20.屋上 ♡ 語らい → 方針転換

「へえ、こんなふうになってるんだ」

 

 勇者は階段をのぼって屋根の上に出た。

 傾斜は緩やかで、煉瓦も滑りにくい素材のため転げ落ちる心配はなさそうだった。


「こうすると空がよく見えるぞ」


 魔王がごろんと屋根に寝転がった。

 勇者も真似をして空をあおぐ。

 黒い夜空のキャンバスには、無数の星が輝いている。

 中央にひとつ――半分の月がぽっかりと浮かんでいた。

 

「わー……! きれい――確かに窓からじゃ見られない景色ね。遮るものがなにもないってだけで、星空がこんなに壮大に見えるなんて――」

 

 勇者が感嘆の息を吐いて言った。


「――ふっ」と魔王が口の端を緩めた。

「なによ? なんで笑ったのよ」

「いや。先ほど梯子をのぼっている折には随分と文句をつけていたからな」

「う、うるさいわねっ。細かいことは気にしないの、魔王のくせに」

「すまない。だが――たしかに綺麗だ」


 屋根で横になって星空をしばらく眺める。

 心地よい夜の沈黙がふたりを包む空気を満たした。


 ――まるで、世界にふたりだけみたい。


 なんてことを勇者は思った。


「世界にふたりだけのようだな」


 と魔王は実際に言った。


「……っ!」

「ぬ? どうした」


 魔王と同じことを考えていたという事実に。

 そもそも魔王相手に〝ロマンティックなこと〟を考えてしまった現実に。

 

「――ううん、なんでも」


 勇者は驚きを隠せず視線を泳がした。

 妙な気恥ずかしさから頬が桜色に染まる。


「なんでも、ないわ」


 風が吹いた。

 身体にまとわりついていた生暖かい空気を散らしていく。

 それを心地よいと感じる。


 ――魔王と隣に並んでいるのに。


 今の空気が心地よいと――勇者は感じる。

 

「ねえ。なんであんたは平和を求めてるわけ?」

「ぬ? 魔王が平和を求めてはいけないか?」

「ううん……やっぱりどうしたって、イメージが合わないっていうか」

「余の家族は全員、殺された」

「……え?」


 ぴいんと。

 魔王の言葉で空気が一瞬張り詰めた。


「紛争で。内乱で。反逆で。襲撃で。暗殺で。――余の父は。母は。兄弟は。姉妹は。全員、殺された」


 魔王は続ける。


「家族だけではない。親しき者も。余に様々なことを教えてくれた人生の師たちも。その門弟も。今はこの世におらぬ。生き残ったのは――余ひとりだけだ」

「…………」


 勇者は沈黙する。

 かけるべき言葉が見つからない。尋ねるべき事柄が見あたらない。

 あるいは何も発するべきではない――そんなことを思った。


 魔王は続ける。

 

「余は非力であった。幼かったことは言い訳にならぬ。大切な人々は余の手からすり抜けるように消えてしまった。守れなかった。だからこそ――余は強くあろうと決めた。がむしゃらに強さを求めた。無我夢中に強さを求めた。気づけば余は王となっていた」


 こくりと勇者が唾をのみこんだ。

 その音がまるで自分が発したものではないように耳に届く。

 

「余は戦争が嫌いだ」


 魔王は堂々と言った。

 魔王らしくない言葉を吐いた。


「戦争が、嫌いだ」と魔王は繰り返す。「余は一度、ゼロになった。零からまた築き上げた。だからこそ。今度こそ。余の臣下を。民を。彼らを。彼女らを。大切な人々を。――もう二度と、失いたくはないのだ」

「……だから、あんたは平和を求めてる」

「そうだ」と魔王は頷いた。「やはりこれでも、余が平和を求めるには足りぬか」

「ううん」と勇者はすぐに首を振った。強く否定した。「――充分よ」


 風がひときわ大きく吹いた。

 ふたりは目をつむる。瞼の裏には星のまたたきが未だ残っている。


「……あー、もう! 聞かないほうがよかったかも」と勇者は頭を振った。

「ぬ? なぜだ」

「だって! そんな話聞いたら、あたし、魔王あんたのこと――」


 勇者ははっと目を見開く。


 ――勇者は魔王を倒すべき存在。


 そんなのは当たり前のことだ。世界の成り立ち的にどうしようもない事実だ。

 勇者という職業を授かってからというものの。

 いつかは覚悟を決めていた。戦う意志を持ち続けてきた。なのに。


(こんなんじゃ、魔王に剣を突き立てることなんてできないわ……少なくとも、今は)


 ――世界を平和にするため。


 勇者は勇者になった。

 魔王は魔王になった。

 

