒険者風のマコトはまだしも、メイド服を着たニコラと二人きりというのは、違和感がある。

 加えて、マコトにはもう一つ懸念があった。

 彼らがただの定期巡回でこの場所を通っただけならまだやり過ごす手立てがあるかもしれないが、ハイランドから逃亡したマコトとニコラを探す追っ手なら、見過ごすことはありえない。


「お前たち、ここで何をしている」


 騎士の一人が、腰に携えた剣の柄に手をかけながら、警戒した様子で近づいてきた。

 もう一人の騎士はその後ろで、クロスボウをマコトたちに向けて構えている。


(……これは、どうしたものかな)


 この状況は、マコトにとって不利だ。

 ハルトフォードに属する騎士は、覚醒者ほどの魔力や身体能力は有していないものの、皆かなりの手練れだ。単騎でも雑兵や冒険者などの十人分程度の力は発揮する。

 魔力をほとんど持たないマコトの立ち位置は、どちらかと言えば雑兵の側だ。

 よって、二人の騎士を同時に相手取るのは難しい。

 接近戦ならともかく、距離を取ってクロスボウを向けられていると、尚更厄介だ。

 下手に動くと、返り討ちに合う可能性が高い。


(奥の手が無いわけじゃないけど……先のことを考えたら温存するべきか?)


 返事をせずにいると、剣の柄を握る騎士の態度がより厳しくなった。


「なぜ何も答えない! 敵意があると見做されてもいいのか? その気がないなら、まずは腰の剣を捨てろ!」


 剣を少し抜いて、刃を光らせながら、騎士が声を荒げる。

 ……ここで抵抗しても状況を悪くするだけだ。


「分かった、剣を捨てる」


 マコトは指示に従い、腰に携えた剣をベルトごと地面に捨てた。

 騎士はそれを見て剣から手を離すと、距離を縮めてくる。

 

「よし、他に武器がないか改めさせてもらうぞ」


 彼らがハイランドでの出来事を把握して警戒に当たっていたのか、定期巡回なのかは分からない。

しかし、このまま不審者と見做されれば、町まで連行されて牢に入れられ、すぐに自分たちの存在がハイランドに知れ渡ることになる。


(……何にせよ、ここで捕まるわけにはいかないか)


 分かりきったことではあるが、この状況をどう打開するか。

 何か隙はないものかと、マコトが考えていると。

 少し怯えた様子のニコラが口を開いた。


「あの……! 私たちの身元は詳しく話せませんが……私たちは、怪しい人間ではありません。誰かに危害を加えたりもしません。だから、見逃していただけないでしょうか……!」


 打算がなく、マコトが善良な人間であると信じているが故の、切実な声。

 当然、騎士たちの立場からすれば、ニコラの話を受け入れるわけにはいかない。


「急に何を……?」


 しかし、純粋な訴えであったが故に、騎士たちは困惑した。

 そしてマコトは、そんな騎士たちの感情の揺らぎを見逃さなかった。

 ……冷静に、騎士たちを観察する。

 二人とも、緊張しているように見える。対処に悩んでいるのか、顔を見合わせている。

 二人集まると、小声でやり取りし始めた。

 こういう時は訓練通りに……といった内容の会話が聞こえてくる。

 この二人は、どうやら新米の騎士のようだ。

 暴漢や盗賊を相手取ったことはあっても、純真そうな女の子を不審者として対処した経験はないのだろう。

 だから、イレギュラーな事態にためらったり緊張したりしているのが窺える。

 

(……これならやれる)


 マコトはそう判断した。


「仕方ない……僕のズボンのポケットに、身分を証明できるものが入っている。それを確かめてくれたら、僕たちが怪しい者でないと証明できるはずだ」

  

 マコトは観念したように両手を上げると、騎士たちにそう促す。

 相変わらず騎士たちは警戒していたが、剣を構えていた方の騎士がマコトに近づいてきた。

 もう一人の騎士は、クロスボウをマコトに向けたままだ。


「よし、そのまま動くなよ」


 騎士が両手を上げたままのマコトに近づき、ポケットを漁ろうと下を向いた時。

 マコトは上に挙げた右手首を軽く返した。服の袖から小さな球体が出てきて、マコトの手に収まる。

 球体の先に着いた紐を、マコトが指で引っ張ると、球体が割れて閃光が弾けた。

 目潰し用の、閃光玉だ。


「なっ……!?」


 クロスボウを構えてマコトを注視していた騎士は、もろに閃光を受けて視界が奪われる。


「お前、何を……ああぁ!!?」

 

