27 吉凶が交錯する、それぞれの萌芽

 もしかしたら、心の何処かではそう思っていた。

 だが、それはただの希望……普通はそう都合よく現実は回らない、そう彼は――ネシオは考えていた。

 しかし、目の当たりにした現実は紛れもなく、心の何処かで『そうなってくれたら』と思っていた事の実現だった。


 ネシオは本来の目的だった剣の回収を大急ぎで行って、その足で只管に走った。

 それが罪悪感からの逃走だったのか、興奮によるものだったのかはネシオにも分からなかった。


 ズーメルゥ西地区の下町商店街……その路地裏までやってきて、ようやくネシオは足を止めた。

 そのまま、その場所で膝を付き、息を整える。


「はぁっ……はぁっ……!」


 身体も頭も熱かった。

 それがずっと走ってきたからだけではない事は間違いないだろう。


「ああ――っ……」


 自分の中から零れ落ちた息にはきっと様々な感情が込められていただろう。

 彼女の――ヤエと名乗っていたの一糸纏わぬ姿を見てしまった罪悪感は小さくはない。

 今でも思わず思い出しそうになる自分を振り払う程度には、ある。


 ただ、それよりも――今も自分を震えさせている熱狂とも言える興奮の方がずっと大きかった。


 ヤエの正体は――他でもない、八重垣紫苑だった。


 世界中に投影されていたという、あの人と魔族の和平に纏わる戦い。

 どの戦いも手に汗握るものではあったが、その中でネシオが一番最初から最後まで注目していたのは八重垣紫苑だった。


 目を惹く容姿だったから、というのがきっかけではあったもの、最終的にそれは主目的ではなくなっていた。


 悪い事は悪い事として、屁理屈をこねる悪党へと宣言する姿。

 それを成し遂げるべく、どれだけ傷つけられようとも、どんな相手にも勇敢に立ち向かっていく姿。

 そして――圧倒的なまでの強さを振るう姿。


 光の武装をもって戦場を駆けるそれらの姿は、ネシオの目に強く焼き付いて離れなかった。


 そんな八重垣紫苑が今、ここズーメルゥにいる。

 今現在の彼女は魔族領にいるらしいとズーメルゥの領報紙には書いてあったが……今ここにいる以上、何の目的があるのだろうか。


 いや、そんなのは決まっている。

 悪い奴を退治にし来たに決まってるじゃないか。

 込み入った事情はあるのかもしれないと思いつつ、ネシオはそう信じてやまなかった。


 それは――彼が思い描いていたささやかな希望だったから。


 ネシオ自身は、誰かに頼ろうと考える自分が好きではなかった――なかったが、それでも頼らなくてはどうにもならない現実を知っている。


 それでも屈してなるか、という抗う気概こそ持ちながらも、御伽噺の英雄のような、全てを覆す存在に願いを抱いてもいたのだ。


 一人立ち――幼馴染のモリアも伴っているが――は、そんな自分を否定したい想いも込められていた。

 だが、その先でネシオは出会ってしまったのだ、八重垣紫苑に。


 強く肯定したい、歓迎したい気持ちと、そんな自分の不甲斐無さへの苛立ち――今のネシオの中には、それらが渦巻いていた。


「――わけ、わかんねぇよ……なんだよ――こんなの――」 


 ただ、ネシオの胸はどうしようもなく高鳴っていた……いつのまにか気付かない内に鼻血が零れ出るほどに。

 膝を付いた状態で、地面に零れ落ちていく鼻血を呆然と眺めながら、ネシオは呟いた。


「俺は――弟子……あの人の、弟子……」


 そう、あの八重垣紫苑の弟子になった、という事がどうしようもなくネシオを昂らせていた。

 複雑な思いはあれど――その事だけはきっと、喜んでいい事のはずだ。


 ――だからだろうか。


「―――へへ……」


 ネシオは笑っていた。

 自分自身でそうなっていると気付かないままに、大きく口角を上げて笑っていた――。






  

