プロローグ 迷子の聖女と救われた騎士

 仕事の帰り道。とつぜん現れた景色に、私は目をまたたいた。

「え? なにこれ……」

 どう考えてもおかしい。仕事につかれて、ぼんやりと夜道を歩いていたはずなのに……。

 とにかく今日はめんどくさい一日だった。

 なぜだかわからないが上司のげんが悪く、いつもならサラッと終わるはずの仕事に対し、ねちねちといやを言われ続けたのだ。

 でもまあこういうことは、しばしば起こる。自分自身ではかいしようもないことだ。

 はんこうしたい心やげ出したい心をおさえ込んで、しゆくしゆくと仕事をこなす。そして、ようやく家へとたどり着くところだった。星空を見上げて、どこか遠くへ行きたいなぁ、なんて考えていたけど、まさかこんなことになるとは。

 真っ暗だった空は明るく、まだお昼ぐらいに思える。アスファルトの道は草がしげり、鉄筋コンクリートの建物は青々とした葉を風にそよがせる大きな木へと変わっていた。

 しかもその木は一本じゃない。あっちも木。こっちも木。一つ飛ばしてあっちも木。……ちなみに一つ飛ばしたのももちろん木。

 そう。仕事に疲れて遠い目をしていた会社員の私は、気づけば森へと迷い込んでいたのだ。なんでだ。

「……どこ、ここ?」

 ぼうぜんつぶやいた言葉は、森の中に吸い込まれていった。


    ● ● ●


 その日、の森を部下たちとていさつしていた団長のザイラードはだんとはちがう気配を感じていた。普段であれば、森へ一歩み入るだけで感じる、魔物たちの気配がない。

 魔物といっても、森の奥深くまで行かなければ、小型の鳥やウサギ程度の存在だ。が、それらの姿を一切見ないのだ。……なにかがおかしい。

 後ろをついてくる部下たちへと目配せすれば、心得ている、というようにうなずいた。

 そうして、よろいを着た騎士たちがすきなくあたりをけいかいしながら、森を進んでいく。

 いつもならば見回り程度の任務だが、今日は何かが起こる、そんな予兆を感じながら──

「──っレジェンドドラゴンだ……!!」

 ピリピリした気配の中、目のいい騎士が声を殺しながら、一点を指差した。

 その声に他の騎士もいつせいにそちらを見る。

 ザイラードもその声に反応し、右手奥へと視線を向ければ、こんな森の入り口付近にはいるはずのないレジェンドドラゴンがいた。

「くそっ……」

「そんな、まさかっ……」

 騎士たちにきんちようはしる。

 いつもの見回りのつもりであり、装備も人員も心構えもすべて不十分。魔物の中でも最強クラスであり、ほぼ物語の世界でしか登場しない敵と戦えるわけがないのだ。

 白銀のうろこを持つきよたい。青い目がこうこうと光っている。

 幸い、レジェンドドラゴンは騎士たちに気づいていない。であれば、今ならばまだ逃げることが可能かもしれない。

「……よく聞け」

 ザイラードは声をひそめて、部下たちに声をかけた。

「俺はここに残る。お前たちは騎士団のとりでもどれ」

「しかしっ──」

「この中で一番強いのはだれだ?」

「……団長です」

「そうだ。俺がここを受け持つ。お前たちは砦へ戻り、みなに伝えろ。砦にいる副団長であれば、王国軍へとれんらくが取れる。……このままレジェンドドラゴンが森の奥へ飛び去ればそれでよし」

 いちぼう。もしかしたらレジェンドドラゴンがここに現れたのは単なる気まぐれであり、すぐに姿を消す可能性もあるのだ。しかし──

「もし、このまま我が国の領土へときばを向けた場合、がいはここだけでは済まないだろう。初手で王国が軍を整えられなければ……国家めつぼうもありうる」

 大げさではない。レジェンドドラゴンにより国が滅亡したことは過去にもあったのだ。

 栄えていた国が、最強クラスの魔物におそわれ、滅亡する。天災のようなもので、そこに国政は関係ない。人間同士の戦争などという生ぬるい戦いではないのだ。

 勝っても利はない。そして──負ければ滅亡だ。

 ここ魔の森はりんごくとの境目にあり、この森自体はどちらの国にも属していない。レジェンドドラゴンがどちらの国へも目を向けず飛び去れば、すべてが平和に解決する。

「──行け」

 ザイラードの命を受け、騎士たちは音を立てぬよう、細心の注意をはらい、はなれていく。

 ザイラードとともに残ろうとする者もいた。だが、ザイラードは彼らを足手まといだと追い返した。

 ザイラードは強い騎士だ。しかし、レジェンドドラゴンの前で他者を守るような立ち回りができるとは思えなかったのだ。

 レジェンドドラゴンに気づかれぬよう気配を殺し、そっと近づいていく。そうして、ザイラードは自身のけんの間合いまできよめた。

 レジェンドドラゴンがなにか行動を起こせば、りかかかることができる位置だ。ちょうどよく茂みがあったため、そこに身をかくした。

 まだ、レジェンドドラゴンの動向はわからない。そう。このまま飛び去る可能性もあるのだ。ザイラードは一縷の希望を胸にレジェンドドラゴンを観察した。

 しかし、その希望はすぐにかき消され──

「人間コロスカ」

 ザイラードの望みを笑うように、レジェンドドラゴンは低くひびく声で鳴いた。

 高位の魔物は人語を理解できるという。レジェンドドラゴンは最強クラスの魔物であり、当然のように言語を使用できた。

つめ、ヒッカカッタ」

 レジェンドドラゴンはそう言うと、ひょいと地面のなにかをひっくり返した。

 それは魔物用のわな。近辺に住むだれかが、小型の魔物をしゆりようするために置いたのだろう。そして、運悪くそれがレジェンドドラゴンの爪にひっかかってしまったようだった。