 身体検査をしていた騎士が異変を感じて顔を上げると、そこにはマコトの指があった。

 マコトは騎士の両目を指で抉り潰した。視力を奪いながら、無力化する。


「目が、俺の目が……ぐっ」


 激痛に悶えて目を押さえている隙に、マコトは騎士から装備していた短剣を奪うと、そのまま相手の喉元を掻き切った。

 まずは一人。

 すぐさまマコトはもう一人の騎士を標的にする。


「糞一体何が……なっ、よくもアランを!」


 視界が徐々に回復し、仲間が殺されたことに気づいた騎士は、クロスボウを発射した。

 視界が回復しきっておらず低い精度で放たれた矢を、マコトは死体を盾にして回避すると、騎士が次弾を装填しようとしている隙に間合いを詰める。


「ええいっ!」


 装填が間に合わないと判断した騎士は、慌ててクロスボウを放り捨て、剣を抜こうとしたが遅かった。

 間合いを詰めたマコトはそのまま重心を低くして騎士の足元にタックルし、転倒させる。

 騎士の鎧は防御力に優れている故、短剣では貫けないが、頑丈な分重い。

 そのため、転倒させてしまえば簡単には起き上がれず、隙が生まれる。


「悪いな」


 マコトは転倒させた騎士に馬乗りになると、額に短剣を突き刺した。


(弱くなったな、僕も)


 血塗れのナイフを投げ捨てて、自分の剣とベルトを拾いながら、マコトは自覚する。

 新米の騎士相手に、ここまで小細工しなければ対処できないのが、今の自分なのだと。

 全盛期のマコトなら、覚醒者の力を存分に振るい、たやすく片付けていただろう。


(まあ、無い物をねだってもしょうがないか)


 それより、とマコトはニコラに目を向けた。


「ニコラ、大丈夫か?」


 巻き込まれないように気を使ってはいたが、念のため安否を確認する。

 マコトが見た限り特に怪我などはなさそうだが、ニコラの表情は曇っていた。


「私は大丈夫です……でも、何も、殺す必要はなかったんじゃないですか? この人たちは、何か悪いことをしたわけじゃないのに」


 フォルランは互いに了承した上での決闘だったし、側仕えの騎士は約束を違えて襲いかかってきたから、正当防衛と言えなくもない。

 だが今回の騎士たちは、治安維持の仕事をしていただけ。

 そんな相手を有無を言わさず殺すのは、度が過ぎていると言いたいのだろう。


「気持ちはわからなくもないけど、口を封じてしまった方が確実だからな。巡回の騎士が戻らなかったり、誰かがここを通って死体を見つけたら異変が発覚するけど、それまでの時間が稼げるし、誰がやったか伝わることもない。彼らの死が発覚するまでに、僕らは馬をもらって遠くに行ける、というのもあるし」


 ベルトを締め直しながら、マコトは語る。


「確かに理屈の上ではそうかもしれませんが……他にもやり方があったのではないですか? こんなの、勇者だった方がやることとは思えません」


 元勇者らしくない。

 なるほど、勇者を「世界を救う存在」とするなら、そうかもしれない。

 しかし、マコト・ハルトフォードは、世界を救うことを選ばなかった人間だ。

 

「結局のところ、僕は目的のためならなんだってできる人間だ。勇者だった時はこうじゃなくて、今は落ちぶれたとか、そういう話じゃない。元々僕は、こういう人間だ」

「でも、こんなふうに誰かを犠牲にして達成する目的なんて……」

「人は誰でも、目的のために犠牲を払う。自分の国や家族を守るために、敵の兵士を殺すとか、欲しい物を買うために、代金を支払うとかね」


 マコトにとっての目的とはリリィであり、それ以外の全てを犠牲にできる、というだけの話だ。

 逆に、世界は魔王の正体を知ったら、自分たちの平和を手に入れるという目的のためにリリィの命を奪おうとするだろう。事実、マコトの仲間たちは、かつてそうしようとした。だから、マコトの手で殺した。

 ただ、天秤の傾く方向が逆だったという、それだけの話だ。

 しかし、あの日あった出来事を、他人に語って聞かせることはできない。

 つまり、これ以上ニコラと言い合っていても仕方がないということだ。


「……別に、理解してもらう必要はないよ。気に入らないならここで別れたらいい。人質として拉致されたとでも説明したら、君はお咎めなしで済むかもしれない」


 言いながら、マコトは騎士が乗っていた馬の方に近寄っていく。


「確かに、理解はできません……ですが私は昔、勇者だった頃のマコト様に命を救われたことがあるんです。だからその恩返しをするまでは、マコト様にお供します」


 何故彼女がそこまでするのか、マコトにはそれこそ、理解できない。

 彼女なりの理由があるんだろう、とは思う。

 だがその理由は、マコトが彼女に感じる利用価値とは、無関係だ。


「一緒に来るというなら、拒みはしないよ」

 

 だからマコトは、これ以上の会話は必要ないと判断する。

 ニコラを馬に乗せるため、手を差し出した。

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