② 殺し合う覚悟を抱えて


「ただいま戻りました、師匠」

「戻った」

「ああ、お帰り」


 林を抜けて一度街道の方に――スカード師匠のいる所まで戻る私達。

 師匠は私・八重垣紫苑やえがきしおんと、堅砂かたすなはじめくんの全身を一瞥して、小さく息を零した。


「どうやら特に何事もなかったようだな。

 どうだ、初めて魔物を殺した感覚は」

「正直、複雑です。

 ちゃんと倒せて今も生きてる喜びと――殺した感覚が、相反してグチャグチャになってるような」

「――むしろ冷静に感想言えてないか、それ」


 そう突っ込む堅砂くんの顔は若干青く見えた。

 それについてわざわざ指摘する趣味の悪さはないので、私はただ何とも言えない表情をするにとどまった。


「ふむ――二人とも、上出来だ。

 ちゃんと思う所はありながらも、冷静な所は冷静なまま動けてたみたいだしな。

 念のために昨日一日じっくり鍛錬した甲斐はあったな」


 あれから、クラスメートの寺虎くん達の出奔から二日が経っていた。


 私達はあと十八日でレートヴァ教の人達の庇護下から離れて生活できるようにならねばならない。

 なのでできれば昨日の段階で冒険者登録を済ませて魔物退治の依頼を受けたかったのだが――。


『こういう時こそ焦るな。地道に積み重ねるんだろ?』


 翌日に訪れた師匠に意見を求めた所、その言葉を返されて、私達は昨日一日を準備へと費やした。

 実際、私は思った以上に焦っていたのかもしれず、大いに助かりました、はい。


 それは普通の武器の鍛錬であり、戦いを挑む際の前準備や心構えの学びであり、冒険者協会への登録でもあった。


 協会への登録の際には、たまたま居合わせていた、この世界の冒険者の人達から絡まれたりからかわれたりもあった。

 だけど、だからこそ、前日にそれを済ませておいてよかった。 

 もし当日に絡まれたりなどがあったらその分時間を消費していたし、精神状態も万全とは言い難かっただろう。

 今日も一言二言からかわれたり、依頼を受ける流れに戸惑ったりもしたけど、経験のお陰でそういう事を覚悟出来た。


 そうして出来る事前準備をしていたからこそ、私達は浮足立たずに魔物を――ゴブリンを倒す事に成功していた。


 私達が受けた依頼は、街道沿いの魔物退治。

 このところこの辺りの魔物は全体的に増加傾向にあるという事で、それもあって倒せば倒すだけ報酬は上乗せされるようになっている。

 ゴブリンは討伐対象の中では一番低い報酬額だが、初めて魔物に挑む私達には相応しい相手だろう。


 実際、もう少し強い――この辺りではグリズリーやオーク――大きな魔物であったら、冷静に倒せたか分からない。

 心構えや覚悟はしてきたつもりだが、現実どうなのかはまだまだ分からないのだ。

 ――現段階でもなんとか上手くいってホッとしている有様なだけに。


「師匠のお陰です。ありがとうございます」

「それは確かにな。感謝する」


 師匠との少し過剰かもと思える組手めいた鍛錬は、私達に痛みや死への恐怖への耐性を少なからずつけてくれていた。

 それがなかったら、私達はもっとおっかなびっくりに戦って、もしかしたら死んでいたかもしれない。


 なんせ私達二人は、他の冒険者になったクラスメートと違って、戦闘向けの『贈り物』を所持してないのだ。

 距離を詰められもせず、危なげもなく倒す、なんて事は出来ないのです、ええ。


 そうして御礼を伝えると師匠は、少し渋い表情で告げた。


「少し気が早いな。

 せめてそれは今日を一度も死なずに潜り抜けてから言う事だ。

 それを言う暇があったら、槍に付いた血を拭いておけ」

「そ、そうですね、はい」


 指摘されて慌てて私は手に持っていた若干小さな槍の先端部分の、緑色の血を拭き取った。

 事前の座学で教えられていた事なのに、と反省する。


 ちなみに、槍をチョイスしたのは素人でも扱いは比較的楽なためで、少し小さめサイズなのは、本来の大きさの取り回しは現段階の私には難しく、かと言って他の武器……主にこの世界ではポピュラーな長剣を問題無く振るえるほどには慣れていないので、市販の槍を師匠によってほんの少し調整してもらったからである。

 長剣よりもちょっとだけリーチがあって、私的に取り扱いやすいベストサイスなので、ただただ師匠に感謝です、はい。

 