 レジェンドドラゴンにとって、魔物用の罠に爪がひっかかったことなど、取るに足らないことだ。が、レジェンドドラゴンはそんなまつなことで、人間をほろぼすことに決めたようだった。

「ドチラニシヨウ?」

 レジェンドドラゴンは右左と首を動かした。

 魔の森はザイラードの国と隣国との国境に面している。

 魔物用の罠を置いたのがどちらの国の者かはわからない。が、今、その存続がドラゴンによって決められようとしていた。

「ン?」

 そのとき、ザイラードの潜んでいた茂みの奥からピチチッと鳥が羽ばたき、飛んだ。

 レジェンドドラゴンはそれを目で追って──

「ヨシッ。ミギ」

 ──右。

 それはザイラードの国だ。

「はぁっ!」

 そのしゆんかん。ザイラードはレジェンドドラゴンの首元に向かって、剣をいつせんさせた。

 ゆうはない。最初のいちげきでできるだけ深くえぐる。ザイラードにはそれ以外に勝算はないからだ。が──

「ッナンダ?」

 レジェンドドラゴンの首まであとわずか。

 剣は届くことなく、レジェンドドラゴンが大きく身を引いた。

「くそっ」

 ザイラードは初撃の失敗がわかったが、すぐに追撃をかけた。

 けれど、それはすべてレジェンドドラゴンの爪によってはばまれる。おたがいにこうげきぼうぎより返し、ザイラードには爪の傷が。レジェンドドラゴンにもいくすじかの剣が入り、かたい鱗をかんつうしていた。

「オマエ、人間ニシテハ、ツヨイ。つうトハチガウ匂イガスル」

「言葉がわかるなら、魔の森へ帰ってくれ」

「ナイ。キメタコト、カエナイ」

 レジェンドドラゴンはそう言うと、深く息を吸った。

「ブレスが来るっ……」

 ザイラードは背中に冷たいあせが流れるのを感じた。

 爪であれば、剣で防ぐことができる。だが、ドラゴンのブレスは高温のしようげきだ。連続で攻撃されれば、人間であるザイラードに勝機はない。

 もっとも、それははじめからわかっていたこと。だから、ザイラードは初手で決めるつもりだったのだ。初手をけられた時点で、ザイラードに勝機はなくなっており──

「ここまで、か……」

 ザイラードは呟いた。

 目の前には息を吸い終わったドラゴン。次の瞬間にはザイラードの姿はあとかたもなく消えるであろう。せめて、がしたたちが伝令の役目を果たしてくれればいいが……。

 ザイラードのいだ目。それを見てレジェンドドラゴンはニィと笑ったようだった。

 そして──

「うわぁ、これドラゴン!?」

 ──とつぜん、聞こえてきた声。

 瞬間、レジェンドドラゴンはゴクンとブレスをみ込んだ。そして、その鱗に包まれた体がかがやき出し──

「は?」

「ン? ナンダ?」

 ザイラードがほうけた声を出し、レジェンドドラゴンははて、と首をかしげた。

 きんぱくしたせんとうを繰り広げていた二人、今、ちょうど勝敗が決まるところだった。しかし、それはあっという間にくつがえり──

「……? チイサクナッタ」

 ──レジェンドドラゴンの体が、ぐんぐんと小さくなっていった。

「あれ? ドラゴンがただのトカゲになっちゃいましたね」

 明るくき通るような声。

 不思議そうな声の主を探せば、ザイラードの後ろにその人物はいた。

「……女性?」

 黒いかみに黒い目。めずらしい服装の女性がそこにいた。

 そして、さきほどまで大きな体をしていたレジェンドドラゴンが、その女性の胸元に飛び込み──

「トカゲジャナイ! レジェンドドラゴンダ! ツヨイ!」

「あ、そうなんだ? ごめん」

「イイ。ユルス。スキ」

「あ、どうも」

 ほのぼのとした(?)会話をしている。

 よくわからないが。全然わからないが。

「……レジェンドドラゴンが小型化し、女性になついた、のか?」

 起こったままを述べれば、そういうことだ。

 こんなことがありうるとは思えない。が、ザイラードは自身の目で、たしかにもくげきした。これが現実だ。

 この女性は救国の聖女なのだろうか……?

 ザイラードは救国の聖女など夢物語だと、信じていなかった。けれど、実際にここで起こったことは、そうとしか考えられない。

 ザイラードは女性の後ろから光が差したのを感じた。

 思わず、その場にひざまずく。女性の神々しさに自然と体が動いたのだ。

 すると、女性はザイラードへとけ寄ってきた。

 そして、ザイラードをじっと見つめて──

「すみません、出会って早々で申し訳ないんですか、助けてもらえませんか?」

 え?

「……いや、助けられたのは俺だが」

 そして、この国なんだが……。

 ザイラードはこんわくした。

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