第六話 辺境伯家の政治的駆け引き

「それで、どうなった?」


 どっぷりと日が暮れてから屋敷に戻ると、にやついた顔の悪友が待ち構えていた。

 彼は鱗切りの実演を追えたあと、いつの間にか陛下の前から姿を消していたのである。

 本当に、要領がいい男だ。


 ルドガーが差し入れてくれた軽食――固い黒パンと野菜クズのスープを力なく受け取る。

 ひと月前を思えば、これでも充分な食事だ。

 民草はもっと酷い食生活であろうし、被災者は住む場所さえない……などと考えつつ、まだ問いに答えていなかったことを思い出す。

 こちらの内心を察しているのか、黙ってくれている幼馴染みを見遣る。


波瀾万丈はらんばんじょうだった」

「当ててやろうか。他国が『龍を倒したのは我が国だ!』と、こぞって言い出した。違うか?」

「交渉ごとにかけては、おまえが上手だよ」


 正解だと告げると、彼は得意満面な表情で高い鼻を撫でた。


「帝國の使者はこうだ。『我が国が三ヶ月前に行った砲撃により巨大龍は致命傷をうけ、いま死んだのである。よって巨大龍討伐の名誉、功績、その遺骸は全て我が国のものである』」

「陛下はどう答えた?」

「『龍の全身を検分したが、あの日突如発生した火傷以外に、一切の傷は見受けられない。これは明確に火砲の痕跡あととは異なる』」


 悪友が大笑いする。


「大臣か、おまえさんか。入れ知恵したのはどっちだ? いや、答えなくてもいい。調べる時間があったのは」

「私だ」

「この七年でおまえは悪辣あくらつになったな。先回りもお手の物か。で、次の使者は何と?」


 趣味の悪い表情で訊ねてくる彼に、うんざりとしながら私は返す。


「『我が国の呪術師まほうつかいが行った呪詛加持祈祷ノロイにより龍は死に絶えた』。以下同文」

「妙だな。巨大龍は未だにこちらの魔法を受け付けない。そうだろ、ヨナタン博士?」

「おかげで龍牙兵への抜本的な対策は何もできていない。だから、これも退けた」

「諸侯はどうだ?」

おおむね、これからどうすればいいか、そうしてどのように被害が補填されるのかという相談だった。税についての質問もあったな。悪いようにはしない、なんとかすると答えて帰らせたが……一人だけ、別格がいた」

「それも当ててやろうか?」

「答えを知っている人間に出す問題など無い」


 得意満面を押しつけてくる悪友を引き剥がし、私は黒パンをスープに浸し、かじる。

 それでもなおパンは固く、スープの塩気だけが際立った。

 なにもかもを、強引に飲み込む。


 諸侯の中で、唯一建設的な意見を使者に持たせた貴族。

 それはルドガーの父親、バルグ・ハイネマン辺境伯だった。


 辺境伯は、龍の解体に用いる武具が国にはないと見抜いていた。

 だから、己の家に伝わる聖剣を貸し付けようと申し出てきたのだ。


「さすがは親父殿だ。快刀乱麻かいとうらんまを断つ」

「実際どうなのだ。ハイネマン家の聖剣……古城の鉄扉てっぴを一撃の下に斬り破り、自軍に勝利を導いたと伝えられる名剣、〝鉄扉斬りティルトー〟は? この状況を打開しうるのか?」

「あれならば、鱗を剥がすだけなら造作も無いだろうな」

「鱗を切れると?」

「いや。オリハルコンを断てる剣など、それこそ神話の武具だ。だが、鱗と皮の間を断つことはできる。動き回る龍に対しては自殺行為だが、死んだ今ならば容易い」

「なるほど……」


 ならば、やはり申し出を受けておいてよかった。

 もっとも、だからこそルドガーは今、ここに居るわけだが。


「親父殿は、俺を指名しただろう? 必要なら取りに来いと」

「だから議場から姿を消したな……」

「居合わせたなら、交渉の余地なく承諾させられていただろうからな。俺にだって条件というのがある。ふっかけるには、同じ議場ステージに登らないことも大事だ」


 彼とその父親バルグ卿は、別段不仲というわけではない。

 だが、かたや国土を守る要たる辺境伯。

 かたや、人類最強の剣士〝災世断剣さいせいだんけん〟だ。

 同じ家に属しながらも、その立場はいささか面倒くさい。


「親父殿は俺を手駒として囲いたい」

「おまえはそれが嫌で、個としての武力を磨いた」

「おっと、勘違いするなよ? 地位にも名誉にも、俺は執着がある。辺境伯におさまるより、自由騎士として動いて回る方がちやほやされると踏んだだけさ。当然だろう、楽をして生きたいし、女も抱きたい。幸せにもなりたいとも」

