第24話
※
「ふっ!」
「えやっ!」
ジャックは綺麗に転移先の床に両足を着いた。
麻琴は転がり、受け身を取るようにして衝撃を緩和する。
「二人共、大丈夫?」
「ああ、エンジェ。お前は飛べるからいいな」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ!」
ジャックの軽口を咎めつつ、麻琴がホルスターから拳銃を抜く。
その視線の先、まず目に入ったのは玉座だ。そのそばの空中に黒い渦が現れ、ロイがするりと下りてくる。
玉座を挟んだロイの反対側に目を遣ると、赤紫色に輝く立方体が鎮座している。一片が三メートルほどの長さ。
中には先ほど水晶玉で見た少女がいて、何やら天海と言葉を交わしていた。
その様子からして、麻琴は自分が今すべきことにやっと気がついた。
「全員そこを動かないで! 警視庁の矢野麻琴・巡査部長です、あなた方にはその少女に対する誘拐・監禁の疑いが――」
しかし、そこまで言って麻琴は口を噤んだ。こんなことを幽霊に言っても仕方ない。
だが、違和感がある。あのジャックが、自分の言動を訂正するよう注意してこないのだ。
「ジャック……?」
ジャックの目は、立方体の中の少女に釘付けだった。
「ああ……。映像じゃない、幽霊じゃない……」
断片的に呟くジャック。彼の足は、意識を無視してその立方体に――囚われの身の少女に向かって、ゆっくりと歩み始めていた。
「ジャック、危険だよ! 罠があるかもしれないのに!」
「そこまで酷なことはしないさ、エンジェさん。たとえ僕のような人間でもね」
自嘲気味に言いながら天海が振り返る。そこにあったのは、穏やかな笑みだ。だが、目だけは笑っていない。
一方、エンジェの警告が耳に入っていないであろうジャックは、件の立方体に向けて駆け出していた。しかし、立方体に触れた瞬間に弾き飛ばされ、勢いよく尻餅をついた。
「ちょ、ちょっとジャック!」
エンジェと共に、ジャックに駆け寄る麻琴。どうやら立方体は結界としても機能しているようだ。
ジャックは、自分の腕を取って立ち上がらせようとする麻琴を振り払った。へたり込んだ姿勢のままで喚き声を上げる。
「お前は伝芭、伝芭充希だな? 俺が見えるか? 俺はその……幽霊なんだが、いや、ただの幽霊じゃない、お前の爺さんの爺さんだ! ほ、ほら! 日本人とは雰囲気が違うだろう? なあ、今助けてやる、絶対に助けるぞ! 下がってろ!」
ジャックが懐からナイフを取り出すのを見て、充希は悲鳴を上げて後ずさった。どうやら音や光は結界を越えて共有できるらしい。
だったらなおのこと、最初に伝えなければならないことがある。そう判断した麻琴は、ジャックの前に飛び出て警察手帳を提示した。
「あなた、伝芭充希さん、ね? 都内の公立高校に通う二年生で、ご両親は今は同居していない。そうね?」
「あっ、あの、あなた方は……?」
胸の前で指を組みながら、細々とした声で充希は尋ねた。
「私は矢野麻琴、警視庁の刑事よ。あなたを助けに来たの。怪我はない?」
「はっ……はい、大丈夫です」
何か重いものを放り投げるような息遣いで答える充希。それに対し、麻琴は無理に微笑んで見せた。
まずは充希を安心させなければならない。刑事として、というより人間としての勘が囁く。こんな状況に陥ったのは初めてだが。
「この男性はあなたのご先祖様。ジャック・デンバーというの。信じられないかもしれないけれど、彼は百年ほど前にイギリスで重大犯罪の犯人として濡れ衣を着せられて、処刑されてしまったのよ。辛うじてそこから逃げ出した女の子がいて、それがあなたのお爺さんのお母さんにあたる。ああいえ、難しい話は後にしましょう、今はここから脱出しないと……」
そこまで一気に語ってから、麻琴は天海の方を見上げた。彼は玉座の背もたれに手を載せ、じっとこの会話に聞き入っている。
その手の中でうずくまっているのは、きっとルシスだろう。
「天海悠馬、あなた、早くこの結界を解除して。幽霊だろうが何だろうが、犯罪は犯罪よ!」
「僕にはできないよ。生憎だけどね」
そう言って肩を竦める天海。すると、彼の手中から白い光が伸びてきて、あたりを照らし出した。
直後、天海の手中からルシスが飛び出した。空中でばさり、と翼を展開し、何度か羽ばたいてからふっと身体を宙に浮かせる。
「ふう、サンキュ、悠馬。お陰で生き返ったよ」
