チキン・ストマック

椎菜田くと

#1 起きると、そこは

 ──真っ暗だ。なにも見えない……。


 頭がぼうっとしている。目覚まし時計に叩き起こされた朝のようだ。ここがどこなのか、なにをしていたのか、わからない。眠っていたのだろうか。おれにわかるのは、ここが真っ暗でひんやりしているということだけだ。


 スマホで照らそうと思ったが、ポケットを探しても見つからない。仕方なくあたりを見渡すと、かすかな光が見えた。おれはその光に向かって歩きはじめた。足元も見えないほど暗いが、地面は平らでしっかりしているからつまずくことはなさそうだ。


 そう思った矢先に、なにか硬いものが足にぶつかった。ちょっとは目が慣れてきたのだろうか、じっと目を凝らして見ていると、箱のようなものが置いてあるのがわかった。細長い形をしていて、大人でもすっぽりと入ってしまいそうなサイズだ。まわりにも同じ箱がたくさん置いてある。


 ──まるで棺だ。


 おれは背筋が寒くなるのを感じると、無意識に走り出していた。幸いなことにそれらは整然と並んでいるようで、箱と箱のあいだが通路になっている。ぶつからずに駆け抜けることができた。どんどん光が大きくなってきて、目をあけていられないほどのまぶしさになったが、おれは目をつぶったまま走り続ける。


 不意にやわらかくなった地面に足をとられたおれは、「うわっ」と声をあげながらうつぶせに倒れこんだ。顔面を強打したのに衝撃も痛みも感じない。地面に生えている草がクッションになってくれたらしい。ざあっと風にさざめく葉の音が聞こえる。どうやら外に出たようだ。


 まぶしさを堪えながら少しずつ目をひらいていくと、草木の生い茂る森が目のまえにひろがっていた。立ちあがって服についた草を払い落とし、後ろを振り返ると、おれの目前には緑色の壁がそびえ立っている。長い年月をかけて表面を植物に覆われた古代遺跡、というような感じだ。さっきおれが出てきた穴がぽっかりと口をあけている。


 ──この奥にある棺のなかでおれは眠っていた。まさか死んでいたとでもいうのか、死んで……。


 そのとき、頭のなかにかかっていた霧が晴れ、ここで目覚めるまえの出来事がはっきりと思い出された。


 ──そうだ。おれはあのとき、トラックにひかれたんだ。


 おれが青信号で横断歩道を渡っていると、けたたましいブレーキ音が鳴り響いた。音のするほうに目を向けると、大型のトラックが眼前に迫っていた。スロー再生のように時がゆっくりと流れた気がする。スマホを片手に驚きの表情を浮かべるトラック運転手の顔を、鮮明に思い描くことさえできる。そのままトラックがおれに衝突し、記憶はそこで途絶えている。気がついたらここにいたというわけだ。


 ということは、ここは天国か。地獄ではないだろう。なぜならおれは信号無視もしたことがないほどの善良な一般市民だから、地獄に落ちるような悪事など働いたことがない。地獄に落ちるべきはスマホをいじりながら運転していた運転手であろう。


 しかし、ここは天国というには殺風景すぎる。森と古くさい建物があるだけで、天国のイメージとはかけ離れている。おそらく天国というのは、花畑がひろがり、チョウが舞い、小鳥がさえずる場所に違いない。


 ──まさか……ここは異世界?


 これがうわさの『トラックにひかれて異世界転生』というやつなのだろうか。もしそうなら、魔法使いとかモンスターなんかが出てきてもよさそうなものだが。いや、モンスターはよくないか。いずれにしても、ここで悩んでいたってなにも解決しない。だれかいないか探してみなくては。


 森に切れ目が見えたので行ってみると、そこだけ木が生えていなかった。これは人が切りひらいた道かもしれない。そう思ったおれはその道を進んでいくことにした。道というほど整備されたものではなかったが、背の高い草は踏み倒されていて歩きやすかった。これは人が頻繁に行き来している証拠ではないだろうか。


 代わり映えのしない森が続き、ただ太陽だけが傾いていった。今はまだ日が高いが、暮れるまえに人を見つけたい。暗い森でひとり、夜を明かすなどまっぴらだ。どんな獣が潜んでいるかわかったものではない。


 だいぶ歩いた気がするが、不思議と全然疲れていない。飲まず食わずで歩き続けている割に喉も乾いていない。これはもしかして、転生したことで超人的な肉体を得たのではないだろうか。さっき盛大に転んだときも痛みがまるでなかった。獣でもモンスターでも、素手で倒せちゃったりするかもしれないな。


 どこか遠くから鳥の鳴き声が聞こえた気がする。間違えようのないあの鳴き声。ニワトリだ。おれはうれしさのあまりに駆け出していた。ニワトリがいるということは、それを飼っている人がいるということだ。


 遠くに見知った鳥の姿が見えた。頭に赤い冠をいただいた白い鳥がこちらに近づいてくる。近づくにつれて大きくなる鳴き声は、特大の打ち上げ花火の音ように、体の奥まで響いてきた。


 ズシンズシンと激しく足音をたてながらおれのすぐそばまでやってきたニワトリは、その大きな瞳で威圧的に見おろしてくる。キリンよりも背の高い巨体が、おれに特大の影を落とした。


 おれはとっさに逃げ出していた。恐怖で足がすくまなかったのは不幸中の幸いだ。巨大ニワトリはおれのあとを追いかけてくる。

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