第28話 空いてしまった距離


 「まずはお茶にしましょうか!」


 香織が努めて明るい声を出す。斗真もそれに合わせ、ぱんっと手を叩いた。


 「いっただきまーす!」

 「い、いただきます」


 斗真につられ、桔梗と呼ばれた少年も声を出す。姉である輪鋒は戸惑い気味に手を合わせた。

 緊迫した空気が霧散し、どうしたらいいのか分からないようだ。それを感じつつも、香織は無言でお団子に手を伸ばす。


 「美味しい……」

 

 思わず、といったように声をこぼす。甘辛いタレは団子とよく合っていた。しっかりとつけられた焦げ目が、ほんのりと苦さをプラスしている。みたらし団子とはこれほど美味しいものだったかと、香織は驚きに目を丸めた。


 そんな姿に、桔梗が嬉しそうに顔を輝かす。自分が勧めたものを、喜んでもらえて嬉しいのだろう。


 「お口に合ったなら何よりです! ここのお団子は本当に美味しいんですよ。中でもみたらしが一番です!」

 「たしかにうまいなーこれ! ついつい食べたくなる味だ」


 斗真もご機嫌に声を上げる。久しぶりの甘味ということもあり、余計に食べる手が進んでいるようだ。

 

 皆が食べる中、輪鋒だけが手を止めている。香織はそれに気づくと、優しく声をかけた。


 「輪鋒様、お団子は苦手ですか?」

 「い、いえ! そんなことは」


 香織の問いに、彼女は慌てたように声を上げる。おそらく、色んな事が頭を巡っているのだろう。真面目な少女だ。気持ちの切り替えが上手くいかないのかもしれない。


 香織はそう考え、穏やかに微笑んだ。これが、二人の関係を改善する一助になればいいと思って。


 「このお団子は、弟君が教えてくれたのですよ。元々は、輪鋒様に買っていくつもりだったとか」

 「え……?」


 香織の言葉に、輪鋒は目を見開く。大きな瞳が、今にもこぼれそうだ。


 「実は、私の不注意で弟君にぶつかってしまいまして。弟君がご用意したお土産を、台無しにしてしまったのです。

 そのままでは申し訳が立たぬと、ここまでお付き合いいただきました。

 弟君を連れまわしたこと、深くお詫び申し上げます」

 「そんな! 違います! 僕が余所見をしてぶつかってしまって……!」


 ガタリと音を立て、桔梗が腰を浮かす。香織に謝罪させたくないのだろう。

 元より、年齢より大人びた子どもだった。自身の非も認めてもいた。庇われるつもりなど、毛頭なかったらしい。


 そんな桔梗を、斗真が無言で制する。今は、輪鋒が口を開くのを待つべきだと。

 その思いが桔梗に伝わったかは定かでないが、彼はゆっくりと腰を下ろした。


 「そう、なのですか……」


 ぽつりと、輪鋒が声をこぼす。その声は震えていた。迷子の子どものようと言えば良いだろうか。どこか不安そうな様子が滲んでいる。

 香織はちらりと視線を上げると、輪鋒の戸惑うような表情が見えた。


 「勇士様、どうぞお顔を上げてくださいませ」

 「……ご配慮痛み入ります」


 輪鋒の声に従い、香織はゆっくりと顔を上げる。彼女は眉を下げ、香織を見つめていた。

 その様は、屋敷で相対したときとはかけ離れていた。年相応な、愛らしい少女の姿だ。


 「謝らねばならぬのは、こちらのようです。桔梗がぶつかってしまい、誠に申し訳ございませんでした。お怪我はありませんでしたか?」

 「はい、どこにも。……やはり、お二人は姉弟ですね」

 「え?」


 謝罪する輪鋒に、香織は即座に返事をする。

 その上で、微笑ましげに口元を緩めた。思いがけぬ言葉だったのか、輪鋒は首を傾げている。


 「同じことを、弟君も言われました。自分の怪我や、お土産を台無しにされたことも気にせずに。真っ先に私を案じてくださったのです。

 真面目なところも、優しいお人柄も、お二人はよく似ておられます」


 そう告げる香織に、輪鋒は息をのんだ。こくり、と喉が鳴る。見開かれた目は真っ直ぐに、香織を貫いていた。


 「似て、おりますか」

 「はい、とてもよく」

 「そうですか……そう、なのですね」


 小さく呟くと、輪鋒の瞳に膜が張った。何か思うところがあるのか、涙が浮かんでいる。

 けれど、それが溢れることはなかった。一度唇を噛み締めると、深く息を吐いた。


 これが、当主になるという重責なのだろうか。大人顔負けの振る舞いは、こうした我慢により作られていたのかもしれない。


 「ありがとうございます、勇士様。そうおっしゃっていただけたこと、嬉しく思います」

 「いえ、私は事実を言ったまでですから。

 今回の件は、私にも非があります。どうか、弟君の話を聞いていただけませんか。屋敷を抜け出したことにも、きっと理由があるはずですから」


 香織の言葉に、輪鋒は静かに頷く。そして、ゆっくりと桔梗へ視線を向けた。

 その表情に、当初のような怒りはない。


 「桔梗」

 「はい、姉上」


 静かに語り出した声は、とても静かだ。一呼吸入れたことで、落ち着きを取り戻したらしい。


