3話 堪能
「……ちょっと強引過ぎたか……」
リビングのソファに腰を下ろし、鋼太は反省する。
(俺からしたら、ただの手助けのつもりだけど……)
女の子からしたら、ほとんど面識のない男の家に上がり、お風呂に入れさせられている。
(傍から見たら、怪しい行動だよなぁ。これからは慎もう)
下心があったわけではないが、そう考えられても不思議ではない。
「そうだ、クッキー」
鋼太は香織から受け取った包みを取り出す。
少し濡れてしまっているが、包みをほどいた中身には問題ないようだった。
「へぇ……凝ってるな……」
クッキーの形は一種類ではなく、花形、星形、動物型など多岐に渡っていた。
鋼太はオブジェ型の入浴剤同様、見た目を楽しませる、些細な工夫、気遣いは大好きだった。
そして、『ありがとうございました』と書かれて小さな手紙も一緒に入っていた。
香織のありがとうの気持ちが、鋼太の胸に染みる。
鋼太は一つ、クッキーをつまんで口に運ぶ。
「……うめぇ」
サクッとした触感。丁度いい甘さ。
クッキーに関しては、入浴剤のように詳しいわけではないが、市販で売っているクッキーとはどこか違う気がした。
「たぶん、手作りだよな……家庭的な女の子ってやつか」
鋼太はいつも人助けに見返りを求めているわけではない。
それでも、助けた相手からのお礼や感謝の言葉にはいつも胸が温かくなる。
もしかすると、無意識にその感謝が癖になってしまっていると言われても、否定はできないかもしれない。
そのときだった。
「い、石山くん……!!」
リビングの外から大きな声が聞こえてきた。
「……?」
いま家には鋼太と、香織の二人しかいない。ということは声の主は香織だと思われる。
「なにかあったのか……?」
鋼太は立ち上がり、洗面所まで行く。
そして、間違いのないように、いきなり扉を開けることはせず、ノックをする。
「あ、入ってください……」
すると、中から香織の声が聞こえる。
「開けるぞ……?」
洗面所を開けるが、そこに香織の姿はない。
(まだ、お風呂に入っている……?)
どうして自分は呼ばれたのか、鋼太はわからずにいると……
「な……!?」
お風呂場の扉は確かに閉まっているが、そこからいままで嗅いだことのない、いい香りがしてくる。
(なんだ、これ……泡乃に渡した入浴剤の香りと全然違うぞ……!?)
鋼太は思わず、お風呂の扉に手を伸ばし、開こうとした寸前のところで我に返る。
(な、なにを考えているんだ俺……! 中には泡乃がいるんだぞ……!?)
しかし、一体どうして香織は自分のことを呼んだのか?
「い、石山くん……!」
「……! あ、ああ。どうした?」
お風呂場の中から香織の声が響く。
「お、お願いしたいことがあるんです……」
「お願い……?」
「わ、わたしと一緒に……くれませんか……」
香織の声は扉越しに聞こえるか聞こえないかのぎりぎりの大きさだった。
「? ごめん、良く聞こえない」
鋼太の声を聞き、香織は覚悟を決めたのか、叫ぶ。
「わたしと一緒にお風呂に入ってくれませんか……!?」
「な……!?」
鋼太は唖然とし、声を失う。
(いま、一緒にお風呂に入ってくれって頼まれた……!?)
そして、自分の耳を疑う。
そんなことがあっていいのだろうか。自分はからかわれているのか?
鋼太はひどく混乱した。
「いきなり、こんなことを言って……ごめんなさい……」
それでも、香織の声は至って真剣である。
むしろ、本気で、何かまるで悩みを打ち明けようとしているかのような声色であった。
「へ、変ですよね……気持ち悪いですよね……き、気にしないでくだ……」
「……わかった、入ろう」
「え……!」
鋼太は、香織のお願いに対して肯定の返事を行った。
「なにか理由があるんだろ? ちょっと待ってくれ、俺も服を脱ぐから」
香織の様子からして、冗談には思えない。それに……
(このお風呂場からする香りの正体を知りたい……!)
鋼太は服を脱ぎ終えると、タオルで下半身を隠す。
「は、入るぞ……目は瞑っておくから、安心してくれ」
「は、はい……! ど、どうぞ……」
そして、鋼太はお風呂場の扉を開け中に入る。
「……!?」
そして、鋼太は動揺する。
(な、なんだ!? この香り……!?)
息をした瞬間にわかる。お風呂場の外で、鋼太が嗅いだ香りとは明らかに違うのだ。
(香りがさらに変化したとでもいうのか……!?)
いますぐにでも目を開けたい衝動にかられるが、鋼太は鉄の意志で堪える。
「泡乃、確認だが……お風呂に一緒に入ってほしいというのは、湯船のことか……?」
「……はい、そうです……」
「……そうか、わかった。それと、一つ質問だが……俺が渡した入浴剤は使ったか?」
「ごめんなさい……使ってないです。わたしには……必要ないので……」
「そ、そうか……なにか別の入浴剤を入れたりしているのか……?」
鋼太は思い切って香織に問いかけるが、香織は少し間を開け、
「そう、ですね……使っているかも……しれません」
そう答えた。
ごくりと、鋼太は息を飲む。
(一体、どんな入浴剤を……!?)
