イイワケ。
ボンファイア
1.「OLかよ」
風に揺れるカーテンの隙間からチラチラと覗く朝日で目を覚ました。眩しさが不快で、窓とカーテンを閉じようと体を起こす。たちまち断続的な鈍痛が頭に走りだした。続いてこみ上げてくる吐き気。喉の奥から代謝しきれずに残ったままの酒気が追い打ちをかけるように鼻腔を刺激し、
昨晩の飲み会は酷かった。大学近くの居酒屋で、前期期末テストの打ち上げと称して催されたそれは、試験勉強からの解放感と、これから訪れる夏休みへの期待で、共に浮かれ切った友人たちと一気飲みを強要しあい、わかりやすく馬鹿丸出しだった。記憶に残っているのは飲み始めてからの数時間だけで、春から下宿しているこの家にどうたどり着いたのかすら、どうも思い出せない。
このいまいち信憑性に欠ける記憶が確かなら、今日は金曜日のはずだ。ギリギリではあるが出席日数も足りているため、怠くベッドに沈むこの体から酒が抜けるのを待つことに決めた。
それにしても喉が渇いた。そのうえ果てしなく胃が気持ち悪く、こみあげるものを奥に流しこんでしまいたい。水分を求めて、自分の体の一部とは思えない、鉛のヘルメットを被されたように重い頭部をゆっくりと持ち上げ、弱った内臓と三半規管を刺激しないように体を起こす。
台所へ向かおうとフローリングに足を着く。違和感に気づいたのはそのときだった。
カーテンの色が違う。風にはためくベージュのそれは、実家にいた頃から慣れ親しんだものと色合いこそ似ているが、刺繍や柄が一致しない。カーテンだけではない。記憶の中の自宅の様子と整合性が取れているのは間取りだけで、見覚えのない机やカーペットなどの家具がこの空間に散らばっている。
混乱を晴らそうと桜太朗の脳がやっと回転し始めたとき、ベランダの窓の外から、望む回答が現れた。
「………おはよう?」
桜太朗の間抜けた声が、朝の冷たい風の音に流されていく。
「え。第一声がそれか?尾根田」
「待って。ここってもしかして杉谷の家なの?」
「もしかしなくてもな」
動揺を重ねる桜太朗と対照的に、陽斗は冷静に言葉を返す。
「覚えてねえの?昨日俺が0時くらいに帰ってきたら、お前がアパートの階段で寝てたの。財布丸出しにしてたし、危ねえから部屋に連れてこうとしたけど、お前の鍵が見つかんなくて。とりあえず俺の部屋に運んだ」
視線を促されてベランダに視線をやると、昨日着ていた自分の服が、規則正しい間隔で陽斗の服と並んで干されている。今になって気づいたが、現在桜太朗が身に着けている肌着も彼のものらしい。
「えっと………なんか、ゴメンな?」
「正直引いてる」
「俺も」
素直に呆れを滲ませる陽斗の声は取り繕っていない分、少しだけ罪悪感が和らいだ。
「今9時だけど、2限には出られそうか?」
「悪いけど、二日酔いで動けねー……代返たのんだ」
「出席はデータ管理だろうが」
「ウケる」
「いや、顔は死んでるぞ」
小気味よいテンポで帰ってくる返答を、意外に思った。
入学から2年と3か月、大学で陽斗と会話をする機会はほとんどなかった。つるんでいるグループの系統が違うし、親しみやすいタイプではないと勝手に思っていた。少なくとも桜太朗の中での陽斗は、ルームメイトとはいえ酔っぱらって寝こけた他人を介抱するような、外向的な優しさを持つイメージはなかった。
陽斗は同じアパートの一つ下の階に住んでいるが、まともに顔を合わせて話すのはほぼ初めてだ。
思わぬ親切に、桜太朗が素直に感動していると、陽斗が手を差し出してきた。
「これ、うちの鍵。学校で課題やりたいから、先に行くわ。身長合わないかもしれないけど、クローゼットの服とか勝手に着ていいから。シャワーは浴びとけよ。あと尾根田の荷物と朝メシは机の上だぞ」
「優しすぎない?」
「普通だよ。戸締りよろしくな」
陽斗は踵を返して玄関にスタスタと向かう。
優しさとドライさって共存するんだ。鈍く痛む頭でそんなことを思った。
「モノ盗まれるとかは考えねーのー?」
「その場合、犯人は尾根田で決まりだな」
「アタマ良いっ」
色々と想定外な展開に呆気にとられながら、玄関のドアが閉まる音をぼんやりと聞いていた。行ってきますくらい言えばいいのに。ここまで世話を焼いてもらっておいて、図々しくもそう思った。
台所で蛇口に顔を近づけ、手に受けた水道水を直に飲み、一息をつく。ほんの少し、胃の不快感が和らぐ。だが朝食を取ることはまだできそうにない。テーブルの上には、バターロールが2つ、スクランブルエッグとレタスのサラダが同じ皿に乗り、その隣にヨーグルト、蜂蜜のボトルが置いてあった。テーブル中央のガラスの花瓶には、観葉植物のポトスが生けられている。
「OLかよ」
部屋を見渡す。良く整頓された部屋だと思う。桜太朗の部屋のように、床に脱ぎ捨てられた服が散乱してはいないし、代わりに肌触りの良さそうな青いカーペットが敷かれている。インテリアのイメージを寒色で統一しているのだろうか。カーペットの他にカーテンや布団も、紺や水色のものだった。
「キレーにしてんのに、酔いつぶれた俺なんか、よく家にあげたよな。ありがてーけどさ」
浴室に向かうと、ラックにタオルが用意されていた。
まるで思い出せないが、陽斗に着せられたであろうユニクロのシャツを脱ぐときに、柑橘系の香りが薄く香った。自分の使っている柔軟剤と違うその匂いを嗅いだ時、申し訳なさと気恥ずかしさが少しこみ上げた。
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