「それと、そうだな――遅い早いはないから、昨日も言ったように今日も改めて言っておくが。

 いや、むしろ殺す事を実感した今だからこそ言っておく。

 もしお前達の前に敵対する――殺そうと襲い掛かる人間が現れたとしても、さっきと同じ、つまり魔物と同じように躊躇いなく戦うように」

「――それは、難しい事ですね」


 さっき殺したゴブリンが、仮に人間だったとしたら。

 同じように殺す気で襲い掛かられたとしても、私達は同じように対応――殺す事はできるだろうか。


 きっと簡単にはいかない。いくはずもない。

 ――だけど。


「躊躇うのは当然だ。

 だが本当にいざとなって、殺す事でしか生き残れない状況なら、絶対に遠慮や容赦をするな。

 人に限らず、誰かや何かを殺す事で他の何者かに憎まれる事恨まれる事は避け難いし、絶対の復讐を誓われる事もあるだろう。

 場合によっては裁かれる事もあり、罪悪感も生まれるだろう。

 だがな、そういうのはその瞬間瞬間に生き残って、無事に帰るべき場所に生きて帰ってから考える事だ。

 先の恨み辛みを杞憂して考慮して殺される事程無意味な事はない。

 ――やるべき事ややりたい事の為に生きなくちゃならないなら、尚更だ」


 実際師匠の言葉どおりだろう。

 ここは私達のいた世界ではなくて、命を落とす可能性が桁違いに高い――異世界なのだ。


 私達の世界では忌避される、命を奪うという行為。

 だが、私達の世界でも『正当防衛』という言葉が、概念があるとおり、自他の命の危機であれば――。


 頭の中に浮かぶのは、クラスメートやレーラちゃんの事。

 自分が死ぬだけならまだしも、自分が死ぬ事で影響が生まれる事柄を思えば、私は、私達はそう簡単に死ぬわけにはいかない。


 そう頭では分かっている。

 もしもそういう場面に遭遇したのなら、どんな事が頭を過ぎって、先々後悔するとしても、生きる為の最善を尽くすべき――いや、そんな綺麗な事じゃないか。

 

 建前や綺麗事を放り捨てて――生きる為に死に物狂いで立ち向かう、それが自然で、正しい事なんだと思う。

 

 私達が相手の命の考慮まで出来るほど強いならまだしも、私達は元々ただの学生でしかないのだから。

 

「冒険者の依頼の中には、邪悪な魔術師を討つ事も、残虐な盗賊を殺す事もある。

 そういう依頼を避けるにしても、だ。

 お前達は現在領主の息子と敵対関係にあると言っていい。

 今日の帰り道、それ絡みの連中に絡まれて、剣を抜くような自体も起こり得るんだ」

「それは、確かにな」

「人を殺すのに慣れろとは言わん。

 だが、自分や誰かを生かす為に慣れる慣れないなんぞ言ってられない、相手を絶対に殺すべき状況ってのは、冒険者をやってれば確実に遭遇する。

 だから、心の隅でもいい。いつかくるその時の為に、そういう事を留め置くようにしておけ」 


 本来の、元の世界にいた、あるいはこの世界に来たばかりの八重垣紫苑なら、それでも人殺しなんて、と言っていたかもしれない。

 だけど――今の私はそう言いきってしまう事が正しいとしても口には出来なかった。 


 それは少し前のレーラちゃんを助けたいと思った時とは違う。

 どちらの天秤にも命が掛かっている以上、絶対的な正しさのない、白でも黒でもない、灰色の行動であり選択だと思うから。


「――――はい、心がけます」 


 だからこそ、私はあえて言葉にして頷いた。

 そうせざるを得なくなった時、自分が悪いとも相手が悪いとも口にせず、すべき事をする為に。


 勿論、できればそんな時が来ない事を心底望んでるけど。


「まぁ、いろいろ言ったが」


 そう答える私の表情が暗かったのか、師匠は苦笑しながらこう付け加えた。


「この世界での命の扱いは、良くも悪くも軽い。

 お前達もそうであるように、命がけの仕事をしてる奴は蘇生契約を交わしてる奴が大半だしな。

 その分、もう少し気楽に考えていい」

「師匠――」


 師匠の心遣いに、私の胸がほんのりあたたかくなる。

 そしてその分、心の重みが減っていくのを感じ――私はその気持ちに応えるように強く頷いた。


「了解しました。そちらも心にしっかと留めます」

「八重垣は無駄に真面目だな。

 俺は元々そのつもりで、敵対する奴は全部消し炭のつもりだったぞ」

「さっき氷漬けじゃなかったか?」

「言葉の綾だ」

「ま、はじめの強がりはともかく、そろそろ次に行くか。

 次は紫苑、魔法を解禁して戦っていい。

 事前に話したとおり、両方での戦いに慣れておくように。

 一は、補助魔術に切り替えていけ」

「「了解」しました――!」


 その後、私達は様々な事を試し、積み重ねながら魔物を退治していった。


 倒した魔物達にも仲間や家族がいて、私達は既に復讐の対象になったのかもしれない。

 その事を覚悟しただなんてまだ決して言えないけれど、それでも自分が魔物を殺した事と復讐の可能性を抱えている事実は忘れないようにする事を私は誓った。


 自分なりにそうやって腹を括ったつもりになったからか、それ以後の私は最初程の緊張をする事はなかった。


 そうして、私達は無事に、冒険者としては順調な滑り出しに成功した。





 ――なのだが、異世界召喚をされた私達クラス一同としては、順調とは決して言えない状況だった。





「ダメ。どう計算してもお金が足りない」


 その日の夜、食事を終えてから皆で今日の事を報告し合う中、クラス全員の経理を担当する事になった網家あみいえ真満ますみさんは、淡々とそう告げたのであった。


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