第11話 雨の日と赤い口紅
「今日は雨だね。後で少しだけお散歩いこうね、ナナ」
ピスピスピスピス…
愛犬は鼻を鳴らし、しっぽを振って答える。
そんな時、足元でナナは大きな瞳で光を見上げる。
「その表情がたまらなくかわいいんだよな~」
もうメロメロだ。
昨日の晴天とはうってかわって、街はしっとりと、霧雨に包まれた。
いつもは多くの人が行き交う公園も、立ち止まる人はほぼいない。
ほとんどの人が帰る家があり、守ってくれる場所がある。
しかし…残念ながらその居場所がない人間がいるのも悲しい現実だ。
「…いってきます」
「誠、今日はママお仕事だから。ゆっくり帰ってきてね!」
「…はい」
大山家の朝。エレベーターもない古いアパートの2階。
朝食は買い置きの賞味期限切れの菓子パンと、いつ開けたかわからない牛乳。
これがあるのはまだマシなほうで、朝食無しの日のほうが多い。
学校に行くのは、空腹を満たすため。
行けばとりあえずお昼は給食をお腹いっぱい食べれるから。
夜ぐっすり眠れることもなく、朝からぼーっとして勉強には身が入らない。
服が汚い、臭いとクラスメイトからいじめられる。
臭いの元は不衛生だけでなく、タバコとキツイ香水の混じったにおい。
それが制服や髪の毛に染み付いている。
「くさい、汚い。お前ん家貧乏。給食費も払えないなら学校来んな!」
クラスのボス的な子を中心に、悪口は日常茶飯事。
若い男性の担任は経験が浅いこともあり、どうしていいかわからずいじめに関しては表面化している言動などには口頭注意しているが、具体的な対応策を講じておらず、野放し状態。
学校は隠蔽体質で、いじめ問題や不登校などの問題に消極的。
こうして、世の中の当たり前の平和から置き去りにされた児童達が社会から外れていき、路頭に彷徨うこととなる。
子供は純粋でかわいいという声もあるが、純粋がゆえに残酷だ。
忖度も空気を読むこともなく、時にあるがままを口にし、相手を平気で傷つける。
母親の仕事は?
と聞かれても、誠は答えることができない。
何をしているのかわからないのだ。
誠が保育所に通っていた頃は外に働きに出ていたようだが、病気がちで結局辞めている。
実際は欠勤が多くてクビになったのかもしれない。
誠が小学校に入学してからは、家に度々お客さんが来るようになった。男の人だ。
その日はたくさんおこずかいがもらえる。
お仕事という日、いつも母親の瑠香は念入りにお化粧をする。仕上げに真っ赤な口紅を塗り、キツイ香水を身にまとう。
お客さんは大抵誠が学校に行ってる間に来るが、時に夜遅く、眠ってる間に来ることもある。
母親からは、あるルールを言い渡されていた。
「ママがお仕事してる時は、できるだけ出かけといて。もし家にいる時は、絶対に自分の部屋から出てはダメよ」
学校や買い物から戻った時に、帰るお客さんとはち合わせることもあった。
そんな時相手の男の人は意外に優しくて、
「あんたもこんな小さな子供抱えて大変だな。これでうまいもんでも食わせてやりなよ」
そう言ってチップをはずんでくれた。
「ありがとう~、またよろしくね」
そんな時瑠香はものすごく甘えた声を出し、母親ではなく最大限女の顔をする。
母が仕事の日は、雨の日が多かった。
日雇いや建築関係の仕事は雨の日急に休みになることが多く、遊ぶ人が多いから、と瑠香はお酒を飲みながらぽろっと漏らしていた。
誠は、雨の日がきらいだった。
雨の日の、派手な母親も。
仕事中は母親から離される。
家からも追い出される。
雨の日と赤い口紅は、孤独を意味するものだった。
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