 「屋敷を抜け出すことは許せる話ではありません。

 ですが、あなたは街に出た。一体、どのような理由があったのでしょう。姉に聞かせてもらえますか」


 語られる言葉に、棘はない。怯えさせぬよう配慮もしているのだろうか。声はとても穏やかだ。


 それに、桔梗はほっとしたように息を吐く。拳をぎゅっと握り、口を開いた。


 「姉上に、土産をお渡ししたかったのです」

 「土産、ですか。なぜ?」


 問いかける輪鋒の瞳は、心底不思議そうだった。馬鹿にしているのではない。そこにあるのは、純粋な疑問だ。

 まるで、自分に土産など買うはずがない、そう言うかのように。


 「姉上は、いつもお忙しそうです」


 桔梗が語る。当主である姉は、いつも執務に追われていると。部下の報告を聞き、必要な指示を出し、勉学にも励む。


 まだ少女と呼べる歳だ。本来なら、学問を優先していても可笑しくない。その中に執務が入って来たとあれば、それは忙しいことだろう。


 ご両親が健在だった頃は、もっと穏やかな生活ができていたそうだ。ここまで忙しい日々を送る必要もなく、時折遊んでもらうこともあったらしい。


 元より、長子ゆえ厳しく躾けられていたらしいが、執務が無い分多少の時間はあった。そこで姉弟の語らいもできていたのだろう。


 しかし、今となってはその時間も無くなった。日々の忙しさに、姉の表情は固いものとなっていく。それを、見ていられなかったようだ。


 「姉上は、もっと穏やかに笑っておられました。お仕事がお忙しいことは、理解しております。両親が亡くなり、姉上に全ての負担がかかっていることも。

 だからこそ、少しくらい休んで欲しかったのです。姉上は、甘い物がお好きでした。菓子があれば、少しは休めるかと……」


 なるほど。香織は心の中で頷いた。姉が無理していると思い、息抜きをさせようと団子を買いに来たのか。抜け出したことは決して良いことではないが、気持ちは理解できる。


 いくら大人びていても、子どもであることは変わらない。思い立ったが吉日とばかりに、走り出してしまっても可笑しくはない。


 「申し訳ございませんでした、姉上。ご迷惑をおかけして……」


 しょんぼりと桔梗が肩を落とす。それに、輪鋒は静かに口を開いた。


 「屋敷を抜け出したことは、反省しなければなりません。分かりますね?」

 「はい……」


 輪鋒の言葉に、桔梗は身を縮ませる。本人も十分反省しているようだ。素直に謝罪できるあたり、立派だといえる。

 彼女も分かっているのだろう。弟への御小言は、それ以上続かなかった。

 

 「ですが、ありがとうございます。私のためを思い、してくれたのですね」


 その言葉に、桔梗は勢いよく顔を上げる。視線の先には、穏やかに笑う輪鋒の姿があった。


 「ありがとう、桔梗。お団子、とても美味しいです」

 「……はい!」


 姉の言葉に、桔梗は声を詰まらせる。その表情は明るく、まるで向日葵のようだった。






 「勇士様、此度の件、心より感謝申し上げます」

 「いえ、そんな。お二人が歩み寄った結果ですよ」


 団子を食べ終え、4人で通りを歩く。二人で帰すのは危険だと、香織たちも屋敷まで同行することにした。


 その道すがら、隣を歩く輪鋒が口を開く。視線は、前を歩く弟に向けられていた。


 「私は、当主として恥ずかしくないよう努めて参りました。それについては、後悔などありません。


 けれど、姉としては自信がなかった。日々の予定に追われ、桔梗と顔を合わせる機会はなくなりました。自身も、当主らしくなるにつれて固くなったように思います。

 あの子のような無邪気な笑顔は、もう浮かべられない」


 その言葉は、酷く悲しく響いた。若くして当主という重荷を背負った彼女にしか、分からない苦悩だろう。


 「私とあの子の間には、距離ができたと思っていました。楽しく笑い合えた日々は過去になり、昔のように笑える自信もない。

 純粋なあの子に向き合う勇気が、いつの間にか無くなっていた」


 小さく呟かれた声が、香織の胸を締め付ける。立場は違えど、彼女が抱える苦悩の一端が見えた気がして。

 少女の悩みとは思えぬ重さに、奥歯を噛み締めた。


 「本当に、ありがとうございました。まだぎこちないところもありますが、少しずつ元のように接していけたらと思います」

 「大丈夫ですよ、輪鋒様なら。弟君を案じ、町中を走れる優しさがあるのですから」


 そう告げる香織に、輪鋒は足を止める。自然と、香織の足も止まった。

 振り返った先には、安堵したように微笑む輪鋒の姿があった。その目尻には、涙が滲んでいる。


 「ありがとうございます、勇士様。きっと、そのお言葉に報いて見せましょう」


 花のような笑みを浮かべる彼女に、香織も微笑み返す。


 どうかこの姉弟が末長くあるように、心から願った。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る