そういうことか。
麻琴は胸中で呟いた。今の白い光は治癒魔法かその類なのだろう。ロイが早々に戦線に復帰したのも、今の魔法を見れば納得できる。
「くっ!」
再び盾とレイピアを顕現させるエンジェ。だが、ルシスはこう言い放った。
「今の君と殺し合うつもりはないぜ、エンジェ。お前には分かってるんだろう、悠馬が死にかかってるってことが。だからさっきも見逃した。違うか?」
図星を指されて、エンジェは短い呻き声を上げた。
「さて、そろそろ僕が話すべきタイミングが来たようだね」
ロイとルシスを従え、天海は自らの過去について語り始めた。その姿は、十代前半の少年のもの。だが、その目には世界を達観したような気分があった。
麻琴たちはその意図を把握し損ねた。だが、天海が話す内容に現状打開のヒントがあるかもしれない。
麻琴は背後にいるジャックとエンジェに、さっと腕を掲げることで落ち着くように促した。
「どこから話そうかな。まあ、あの日からでいいか」
※
三年前の八月、都内某所。
天海は安アパートのリビングの端で、母親に背を向けて立っていた。
「さあ、悠馬。病院に行くわよ」
「やだ! 外は暑いんだもの!」
「さっきお母さんはエアコンを切ったの。すぐにこの部屋も暑くなるわ。病院の方が涼しいはずよ」
微かに振り返り、天海悠馬は手にしていたゲーム機の電源を切った。
確かに病院は涼しいところだ。ここ一、二ヶ月、毎週通っていたから分かる。
でも、どうして通院しているのだろう? 病気や怪我に悩まされているわけでもないのに。
悠馬は常々疑問に思っていたが、母親に尋ねる気は起きなかった。どうせ適当にはぐらかされるだけだ。
しかし、完全に抵抗するには天海は幼すぎた。
「じゃあ、帰りにソフトクリームを買ってあげる。今日は特別暑いから、きっと美味しいわよ。それでも病院に行きたくないの?」
天海は思わず振り返ったものの、顔を赤らめながら俯いてしまった。自分が餌に釣られた魚にされてしまったように感じたからだ。
「じゃあ、お母さんは保険証を預かっておくから。悠馬が来るなら部屋の鍵を閉めて――」
「いや、やっぱり行くよ、僕」
「あらそう? じゃあソフトクリームはあなたのものね」
「お母さんも買ったらどう?」
すると母親は、作り笑いをより深く、歪なものにした。
「そ、そうね……。じゃあ、一緒に食べましょうか。病院のエントランスで」
こくこくと頷く天海。
母親にもソフトクリームを勧めたのには理由がある。
このところ、うちはいろいろと買い物をしているのだ。
もちろん、生活必需品は揃えている。問題は、それが贅沢品になりつつあるということだ。新型の液晶テレビやゲーム機、それに階下の駐車場に停まっている二人乗りの中古車。
父親が出て行って、金銭的余裕のない状態で育ってきた天海にとっては、どこから金が湧いてきたのかと疑問に思っていたところだ。
好奇心から母親を試した、というか鎌をかけたつもりだったのだが、どうやらこの頃の羽振りのよさとの関連はまだ見出せそうにない。
すると母親はこちらに背を向け、玄関ドアを開けながらこう言った。
「今日で病院が終わるといいわね」
「お母さん?」
「えっ? ああ、何でもないわ」
天海はまだ気づいていなかった。自分が金づるになっていて、それが母親をいかに苦しめていたのかを。
「今日は車で行こうかしら」
「車? やった! 冷房をつけていられるね!」
「そうね。だから今日も、落ちついてね。お医者さんの言うことをちゃんと聞くのよ」
「はーい!」
病院には五、六分で到着した。いつもより身体が軽快に動いていることを感じつつ、天海は正面案内にいる看護師に自らの到着を告げる。
すると、担当医が奥から現れた。四十代中盤の、いかにもインテリといった風の男性だ。
「やあ、悠馬くん。今日は君の病気を治す最後の手術だ。君は寝ていてくれればいい」
「はーい! じゃあね、お母さん!」
それが全ての終わりであり、同時に始まりでもあった。
※
そして現在。
「母がお金を貰えるようになったのは、脳神経を分析するための実験台として僕を差し出したからだ」
「そ、それであなたはどうなったの?」
麻琴が恐る恐る尋ねると、天海は軽く肩を竦めてみせた。
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