第八話「禁忌解放(下)」

 緊急任務:依頼者マリエルの救出、『海の魔女』の正体の捜索、及び討伐

 遂行者:八岐大蛇、アレス、カルマ、エイジ

 犠牲者:0名

 


 瞬間、全ての空間が止まった。何も動けない。トリトン王も、カルマも、アレスも。


 だが時間は流れ続ける。一秒、また一秒と俺に襲いかかっているはずの雷が徐々に消えていく。同時にダンス会場も塵のように崩れていく。


「――支配していた海の中で何も出来ない気分はどうだ、海王トリトン」

『……』

「せっかくの機会だ……ここで振り返るとしよう。海の王の人生をな」


 再度指を鳴らした刹那、黒い視界からトリトン王の幼少期の記憶が映画のスクリーンのように流れ始めた。産まれた時の記憶、幼い頃に何者かに虐待を受けてる記憶、愛する妻を槍で突き刺した記憶――


『がああっ!! き、記憶が……流れて、頭が痛い……っ!!』

「そうだろうな。これほど辛く、恨みたくなるような運命がとうに過ぎた事実という事を今だ受け入れられないのだからな」


 事実だなんて知ったつもりで言っているが、もちろん俺はトリトン王の幼少期や虐待された事などは全く知らない。

 だがこの『黒光無象ブラックバリスタ』は、記憶操作による精神破壊攻撃なので、どうしても赤の他人の過去の記憶を見る事になる。

 故に、魔力を一切使わない魔術でもある。そのため魔力を持たない俺が使える唯一の魔術なのだ。

 

(何が事実だ! 記憶を操作する魔法なぞ世の中には存在しない!! これは貴様が創った偽の記憶だ!)


「残念だがこれは全てお前の脳に残る本来の記憶だ。これを捏造と言うのなら……そんな捏造で築き上げたお前の存在を記憶ごと消し去ってやろうか」

(人間如きが……、調子に乗るなああ!!)

「うぉおおおおお!!!!」


 トリトン王は領域内にも関わらず海穿槍リヴァイアサンを真上に掲げ始めた。


「っ――!」


 俺の禁忌魔法が打ち破られ、世界が元の海の中へと戻る。


「とくと見やがれ……『神器解放エレクト』ォォ!!」


 神器解放エレクト。神器本来の力を呼び覚ます力。これにより所有者の能力も爆発的に飛躍し、一時的に完全体の強さを誇る。


「うぉぉおお!!!」


 トリトン王が唱えた瞬間、リヴァイアサンの槍の三叉部分が三匹の竜に変化した。


「っ――!」


 刹那、三匹の竜が俺の全身を締め付けては首に噛みつく。牙が首に刺さり、激痛が走る。更に骨が折れるのではないかと思うほど強く締め付けてきて全身も痛い。


「死ね、邪竜を宿し人間よ。貴様の運命はここで終わる……」

「ちっ――」


 竜は俺の身体をより強く締め付け、言い切る前に潰れた。大量の血とバラバラの身体が海中に浮く。


「これで2度目……いや、ここで貴様の存在ごと焼き払えば蘇生など関係無い!」


 槍から化した三匹の竜がそれぞれ口を開けて大きく吸う。恐らくそれで俺を焼き尽くす気にだろう。


「……」


 ――はぁ、いくらなんでも死ぬの早すぎだろ。あれだけ覚悟を固めてここに生まれ変わったと言うのに、こんな死に方で呆気なく終わるのかよ。


 アカネに合わせる顔がないな。まだあの時助けた少女にすら会ってないのに……


『こんな一度の失敗だけで自分は死んでいいなんて言う君にはお仕置き――』


 ――あぁ、そんな事も言われてたっけ。今ふと「もうここで死んでもいいかな」なんて思ってしまった。やっぱり俺に英雄は向かない、なんて思ってしまった。また来た暁にはお仕置きされるのだろうか。



『――ずっと……私のヒーローでいてね』


 ……ごめん、やっぱり俺は弱い人間だ。すぐ簡単に無理だと諦めて、逃げては呆気なく死んでしまう、情けなさ極まりない人間だ。

 


『無理じゃないよ。だって私は……君を、愛しているんだもん』


 ……あの時見た、ほんの一瞬の夢。愛してると俺の目の前で純愛を口ずさんだあの子の口元は綻んでいた。夢では無く走馬灯だからか、今ならはっきりと見える。


、女神のように柔らかい笑顔を。 



(まだ何も果たしてねぇくせに……何勝手に全うした気でいるんだ)


 バラバラの身体が一つになっていく。足や腕、内蔵や骨が再び出来上がる。さっきまで浮いていた血も俺の身体の中へと入っていく。そして少しずつ元の俺に戻っていく。

 

「ぁ……」

 

