咆哮する邪神
緒方えいと
第1話 奴(その①)
俺は奴が嫌いだった。
ぼさぼさの長めの髪に肩にたまった白いフケ。たまにしか風呂に入らないのか、肥満した身体からはすえた硫黄のような臭いがした。下ぶくれの顔にはいつも眠そうな半開きの眼とひしゃげ気味の鼻、だらんと口角の下がった唇が配され、土気色の肌にはニキビの痕が月面のクレーターのごとく散らばっていた。歳は俺と同じで四十過ぎぐらいか。
自分以外のすべてを見下した口調で、奴はよくこう言ったものだ。
「ボクはねぇ、本来なら、こんな所にはいないはずの存在なンですよ」
こんな所とは――今、俺たちが働いている物流センターのことだ。某大手運送会社のセンターで、その名をネットで検索すれば過酷な仕事内容や劣悪な環境・待遇ばかりがヒットする、いわゆるブラック企業というヤツだ。
俺たちはそこの深夜専門の荷分け作業員として、とある派遣会社から送りこまれていた。夕方、最寄りの駅の前に集合すると派遣会社の社員の運転するハイエースに詰めこまれ、郊外にある、この物流センターへと運ばれるのだ。夜の九時から翌朝の六時まで、長大なベルトコンベアーを流れてくる大小さまざまな荷物をひたすらピックアップする、体力勝負のキツい仕事だった。
汗はひっきりなしに流れて皮膚に粘りつき、腕の筋肉はパンパンに硬くなる。荷物を取りあげやすいよう姿勢はおのずと前屈みになり、背中や腰に負担がかかる。重い荷物を足に落としたりと、怪我の可能性も高い。
そのくせ、給料は驚くほど安い。
好きでやっている仕事ではなかった。これしか、できる仕事がないのだった。それは、俺以外の他の奴らもそうだった。
長びく不況で希望の職種につけなかった奴。転職に失敗した奴。夢に破れた奴……この現場にいるほとんどが皆、そうだった。
みじめでやるせない自己の今の状況や仕事のしんどさと、それに見合わぬ賃金の低さなどが憤懣となって鬱積し、たれこめた黒雲のごとく終始心にわだかまっていた。
そんな俺たちの気持ちを逆なでするように奴――名は蟇田といった――は決まってこう続けるのだった。
「何故なら、ボクには夢や希望をかなえる〝力〟が備わっているからです。皆さんもどこかで聞いたことがあるでしょう? 〝思考は現実化する〟と」
確かそれはナポレオン・ヒルとかいう作家が著した、自己啓発やスピリチュアルの源流とかいわれる成功哲学本のタイトルだったと記憶するが、蟇田の言うニュアンスとはかなり違う気がした。
どちらにしろ、この場にいる連中には、それこそ夢みたいな言いぐさだった。
繰り返しになるが、ここにいる連中は夢や希望が叶えられなかった者ばかりだし、かく言う俺もそうだったからだ。
だから、蟇田の言葉など誰もまともに取らなかった。変わり者、変人、ちょっとおかしな奴と嘲笑し、それでも言い続ける奴をやがては煙たがり、終いにはあからさまに排斥するようになっていた。
が、当の蟇田はそんな周囲の扱いなど気にもせず、いつも通りの眠たげな眼で、今日も現場に通ってくるのだった。
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