私はお姉ちゃん。
みっこ
第1話 単語帳、うとうと。
熟れた柿みたいに濃く染まる空の下。
研究室を出て、透き通った冷たい寒天みたいな空気の中を歩く。
「そういえば、今年もラニーニャで寒冬だって先生が言ってたっけ。今年こそ、あったかいもこもこのコート、買わなくちゃな。」
大学院のゼミの後に同期たちと雑談していたら、すっかり日が暮れ初めてしまった。帰る時間は遅くなってしまうけど、普段はできない研究のコアな話ができる時間は、楽しみなひととき。
大学の最寄り駅で電車に乗り込み、上着のチャックを少し下げた。
電車の中はあったかい。
動く電車の中を歩いて、空いている席を探していると、スーツのお兄さんと、女子高生の間が一つ空いていたので、ちょっとお辞儀をして、席に座った。
外は暗くなって、窓は鏡みたいに、車内をうつしていた。
日が落ちるのもすっかり速くなった。
イヤホンをしながらスマホで漫画を読んでる右の人と、
英単語帳を開きながらうとうとしている、左の人。
そしてその間に座る私。
私は何も開かないまま、隣に開かれた単語帳になんとなく目をやった。
この女子高生、私の妹と同じくらいの歳かな。高校生。
でも、年は同じだけど、私の妹はもう高校生じゃないんだけどね。
妹は、今年の秋に、高校を中退した。
大学進学で東京に出ていた私には、詳しい事情まで把握できなかったけど、前から時々電話がきて話は聞いていたし、状況はなんとなく想像がついていていた。
私の家族は転勤族で、いろいろな土地を点々としてきていたから、土地柄が合わないということが時々あった。
私も地元にいた頃は心を無にして高校をなんとか卒業したから、きっと妹も土地柄が合わなかったんだろうなと思って、田舎で2人暮らしをする妹と母親に、東京で暮らすことを提案した。
東京ならいろんな人たちがいて一人くらい気が合う仲間が見つかりそうだし、一緒に暮らすことができれば、私ももっと近くで妹の背中を押すことができるんじゃないかと思った。
私は、電話越しに聞いているだけだからいいけれど、精神的に参った状況で、これ以上二人だけで暮らすというのも、妹母、お互い苦労するだろうなと思っていたところもあるんだけどね。
ある漫画で「兄とは、常に弟の先をいっていなければならない」と読んだことがある。この言葉を聞いた時から、私も妹の先を行く存在でありたいと思っていたけれど、妹の退学をきっかけに、気づけば考え方が変わっていた。
姉とは常に、妹を支える存在でなければならない。
私は、妹の後ろについてでも、妹の背中を押してあげたいと思う。
私は世界平和を実現できるほどのインフルエンサーでもないし、自分の横にいてくれる人くらい、幸せにしてあげられる人間になれたらいいな、なんて思う。家族なら、なおさら。
でも実際のところは、横にいる人を幸せにすることさえも難しい。
妹たちが東京へ越してきてからもう3ヶ月の月日が経つけれど、妹の様子は変わらずという感じで、田舎から出てくる前と変わりない。
一緒に出かけようと言っても、何か美味しいものを食べに行こうと言っても、聞く耳も持たれない。
コンビニまでの散歩くらいなら、時々一緒にいけるようになって、それが私の、最近の一番の嬉しかったこと。
そんなので嬉しいの?なんて思われそうだけど、それでも私は毎日、そんな妹と、向き合えないなりに向き合ってみている。
いつか何かのきっかけが、妹を動かすきっかけになるかもしれないから、諦めるのにはまだ早い。
あと、どのくらいしたら。
あと、どのくらい妹に寄り添うことができたら、
私は妹の無邪気な笑顔を見ることができるんだろうか。
そんなことを考えている間に、あと半分くらいで家に着く。そろそろ、私も本でも開こう。考え事ばっかりしててもなんだし。
これが私の毎日の、通学時間の過ごしかた。
さて、今日は、お土産にケーキでも買って帰ってみようかな。
お母さんくらいは、喜んでくれそう。
隣の女子高生は、とうとうしっかり寝入って、私の方に頭を傾けていた。
私は左肩をちょっとだけ、上げてあげてみた。
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