 ――俺の死で、あの笑顔を悲しみで染めらせるわけにはいかない。もう一度会って、今度こそずっと守り続けるって……誓ったばかりだろ。


「うおおおおおお!!」


 禍々しい魔力を周囲に解き放ちながら吠える。その衝撃でダンス会場が呆気なく吹き飛ばされる。


「何っ――!?」


 トリトン王や会場にいる全員がバラバラの状態から元に戻った俺を見て息を詰まらせた。


「よぉ、トリトン王。俺を焼き払うんじゃなかったのか?」


「ば……バラバラにされたのに何故生きている!?」

「何、理由は単純シンプルだ。『死にたくないから』だ。それと――」


 俺は右手を正面に翳しながらそう言う。直後、同じ禁忌魔法が会場を染める……と思いきや黒い波動はトリトン王を包み込んだ。


「なっ……何だこれは!?」

「守るべき人がいるからだ……『禁忌天変リバースタブー』」


 黒い波動がトリトン王を飲み込んでいく。そして左胸からゆっくりと赤黒い塊のようなものと共にトリトン王の身体から抜ける。


「がっ……、あぁっ……」


 黒い波動が全て抜けた途端、トリトン王は脱力感によって槍を自然と滑らせて落とす。


「こ、これは一体どういう事だ? 私は一体何を……」


「お父様!!」


 余程心配したのか、人魚四姉妹がトリトン王に向かって泣きながら抱きついた。


「っ――」


「大蛇君っ!」


 自然と倒れそうになったところをマリエルに支えられる。


「大蛇! 無事か!」


 アレスを筆頭にカルマと完治したエイジも俺の周りに集まる。


「……くそ、まだ完全に使いこなせてないというのか」


 禁忌魔法自体は八岐大蛇だった時と変わらない。しかしこの身体が純粋な人間だからか、本来の禁忌魔法を放つ事が出来なかった。

 やはり魔法というだけあって、精度や器の耐久力がしっかりしなければ完全に使いこなす事は出来ない。

 

 未熟を実感した俺と、いきなり倒れた俺を心配するマリエル達の前に、突然何者かの声が聞こえてきた。


「ふふふっ……、私が取り憑いたトリトンを引き剥がすなんてね。中々やるじゃないか!」


「――!!」

(取り憑いた? つまり、トリトン王は最初からこの声の奴に取り憑かれてておかしかったのか……!? でもいつから……)


「おい、大蛇、ステージだ! ステージにマリエルが……!!」


 エイジが慌てながら俺に呼びかける。ふとステージを見るとマリエルがアースラのタコ足に全身を締め付けられているのが見えた。


「マリエルっ……!」

(こいつ……力尽きた隙にあのタコ足でマリエルを強奪したのか!)

「……貴様、私を弄んで余計な戦いを生じさせ、更にマリエルを使って脅すなどとは……断じて許さんぞ!!『海の魔女』よ!」


「そうよね。トリトンは私の事を知ってるわよねぇ……、でもそこの小猫ちゃん達は知らないようだから教えてあげる。私はアースラ。君達が言う『海の魔女』こそこの私なのよ!」


「アースラ……」


 名前は聞いたことがあるが、まさか『海の魔女』がここまで悪魔のような姿だったなんて……


「じゃあ、私はこれから予定が入ってるから、皆ごきげんよう。この子はもらっていくからね!! あっははは!!!」


「おい、待て!!」


 カルマが言うもアースラはマリエルと共にステージから姿を消した。


「くそ、あの野郎!!」


「大蛇、マリエルを探すぞ……?」


 アレスに呼ばれる前に俺はトリトン王のところにいた。先程の無礼を謝罪するつもりか。だが結局トリトンはどこかのタイミングで『海の魔女』に取り憑かれていたので、この状況がよく分かっていないのかもしれない。


「トリトン王。暴走を止めるためとはいい、かなり強引な手を使ってしまった。本当に申し訳ない……罰なら後でいくらでも受ける」


「ん? 何を言うのだ。マリエルを思っての行動であろう。私の娘を守ってくれて、感謝しているぞ。君」



「……王様に俺の名を名乗った覚えは無いが?」

「八首の魂を宿すものなど、ヤマタノオロチ以外ありえんだろう。これでも星を統べる者なのだ、他の星にまつわる伝説くらい知っとるわい」

「それにお前、さっき戦闘中にそれっぽいヒント言ってたからな……ほんとにお前があのヤマタノオロチかは知らんけど。

 あ、それとトリトン王……俺は大蛇こいつの相棒してる白神亜玲澄しらかみあれすです。今後ともよろしくお願いします」

「えっ……」


 白神亜玲澄しらかみあれす……やっぱり、あいつがあのアレスだったのか。どうやら俺みたいに過去の記憶は持ってないな。あいつと同一人物のはずなのに、何か別人のような感じがしてモヤモヤする。



「それよりも、俺達はこれからマリエルを奪還しようと思っている。トリトン王、協力してくれませんか」

「もちろんだ。全身全霊で協力しよう。私はアースラがまたここに来たときのために海の警備を強化する。大蛇君、亜玲澄君。マリエルを頼んだぞ」

「もちろんです、トリトン王。この海は任せましたよ」


 許しを請うどころか意気投合し、俺と亜玲澄はカルマ達の元へ戻った。


「よし、行くぞ」

「一体何の経緯であそこまで仲良くなったんだ……」

 

 掛け声と共に俺達は陸へと、トリトン王は姉妹達や魚達にそれぞれの陣地へ警備を強化するように命じた。


(それにしてもマリエルを含めたあの五姉妹、どこかで見た事があるような……いや、気のせいか)


 僅かな違和感を覚える中、マリエル奪還の任務が始まろうとしていた――

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