序章
ここは
田んぼと畑の間を
歌は春風に乗って田園風景に
その花の
その
「こんな
集まった二十人ほどの──
「そりゃあ遠雷
その少女──花音は、決まりの悪そうな顔でうつむいた。
両側で
(そりゃそうよ。あたしをお嫁にもらいたい家なんて、自分で言うのもなんだけど無いと思うわ)
ここ鹿河村では、田畑を耕して生計を立てている者がほとんどだ。
それができる体力、体格に
故に、村の
そのことは年頃の
ところが、父・遠雷はちがった。
「なぜだっ。花音の縁談がまとまらないなんて……少し変わったところがあって本ばかり読んでいるが、母さん
かくて遠雷は親バカ丸出しで花音の
花音にとっては完全にありがた
(あたしは
十六といえば農村では結婚
(結婚なんかしたら、本が読めなくなる!)
嫁いでいった幼馴染たちを見るにつけ思う。
もちろん、彼女たちが宝物を
(あたしはまだまだ、本を読んで暮らしたい)
花音の心にあるのは、それのみ。
(母さんは、いつも本を持っていたもの)
亡くなった花音の母は、いつも
花音のおぼろげな
花音も、いつかはそんな嫁になりたいと思っている。
でも今は「本を読みたい!」という気持ちが強すぎて、理想の嫁になれる自信がない。
頭にあるのは「結婚相手に出会いたい」ではなく「新しい本に出会いたい」なのだ。
私塾を営むだけあって、花音の家は
この村にはもう、花音の読める本は無い。
そして気が付けば花音は大きくなり、農村の働き手、結婚適齢期に差しかかっていた。
したがって、嫁にいかずにもっともっと本を読むためには、本を扱う仕事に
そのことを言おうと、先刻から機会をうかがっているのだが、なかなか言い出す機会が
難色を示して
「こ、こう見えて花音は炊事洗濯一通り、ちゃんとできるんですよ」
しかし、
「できるはできるんだろうけどなあ……花音ちゃん、本読みながら家事やるから、しょっちゅう
周囲の村人たちもしきりに
花音が常に本を片手に家事をして失敗していることは、もはや村中に知れ
そんな一同を見渡し、李家の姥姥が花音に顔を向ける。
「花音よ、おぬしはどう思うておる。嫁にいく気があるようには見えんがのう」
しかしおかげで花音の待っていた絶好の機会が巡ってきた。
「実はあたし、
座敷に
「無理無理無理、なに言ってんだ花音。いっくら本読むのが好きだからって、こんな
「夢みてえなこと言ってねえで親孝行しろって。姥姥に嫁入り
試挙は国の官人・女官となる人材を選ぶ
国中から
「ああ、またその話が……試挙はダメだと言っているのに」
頭を
「遠雷さんや、皇宮勤めはダメなんかのう」
「皇宮に入ったらよけいに
しかし、花音はすかさず反論した。ここで
「ほ、ほら、父さん、私塾の小屋が修理しても
「そういうのを『取らぬ
「でも今! 今、必死に勉強して試挙を受けて皇宮女官になれば、年季が明けて帰ってきてもまだぎりぎりお嫁にいける
「試挙に及第できなかったらどうするんだ? 知識ばかりあっても田畑を耕して日々の
「でもっ、あたし皇宮女官だったら人様の役に……少しは……立てると思うの! お嫁にいっても少しも役に立てる気がしないよ! ていうかお嫁にもらってくれる人いないし!」
「だからこうして嫁入り相談に来たんじゃないか!」
姥姥は目の前で火花を散らす
「遠雷さんや、後宮で勤めあげれば嫁の
「え!? 本当ですか!?」
「例えば
「引く手あまた!?」
試挙のことになると頑固に譲らないあの父が
(もう一押し!)