「……いまこの国におまえがいてくれることを、私は心底幸運に思うよ」

「よせやい」


 悪友は顔をしかめると、再び鼻の頭を擦る。

 子どもの頃から変わらない、照れ隠しの仕草だった。


「おまえさんがいなきゃ、とっくに俺は他国へ行っている」

「世辞でも嬉しいものだな。さて、聖剣の話に戻るが……龍が暴れている間も、周辺諸国を牽制してくださったバルグ殿にご足労願うわけには行くまい」

「睨みを利かせてなければ、敗戦国同然のこの国は今頃攻め込まれてるだろうからな。どこも龍災害を受けてはいるが、この国エルドは別格で被害が色濃い」


 最も顕著に龍が暴れ回ったのは、我が国である。

 他国と比べて、疲弊の色は明白だ。

 バルグ殿によって外敵への牽制はなされているが。

 しかし同時に、国内で暗躍する輩がいないとも限らない。


 エルドという国は今、動乱の中にあると言えた。


 つまるところ、ルドガーにしてみれば旨味どころか危険さえあるのだ。

 国を捨てるという選択肢すら、この男には当然与えられている。

 私には、それを止める力が無い。


「ゆえに、頭を下げて頼むことしか出来ない。力を貸してくれ、ルドガー。いまは、なんとしても龍鱗を剥ぐ力が必要なのだ」

「よし、いいだろう。行ってきてやる」


 二つ返事で引き受けてくれた幼馴染みだったが、すぐに整った顔へ欲望を浮かべてみせる。


「その代わりと言っちゃあなんだが」

「解っている。美味い酒を用意させよう。陛下に陳情ちんじょうして勲章くんしょうだろうと、会いたいのならどこぞの姫君との謁見だろうと取り付けてやる。バルグ卿に、こっちへ戻ってくる邪魔もさせない」

「有り難い。親父殿は、俺を手元に置いておきたくてしょうがないらしいからな」


 それはそうだろう。この友人ほど有能な武人というのは、他にいない。

 戦士としても群を抜き、指揮官としても重宝する。

 政治にも明るく、交渉ごとも得意。

 私であれば、絶対に手放さない。

 それを無理矢理借り受けているのだから、バルグ殿には足を向けて寝られない。

 彼の父親だって、龍災害から生き延びた息子の顔を一目見たいというのが本音だろうから。


「いいや、おまえさんの言うことだから、親父殿も無碍むげにはできんのさ」

「私にそのような力は」

「ある。俺が認めてやる。だから協力するのだ。エルドを立て直せるのは、〝龍禍賢人〟ヨナタン・エングラーの他に置いていないと思っているからな」


 大げさな。


「どう考えていようが、屋台骨はおまえさんだ。俺はそのおこぼれを頂戴できればいいのさ。知ってるか、漁夫の利が一番美味いんだぜ? さぁて……出立の準備をする。今日はここまでだ」

「ルドガー」

「ああ、言い忘れたが」


 立ち上がった彼は入り口のドアに手をかけ。

 それからこちらを振り返った。


の家を手配しておいた。あとで顔を出してやれ」

「……恩に着る」

「なに、惚れた弱みだ。おまえさんも、これからはあいつを守って生きていけばいい。死に急ぐなよ、盟友」


 彼は、とてもお節介なことを言い残して去って行った。

 深く息をつき、顔を上げる。

 持ったままだったパンを口の中へと詰め込み、咀嚼そしゃくする。

 しっかりと食べなくてはならない。

 やるべきことは山積みで、なによりも。


「エンネアを、心配させてはならないのだから」

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