目を瞑っていても、使い慣れたシャワーの位置はわかる。
そのノズルを掴む手が、動揺し震える。
(浸かってみたい……この入浴剤が入った湯船に……!?)
鋼太は小さく息を吸い込むと、精神を研ぎ澄ませる。
心の目で、シャワーのお湯が出る方向、ボディソープなどの場所を瞬時に把握。
シャアアアッ!
そして、過去最速のスピードで全身を隈なく洗いきった。
「わ、わあ……!」
香織から感嘆の声が上がる。
(……? もしかして泡乃は目を開けているのか?)
いまはもうタオルを外し、下半身は丸出しなのだが……
と少し疑問に思いながらも、鋼太は立ち上がる。
「じゃあ、入るぞ……!」
「は、はい……!」
鋼太は目を閉じたまま、足を上げ、湯船に伸ばす。
「ひゃあ……!?」
すると、足先が何かとても柔らかいものに触れ、弾かれる。
「す、すまん! 当たったか!?」
「い、いえ……だ、大丈夫です……」
一体香織の身体のどこに触れてしまったのか、鋼太は想像しそうになるが、考えるのを止める。
(まずは……このお風呂に……!)
そして、二度目のチャレンジ。
鋼太の足のつま先が、ついに湯船に入る。
足、太もも、お腹、背中、肩。
全身が湯船に浸かった瞬間、鋼太はあまりの快楽に、震えた。
「目を開けて、大丈夫、ですよ。わたしたち……反対を向いてます……」
「そ、そうか……」
ついに、鋼太は目を開く。
長く目を閉じていたため、ぼんやりとする視界。
お風呂の湯気と相まって、少しずつ、湯船の全貌が明らかになる。
「こ、これは……」
青紫色をした、まるで宇宙にいるかのような、そんな湯面。
お湯を手ですくい取ると、小さな星々がきらきらと輝いているようにも見える。
手からお湯が零れ落ちると、その肌は艶やかかに、艶めかしく映る。
そして、驚くべきは、入浴前と、入浴後で香りが変わったのだ。
さきほどまでは、どちらかというとバニラのような甘い香りがしていたのだが、いまはローズ、ラベンダー、桜……いや、どの花にも形容しがたいフレグランスな香りがする。
そう考えているうちに、湯面の色も、青紫から、森林のような深い緑に変わっていく。
「あ…アッ……」
あまりの気持ち良さに、鋼太自身も信じられないような声が漏れる。
お風呂の湯気と一緒に、鋼太の全身、細部まで震え立つ。
いまはどんなことがあってもこのお風呂から出るつもりもないし、いろんな意味で出ることも適切ではない。
「泡乃……これは一体……」
鋼太はついに、香織にこの入浴剤の正体について問いかける。
「これは……この入浴剤は……」
鋼太の背中が一瞬、香織の背中に触れる。その背中は震えているように感じた。
「この入浴剤は、わたし、なんです……!」
「……!?」
香織の口から明かされた衝撃の事実に、鋼太は大きく目を見開く。
「……あの、どうでしょうか、わたしの身体……?」
「それは、どういう意味なんだ……?」
香織の言葉をそのまま捉えるとすれば、この入浴剤の成分が香織から出ている?
