フキコさんのかけらのおうち【アドベントカレンダー2022】
深見萩緒
12月1日【フキコさんのおうち】
フキコさんのおうちは、なっちゃんの住むマンションから車で三時間も走った山奥に、ひっそりと建っていました。
冬の森というのは、なんだか散らかった裁縫箱のようです。かさかさに乾いた落ち葉やら、折れた枝やらが、忘れ去られた端切れのように、無秩序に散らばっています。常緑樹の茂りがあちこちでまだらに視界を遮り、それらを縫い止めるかのように、裸の枝々が風景を突き刺しています。
そうした混沌の中に、真っ黒な金属の柵は、よく馴染んでいました。そして柵の向こうに佇んでいるのが、フキコさんのおうちなのです。
お昼を食べてからすぐに家を出たというのに、もう日は傾き始めています。なっちゃんは車を適当なところに停めて、裁縫箱の森に降り立ちました。そして、厚手のコートのポケットから、ずっしりと重い鍵を取り出しました。真鍮製のキーリングには、ふたつの鍵がかかっています。ひとつは、キーリングと同じ真鍮製の鍵。もうひとつは、真鍮よりも少しだけ愛想の足りない、無骨な鉄の鍵です。
柵は道に面して、堂々とした門をぴったりと閉じていました。これは明らかに、なっちゃんが持っているふたつの鍵のうち、愛想の足りない方の鍵で開きそうです。
それにしてもどうしてフキコさんは、なっちゃんにこのおうちをくれたのでしょうか。
フキコさんというのは、なっちゃんのお母さんのお姉さんです。なっちゃんにとって、伯母にあたります。
なっちゃんがまだ小さな女の子だった頃は、それなりに親しかった記憶がありますけれど、なっちゃんが学校やら何やらで忙しくなってからは、すっかり疎遠になっていました。つまり、おうちのようなとんでもなく大きなものを譲り受けるような、とてもそんな関係ではなかったのです。
だけれどもフキコさんからの手紙には、確かにフキコさんの字で、こう書いてあったのでした。
『私のおうちは、なっちゃんにあげます。鍵を同封しましたので、使ってください』
それでなっちゃんは、このおうちに来たのです。少しの荷物と、フキコさんからの手紙と、ふたつの鍵だけを持って来たのです。
門の前に立って、なっちゃんはもう一度、フキコさんからの手紙を読み直します。手紙には、フキコさんのおうちでの注意点が、いくつか箇条書きにされていましたので、それをおさらいしたかったのです。
たとえば、一階の南側の部屋は窓枠が外れやすくなっているとか。裏庭の水場には蛙が棲み着いているから、うっかり踏んづけてしまわないようにとか。
そんな中で、なっちゃんが気になったのは、一番最後の注意点でした。
『先住者には、なるべく親切にすること。ただし、どうしても鬱陶しい場合は、多少ぞんざいに扱ってもよい』
先住者とは、いったい何のことでしょう。蛙のことでしょうか? まさか、家の中にも蛙が入ってくるのでしょうか?
蛙との同居生活を想像しながら、なっちゃんは鉄の鍵を手に取りました。なっちゃんの思った通り、門の鍵穴にそれはぴったりはまり、少しだけ錆びた音を立てて回りました。
門を抜けた先のおうちの玄関は、真鍮の鍵であっさりと開きました。おうちの中は散らかったり荒れ果てたりしていませんでしたし、電気も水道も通っていました。とかく
なっちゃんは荷物を玄関先に放っておいて、小走りでおうちの中を見て回ります。玄関を入って、まっすぐ行ったら台所。一階にはリビングのほか、小部屋がいくつか。そのうちのひとつは、窓枠が外れやすいという例の部屋です。
二階に行くと、階段のすぐ目の前に寝室があります。寝室と部屋続きになっているのは、書斎と天窓の部屋です。天窓の部屋には、小さな望遠鏡がありました。
なんとも小部屋の多いおうちでした。まるで、小部屋を積み上げて家を作ったような、そんな印象です。そして部屋の多い分、ドアも多いのです。
フキコさんのおうちに到着してから、なっちゃんは何度もドアを開けて、何度もドアを閉めました。
変な家。フキコさんらしい家。
フキコさんは、ちょっとだけ変な人でした。なっちゃんは、フキコさんのそういう変なところが好きだった、ような気がします。
なにせ幼い頃のことなので、今のなっちゃんにはよく分かりません。またフキコさんに会えれば、分かるのかもしれません。けれど、フキコさんはもうおりません。
おうちの探検を終えた頃には、夕食の時間をとっくに過ぎていました。なっちゃんはお腹がすいていましたが、それ以上にとてつもなく疲れていましたので、さっさと寝てしまおうと思いました。
二階の、フキコさんの寝室だけ簡単に掃除をして、なっちゃんはお風呂にも入らずに、ベッドに潜り込みました。たくさん移動をして、山の中を歩いて、ほこりと土に汚れていましたけれど、もう良いやと思って眠りました。それくらい、なっちゃんは疲れていたのです。
夢うつつの中で、誰かの声を聞いたような気がしました。
だれかな? フキコさんのおともだちかな? もしかして、この子が、なっちゃんかな?
声たちは、そんなようなことを囁きあっていました。けれど、なっちゃんは気にせずに眠ってしまいました。それくらい、なっちゃんはとにかく疲れていたのでした。
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