⑲ 『全力』って日常生活だと中々出せない気がします



「よし、この辺りで良いか」


 私・八重垣紫苑やえがきしおんを鍛え上げてくれる――そう約束してくれたスカード師匠は、自宅の外に出ると道を少し登っていき、傾斜などがなるべくない、だだっ広い場所を選んで足を止めた。

 その後を追っていた私は師匠のすぐ近くで、一緒に付いてきてくれた堅砂かたすなくん、そしてレーラちゃんは少し離れた場所で歩みを止める。

 

「じゃあ紫苑。まずは俺に全身全霊でかかってこい」


 身体を解す動きの後、師匠は私にそう言った。

 

「それは、どういう――?」

「文字どおりの意味だ。

 武器でも何でも好きに使って、俺を倒そうとしてみろ。

 ああ、心配するな」


 師匠は言いながら懐から、小さな緑色の宝石のようなものを取り出すと、何事かを呟いた。

 すると宝石から光が零れて、師匠の全身を薄く包み込み、やがて消えていった。


「見てろよ?」


 師匠はどこからともなく取り出したナイフで、自分の手の甲を切る。

 当然血が流れ降りる――が、次の瞬間、師匠が薄く緑色に光ると生じた傷が癒えていき、あっという間に皮膚が再生を終えていた。


 なるほど、自動回復のアイテムだったのか。

 すぐさま神様(推定)からの『贈り物』たるステータスの能力で確認すると、状態に『自動回復効果中程度発動中』と表示されている。

 効果は――発動中は重症でも一瞬で回復可能、という事らしい。


「どうだ、これなら心配ないだろ。だから遠慮なくかかってこい」

「……」

「大丈夫なのを見せてやったのにやりづらそうだな。――

 お前達異世界人は、どうも対人戦に躊躇いを覚えるらしいし、全力で戦うって事に不慣れらしいからな。

 まずはその認識を塗り替えてやる」


 確かに、そうかもしれない。

 私達の世界では誰かを傷つける、という行動・発想が法律・良識的に封じられている状態である事は否めない。

 そうしようとしても大半の場合ブレーキがかかるはずだ。

 そうする事に躊躇いのない人間もいるが、それはごく僅か、稀な存在だと思う。

 

 だから、師匠の言葉どおり、私達は全力を出して相手と戦うという事が、今一つ呑み込めていないのだろう。

 ――多少、ほんの少しだけ武道を齧った私もそれは変わらない。


「そりゃあ躊躇いはあるだろう。

 かく言う俺だって人を殴ったりが好きなわけじゃあない。

 だがな、そうして躊躇っている瞬間に殺される事なんか、この世界では日常茶飯事なんだ。

 冒険者は蘇生可能契約を交わして、いざという時は神殿で再生される事が大半だ。

 だが、そうなった結果失われるものは、お前さんが想像するよりも遥かに多い。

 再生はあくまで身一つのみ行われる、つまり折角金を払って準備した装備その他はすべて失われるんだ。

 そして死ぬという事は、お前さんたちの想像するより何百倍もエグい。

 その事が心の傷になって立ち上がれなくなる者さえいる」


 なんとなく想像して息を呑む。

 百戦錬磨の冒険者でさえそうなのだ。

 死から遠い日常を送っていた私達では尚更に立ち上がれない可能性は高いだろう。


「なにより、時間だ。

 蘇生するまでの時間は人によってまちまち――覚悟の違いが出るんじゃないかってのが冒険者の定説だ。

 死んでどのくらいで生き返れるかなんて、死んでみないと分からない。

 さらに、失われた装備を買い直したり、あるいは回収に向かうのにも時間が掛かるだろう。

 お前さん達に、そんな時間が、猶予が、余力があると思うのか?」

「――ありません」

「それが分かっているのなら、今も悠長にしてる場合じゃあないだろ?

 それとも」


 瞬間、背筋が、いや全身が凍り付くような感覚に襲われる。

 師匠が獰猛な表情で笑いかけている、ただそれだけ――だが、実際にはそうではない。

 

(これが、殺気――!)


 そう感じた、私は思わずステータス欄を見る。

 だが、そこには、私の状態異常の欄には何も出ていない。

 それはそうだろう――師匠はただ圧力をかけているだけだ。

 そういうステータスでは表記できないものもある。そう説明文が浮かび上がってもいる。


 だが、だけど、分かる。

 が確かに存在している事を。


「お前さんらごときひよっこ以下に、俺が、一人前の冒険者が殺せると本気で思ってるのか?」

「……そうですね、失礼いたしました」


 口の中が乾く。なんとはなしに手が震える。

 しかし、だからと言って躊躇っている余裕はない。怯えてなんかいられない。

 そう。私達には時間がないのだから。


 そして何より師匠が本気を――実力的にではなく精神的に――出してくれているのだ。

 私も本気を、全力を出さなければただただ失礼だ。


 ――そうして。

 私は心に燻ぶる躊躇いを打ち消した。


「では――なんでもありの、全力で――!」


 そう言って私は、昨日の魔力行使を思い出す。

 その工程は昨日と比べて若干短縮されている――移動などの行動の合間合間に意識して、練習していたのだ、


 感覚的に魔力を使う――これこそが魔法。

 昨日認識した知識も含めて、スムーズに魔力を意識した私は、昨日作りだした『橋』を若干小さくした魔力の塊を一つ空中に生成。


(いや、まだだ!)


 上手く出来るかどうかの不安や躊躇いを吹き飛ばすように、めいっぱい作ってみる。イメージする。

 すると私の周囲に、棒状の、薄く白く光る魔力の塊が十個ほど浮かび上がっていた。


「――いきますっ!!」


 私のイメージと共に、魔力の塊は勢いよく次々と射出、師匠へと降り注いでいった――

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