「たぶん、石山くんが……想像している通りです。少しだけ、お話を聞いてもらえますか……?」
「ああ……」
鋼太の声を聞き、香織は話し始める。
「小学校を卒業したころからくらいです……わたしの身体がこうなったのは……」
「家のお風呂に入ったときに、入浴剤を入れていないのに、湯面の色が変わり、香りがしました……最初は、なにかの勘違いかなにかかと思ったんですが……同じようなことが続きました……」
「家族にも相談して……間違いなく、わたしがお風呂に入ったときに、入浴剤と同じようにお風呂を変えていることがわかりました……家族は心配してくれて、病院にも行ったのですが……」
「原因は不明……入浴剤のように身体が溶けてなくなるようなことはないことだけは、わかりました……体調にも大きな影響はありません」
「おそらく、皮膚の表面に、特別な、入浴剤と似た成分が現れるということみたいです……」
「病院から精密検査も勧められましたが、お医者さんや、看護師さんが好奇な目でわたしを見ていることがわかり、怖くなったわたしは、家族とも相談した上で、通院を止めました……」
「それ以降、身体が入浴剤になる以外に不調はありませんでしたが……わたしは精神的に不安定になってしまいました……」
「もし、プールで同じようなことが起きてしまったら……修学旅行では……? 体育でたくさん汗をかいてしまったら……? そう考えると、わたしは人と関わることが怖くなってきてしまいました……」
「もとから、そんなに明るいわけでもなかったですが……プール、体育、修学旅行、体育祭……全部休みました……相談できる友達も……家族以外にこのことを知っている人はいません……」
鋼太は、香織の話を、ただ黙って聞いていた。
香織がどこか自信なさげに話す様子、顔が見えないくらいまでに伸ばしている前髪も、この特異体質が理由だったのかもしれない。
「そんなことがあったんだな……」
「ごめんなさい……こんなこと、急に言われても、困らせてしまいますよね……」
香織の声はどこか申し訳なく、泣きそうな声色だった。
「どうして、俺に話してくれたんだ……?」
「……石山さんは、優しい人だと、思いました……それに、入浴剤がお好きだと、聞いたので……わたしは、誰かに、話を聞いてほしかった……自分のことを大丈夫だよって……肯定してもらいたかった……んだと思います……ごめんなさい」
「そうか……」
誰にも話せず、辛い思いをしてきたんだろう。
自分の身体の得意体質を疎ましく思いながらも、誰かに肯定してもらいたかった。
鋼太には、なんとなく、その気持ちがわかる気がした。
(……それなら、俺も本音で応えるまでだ)
鋼太は、笑う。
「俺はさ、入浴剤が大好きなんだ。基本的には入浴剤のことばかり考えているし、入浴剤を毎日おかずにご飯3杯いけると本気で思ってる。実際にやって母さんに死ぬほど怒られたけどな」
「い、石山さん……?」
「プールの授業のときに入浴剤を本気でプールに入れようとしたこともあるし、お守り代わりに持ち歩くことも日常茶飯事だ。それくらい、入浴剤のことが好きなんだ」
香織は黙って、鋼太の話に耳を傾ける。
「このお風呂、泡乃が入浴剤になってくれてできたんだろ?」
「は、はい……そうです……」
そして、鋼太は、立ち上がる!
「なんだよそれ、最高じゃねぇか!」
「……!?」
急に立ち上がった鋼太に、香織は驚く。
「こんな、こんな最高なお風呂に入ったことねぇよ! いままで何百種類の入浴剤を使ってきたけど、このお風呂が、泡乃が一番だ……!」
「……!?!?!?」
香織は鋼太の発言に顔を真っ赤にする。
「泡乃はすごい……! だからもっと、自信を持ってくれ! 俺はこのお風呂が、泡乃の得意体質が大好きだ!」
鋼太はお風呂場で、香織の得意体質への愛を叫ぶ。
「……ほんとうですか……」
「うそをつく必要はないって」
「わたしがほんとうに、一番ですか……?」
「ああ。入浴剤たちに、うそはつけねぇ」
「わたしが入ったお風呂に、また、入りたい……ですか……?」
「……できれば毎日入りたいくらいだ」
「……初めて、そんなこと言われました」
鋼太は赤裸々に、そして、真剣に答える。
「……うれしいです……!」
「うわぁ!?」
突然、鋼太は香織に抱き締められる。
鋼太は驚き、身体を滑らせてしまい、鋼太と香織は裸で向かい合い、湯船の中で抱き合っている体制になる。
「あ、泡乃……!?」
鋼太の身体に、香織の豊満な胸が当たる。
(で、でかい……やわらかい……!?)
鋼太は驚愕する。制服を着ているときには気づかなった。香織は着やせするタイプだったのだ。
「わたし……うれしいです……! わたしからもお願いします……また一緒に……お風呂に入ってほしいです……!」
香織の髪が濡れ、まとまった髪をよけ、初めてその瞳と目が合う。
「だめ……ですか……?」
香織の潤んだ瞳はとても大きく、綺麗だった。
(……か、かわいい!?)
鋼太は香織の表情を初めてじっくりと見たことで、その容姿がとても整っていることに気がつく。
(こんなにかわいい子と、最高のお風呂に、毎日、入れる……?)
そんなことを想像して、鋼太の脳内は薔薇色になる。
(でも、いいのか? 付き合う前の男女が何度も一緒にお風呂に入るだなんて……)
相手の親はどう思うだろうか、倫理的に、モラルに反していないだろうか?
鋼太の根は真面目。どう答えればいいのか、死ぬ気で悩む。だが、
(……正直に答えないとダメだ)
香織はまっすぐに、鋼太にぶつかってきた。
それを、つまらない謙遜や建前で逃げちゃダメだ。
鋼太は、答える。
「俺からも頼む。俺は泡乃のお風呂にこれからも入りたい……!」
「……! うれしいです……!」
香織はぎゅっと、鋼太に抱き着く力を強める。
(ああ、父さん、母さん、そして、泡乃の家族、入浴剤たち、ごめん……)
鋼太はそう心の中で謝罪する。
やましいことをしている自覚はある、ただ、ただいまだけは……
(この、最高の入浴剤を堪能させてくれ……!)
そう心の中で唱え、鋼太はブクブクと、最高の入浴剤が入ったお風呂に沈んでいった。
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