花音はここぞとばかりに言い放った。
「あたし、次の試挙を受けて尚食女官になります!」
花音のあまりの勢いと
しん、とした座敷に姥姥の
「うむ! よう言うた! 人生、思い切りが大事じゃて──ただし」
姥姥は
「機会は一度きり。落第したら、わしが用意した
ぐ、と花音は言葉に
周囲の村人たちもごくりと息を
公衆の面前で最終通告とは、まさに背水の
「わ、わかりました」
「花音は腹をくくったぞ。遠雷さんは、どうじゃ」
なんとも言えない展開に複雑な思いを
「──機会は一度きり、なら」
こうして花音は試挙に
そして、いよいよ花音が
「いやあ、遠雷
農作業の合間に、林家の
「花音ちゃん、料理も礼儀もきっちり仕込んでもらっておいで。本読みながら
「ははは、さすがにそれはないと思いますよ、おかみさん」
「それもそうだねえ。こりゃ良い
「はい。年季が明ければ、引く手あまたです!」
父はうれしそうに「引く手あまた」を強調している。
そんな父の背中に、花音は心の中で一生
(父さん、ごめんなさい! 一生に一度の
そこには「白花音を尚儀局司書女官に任命する」とあった。
遠雷には「白花音を尚食局尚食女官に任命する」と記された、花音自作の辞令を渡してあった。
女官を後宮六局へ
あのしたたかな李家の
(ありがとう姥姥。おかげであたし、理想郷に旅立つことができます!)
未来の
今の花音にそれ以上の理想郷はない。李家の姥姥には一生足を向けて
(──だって、こんな機会、一生に一度きりだもの)
司書女官になれば、それらを手に取ることができるのだ。
だから「一生に一度」と
「手紙を書くんだよ。嫁にいきたくなったらすぐにでも帰っておいで」
「もう、父さんったら。行く前から帰ってこいなんて。嫁入りの話はしばらく忘れて、少しゆっくりしてよ」
花音は
「父さんったら、荷物は確認したからだいじょうぶだよ。もともと少ない荷物だし」
「ああ、うん、これを持っていったらと思ってな」
「……それって」
遠雷が荷に押しこんだのは、ここ数日、遠雷が
手に取ると、花音の名と花音の好きな山桜が小さく
遠雷が照れたように笑った。
「男親だと気が付かないことも多いから、林家のおかみさんに聞いたんだ。水筒は
「父さん……」
縁側で竹を削る、昔より心なしか小さくなった背中が思い出される。花音は胸が熱くなった。
年季三年。思えば、家を空けるのは初めてだ。
本読み放題の期間と思うと短いが、父と
花音は大きく温かな父の手を、ぎゅっと
「ありがとう、父さん。手紙、書くからね」
こうして、冷たさ残る初春の風の中、花音は京師・龍泉へ向けて旅立った。
● ● ●
──同じ
北にそびえる
その周囲、晶峰山から続く緑の木々は若芽を
立春をだいぶ過ぎたとはいえ夕暮れになると寒が
夕刻、官人たちは帰り
各所に置かれた火鉢の周囲には、
「……して、事は
火鉢に手をかざした
その人物は黒い絹の
「は。おそれながら、
「
「
答えた男は、浅く頭を下げるが、動きがぎこちない。必死で
対する人物は火鉢の前でゆっくりと手を
「私の
火掻き棒が静かに炭を動かした。
「かの書、所在の見当はついております」
「赤の
「言い訳は好かぬ!」
火掻き棒が火鉢の
「……急げ。多少
「御意」
黒い
頬傷の男はじっと
その様子をすべて、
「──
だいぶ前に終業の
皇城は明日の夜明けまで、ひっそりと闇に
それとは対照的に、宝珠皇宮の北、内廷に当たる場所はだんだんと明るさを増していく。
一つ、また一つと、色とりどりの
夜空の下、
「いつの時代にも後宮には
紅い紗がひるがえり、明るさを増していく内廷へと消えた。
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