 本来では双極に位置する存在が。


 まったくを向いている。


 それならば。

 争う必要は。


 どこに――


「「……あ」」


 刹那。

 空を星が流れた。

 一秒にも満たない時間の中で。


 流星は輝く青白い尾を長く長く引きながら、夜空を横切った。


「あたし……決めたわ」

「ぬ?」

「あんたの婚活がどうとか関係なしにして、人間族と魔族の間を取りもてないか、かけあってみる」

「かけあうと言ってもな。一体何処にだ?」

「そうね。まずはやっぱり……あ」


 勇者は気まずそうに目を細めた。

 

「聖教会、かしら。人間界にはたくさん国があるけれど、どの国王も結局のところ聖教会には逆らえないでいるもの。それに、あんたも実際目にしたとおり――魔族を一番憎んで敵視してるのはあいつらなのよ」


 仮面舞踏会にて。

 魔王に対する枢機卿や兵士たちの反応を思い返す。

 

「あの状態の聖教会を納得させるのは骨が折れるかもしれないけれど、どうにかやってみるわよ。それにこっちには聖女様だっているんだし! ……その聖教会の言いつけを破って逃げ出して確執生んじゃってるけど……ま、なんとかなるでしょっ」


 勇者はなるべく明るくなるようつとめて言った。

 

「ふむ。しかしそうなると余との契約はどうなる?」


 魔王と勇者の契約。

 魔王が〝心の底からどきどきする相手〟を見つけてさせるという無茶なミッション。


「そ、それは……世界を平和にしてから、考えることにしましょう? あんたも言ってたじゃない。目的と手段が入れ替わっちゃダメだって」

「目的と手段、か」

 勇者は頷いて、「あんたが人間族の婚約者を求めてるのは〝世界平和〟のためなんでしょう? あたしも約束を反故にするつもりはないわ。焦らなくても。無理しなくても。無事に平和になったあかつきに、ただただ自分の心に正直になって――ただただ純粋な〝愛〟に基づいた婚活をすればいいじゃない」


 ううん、本来ならそうすべきだわ、と勇者は付け足した。


「ふむ……そうか」


 しかし魔王は。

 そこで一瞬寂しそうに眉を下げて、


「――本当は、他にも理由があったのだがな」


 などと小さくつぶやいたのだった。


「へ? 何か言った?」

「いや、なんでもない」


 魔王は身体を起こして言った。


「そろそろ部屋に戻るとするか――貴様のおかげで、良い夜を過ごせた」


 この歳でだれかのトイレについていく羽目になるとは思ってなかったけどね、と勇者は思ったが口にしなかった。


 

     ♡ ♡ ♡

 

 

 部屋に戻った勇者は、すこしのあいだ窓辺で夜風を浴びていた。

 ベッドを振り返る。聖女と淫魔は引き続き深い眠りの中にいる。

 さっきまで一緒にいた魔王も、いつの間にか寝てしまっていた。


「もう。人のこと起こしておいて、自分だけさっさと夢の中ってわけ?」


 ベッドの一番手前側には、ちょうどひとり分のスペースがあけられている。

 他ならぬ魔王の隣に、あいている。そこに身を寄せることを考えると――勇者の頭の中が不思議と熱を持つ。


(……っ)


 その温度は今はまだ。

 高すぎもせず。低すぎもせず。

 だけど実感できる確かな温かさだった。

 

「……あたし、どうしちゃったのかしら。前までは、こんなやつのこと、ちっとも気にならなかったのに」


 服ごと掴むように胸に手をあてる。

 その下では心臓が奇妙に拍動している。

 こくりと生ぬるい空気を飲み込んでから。


 勇者はベッドにあいたスペース――

 〝魔王の隣の空間〟に縮こまって、目を閉じた。

 

 

 

     ♡ ♡ ♡


 

 

 ――その日は、嘘みたいによく眠れた。


 

 

     ♡ ♡ ♡

 

 

 

「くううぅぅ~~っ! 絶対に許さんぞ! 宿敵たる魔王に、裏切り者の勇者め……!」


 夜もすっかりふけた頃合い。

 聖教国に帰った枢機卿が憤りの声をあげていた。


「散々ワガハイをコケにしおって……! 聖女様の手前、可能な限り穏便に済まそうと配慮してやったが――こうなればだ。一切の犠牲は問わん。反発の声は押さえつけろ!」


 教会の天窓にはまったステンドグラスに、青く怪しい稲光が走る。


「時は動く。世界はじきにワガハイのものだ。せいぜい後悔するんだな、フハハハハハハ――!」


 

 暗雲がたちこめる空に。

 枢機卿の高笑いが雷鳴とともにこだました。



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