氷結弾連リーザ・タイ・リッド・ピード……!」


 河久かわひさうしおは準備していた氷の魔術を解き放つ。

 杖から放たれた氷弾は、自分達に迫ろうとしていたレッサーデーモンの数体を凍結、動きを封じる事に成功した。


「ナイス、河久! よいしょっと!」


 そうして凍結したレッサーデーモン達に、斧槍ハルバードを振るうのは寺虎てらこ狩晴かりはる

 今の彼に可能な全力の一撃は見事魔物達を両断した……が、まだ全てではない。


「詰めが甘いな……衝波撃クーゲ・ヴェハ・スラクト


 狩晴が斬り損ねた魔物数体を、堅砂かたすなはじめが放った衝撃波の魔術が砕く。


「……で、終わりみたいね」


 そうして辺りが静かになった様子を確認して、追撃魔術を準備していた網家あみいえ真満ますみはそれを霧散させた。


「――の、ようだ。

 他に人もいない丁度いい場所だし、ひとまず一息入れるか」

「そうしてくれると助かる……正直、集中力が限界だ」

「なんだよ、河久情けねえな」

「いや、寺虎が元気過ぎるんだけど――ホントに楽しみにしてたのね」


 言いながら各自がその場に腰を下ろしていく中、狩晴は斧槍ハルバードを握った仁王立ちの状態で嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

「おう、そりゃあもうな。ま、八重垣には悪いがな」


 彼らは今、ズーメルゥの一大興行である『大迷宮』に足を踏み入れていた。

 本来なら全員で潜行、調査を開始する所だったのだが、八重垣紫苑、阿久夜あくやみお、アーガネの三名はそれぞれの為すべき事へと邁進している為、ここにはいなかった。


「――んん。紫苑も結構楽しみにしてたもんね……どっちかというと私達と冒険できるのが楽しみだったかもだけど」

「確かに、そんな感じだったな……僕達だけ先に入ったのに若干罪悪感あるよ」

「……本人が良いと言っていたし気にしなくてもいいだろう」


 水流の魔術を直接自身の口に注ぎ込んだ真満の言葉に、潮が少し苦しげに続いた後、はじめが言った。 


「それに時間を無駄に浪費している暇はない。

 いずれ最深部に進まなくてはならないんだ――ある程度は調査を進めておかないとな。

 件の区長とやらの影響力が、ここでどこまで及んでいるかも把握しておきたいし。

 あと、俺達のレベルアップも可能な限り進めておきたいしな」

「レベルアップかぁ――私達もあの神域ってのに辿り着かないといけないの?」


 神域。

 八重垣紫苑曰くの『贈り物』が進化した形。

 紫苑はそれを使う事で、戦闘前の段階で無限のシミュレーションを行えるようになったという。

 各自の『贈り物』の神域が、どのような形になるのかは未知数だが――。


「辿り着ければ大きな力になるのは間違いないだろうからな。

 あの神々とやらが厄介そうなのもそうだが、冒険者としてやっていく上で大きなアドバンテージにもなる。

 目指して損はないだろう」

「異論はねぇけどさ、『贈り物』を使いまくってりゃどうにかなるもんなのか?」

「彼女やそこに辿り着きかけたつばさ曰く、自分の中の何かを越えられたら、という話らしい」

「うーん、具体的にはどうすればいいのか見当がつかないな」

「……そうでもないな。

 おそらくは、自分の中の壁を突破すればいいんだろう――

 それが各々にとって何なのか、超えやすいのか超えにくいのかは各自次第なんだろうが」

「そうでもなくないじゃない……全然具体的じゃないし」


 ツッコミを入れる真満にはじめは、ハァ、と小さく息を吐いた。


「俺自身はもう見当がついてるからな。

 自分の越えるべきものなんて、すぐ分かりそうなものだろ」 


 やれやれ困ったものだとばかりのはじめの態度に、真満達の冷たい視線が突き刺さる。

 が、本人は素知らぬ顔で水筒に入れていたフェーク――元の世界のコーヒーに近い飲料である――を堪能していた。


「コイツ……いつものことだけど、腹立つわね」

「……まぁ、前よりは柔らかくなったんじゃないか?」

「五十歩百歩じゃねえの?

 ま、いいさ――確かに自分の越えるべきもんなんざ、自分で見つけるべきだしな」


 そう呟いて、狩晴は自身の掌上に『ファイヤーバーンノヴァ』を発動させた――ごく小さい形で。

 ただ解き放つのとは違い制御は難しく、すぐに霧散する。


 だが――確かな手応えを狩晴は感じていた。 


「精々偉そうにしてりゃあいい……この中で神域とやらに一番に辿り着くのは俺だぜ」

「おお、なんかすごい自信ね」

「……言うのは自由だな」


 真満とはじめが反応を返す中――存外そうなるかもしれないと潮は考えた。

 特に深い理由はなく、これまでとは違う力の発露を考え出した狩晴の様子を見て、なんとなく、だった。


 そして、そのなんとなくの推察は的中する事になる。

 ただそれは、彼らによって予想外の形での結実となるのであった――。 

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