コールスロー
土屋リン
9月15日 金曜日
今日はミサイルの警報で目が覚めました。最悪。でも、そのおかげで夏期講習は休講になるのではないかと思い、少しだけわくわくしてしまいました。
せっかく早起きしたので、朝ご飯をしっかり食べました。ニュースではキャスターが切迫した表情で屋内への避難を促していましたが、それでも講義は予定通りやるようだったので、仕方なく外に出ることにしました。最悪。
いつもより早く家を出たことにかまけて悠長に歩いていたら、電車に乗り遅れました。最悪。しかも早く起きたぶん、うとうとして、次に来た電車の中で眠ってしまいました。
目的地で目が覚めて慌てて電車を飛び出たせいで、スマホを落として来てしまいました。最悪。日記を付けるようになってからしばらく経ちますが、起床後1時間程の出来事でここまで「最悪」が重なるのは初めてだと思います。
今日の講義はとても退屈でした。スマホが無いので時間を潰す術もありませんでした。だから、いろいろと考えてしまいました。
どうして自分を含めてこの人たちは、今日みたいにミサイルが空を飛んだ日にもいつも通り、普通に、当たり前のように、日常を体現できるのでしょうか。
思えば数年前、歴史的にも大きな災害がこの国を襲ったあの日、東から遠く離れた自分たちの中で恐怖に怯えていたのはほんの一部だったように思います。その他の大勢は、部活の厳しい練習をしなくてもいいことに歓喜したり、明日の電車時間を気にしていたり、早く帰れるから友達と遊びに行ったりしていた気がします。
なんとなく講義を受けていたあの瞬間にも、ミサイルや災害に関わらず、どこかで誰かが涙を流したい気持ちに抗い、悶え、苦しんでいるのでしょう。インターネットで世界は繋がったはずなのに、スマホを失くした途端にそんなことを真剣に考え始めた自分に嫌気が差してきました。最悪。
なら自分には何ができるというのでしょうか。その答えはおそらく、しっかりと勉強をして、大学を卒業して、きちんと働いて、せめて大切な人たちと幸せになることなのだと思いました。そのためにはまずこの講義を真面目に受けようと、焦ってペンを握る手の力を強めた瞬間に授業が終わってしまいました。最悪。
いつの間にか人間はいろんなことに鈍感になってしまったようです。異常事態は画面の向こう側にあって、苦しみはどこかの誰かのもので、かけがえのない自分を守るために、無意識で身近な誰かを傷つけてしまいます。
今日の自分もそうでした。久しぶりに昔の友達と会って、一緒にお昼ご飯を食べました。みんなかっこよく、綺麗に、大人っぽくなっていました。それに比べて自分はいつまでも成長できず昔のままで、かつては居心地が良かったこの場所に今の自分はいるべきではないように感じてしまいました。誰かといるときに感じる孤独ほど心細いものはありません。その心持ちから生まれた言葉で、場の雰囲気を壊してしまいました。最悪。
こんなときには雨にでも濡れたいです。歩くのをやめて立ち止まりたいです。大声で泣きじゃくりたいです。でも、こんなときに限って雲一つない夕焼け空が綺麗で、信号は青いままで、隣には誰かがいるのです。最悪。
バイトには慣れたので、仕事中は脳が手持ち無沙汰です。だからやっぱり、今日もいろいろなことを考えてしまいました。大抵は嫌なことばかりです。最悪。
大体、どうしていつも自分ばかりが嫌な目に遭うのでしょうか。今日だって電車に乗り遅れるわ、スマホを落とすわ、無駄に寂しい気持ちになるわ、罪悪感に苛まれるわ、もう散々です。いつも自分の気持ちは否定され、足蹴にされ、なあなあにされてしまうのです。最悪。
事あるごとに面倒ごとを押し付けてくるバイトの先輩が、休憩時間に食べなよ、とか言って小さなケーキを買ってくれました。でも、それはあまり甘くありませんでした。悪者は悪者のままでいて欲しいものです。変に良い人にならないで欲しいです。嫌いな人に優しくされると、その人を上手に憎めなくなります。心が迷子になってしまいます。自分は人の善意すら素直に受け取れない人間になってしまったのでしょうか。悪者は自分だったのでしょうか。最悪。
自分に自信がありません。自分のことがそんなに好きではありません。今日だって息を切らしながら、やっとの思いで生きていました。でもこれを読んでいるいつかの自分へ。今日は「最悪」がたくさん重なったけど、そんなに悪い日じゃなかったんだよ。
〇〇〇〇が、わざわざ会いに来てくれました。
自分に自信がないし、自分のことがそんなに好きではありませんが、○○○○を好きになった自分を褒めてやりたいし、○○○○を好きになった自分が好きです。
大学で会えるよう、○○〇〇はメッセージを送ってくれていたらしいのですが、それが届くはずもありませんでした。
二人で駅まで歩く間、いろんな話をしました。心が弾んで、辺りは暗いのにキラキラしてて、なんだか夢を見ているみたいでした。だから正直に言うと、そのときに何を話したのかはあまり覚えていないのです。
唯一覚えているのはコールスローの話。自分は今までその名前だけを知っていて、具体的にそれがどんな料理なのかは知りませんでした。だからなんとなく、名前の響きでおしゃれな料理なのかなと思っていたのです。それを伝えると、○○○○は大げさに笑って、自分を馬鹿にしてきたのでした。楽しかったので、自分も笑ってしまいました。
足取りが軽くて、あっという間に駅に着いてしまいました。目的地の方面が反対なので、ここでお別れでした。
電車はすぐに来ました。○○○○は乗り込もうとしますが、立ち止まって振り向きました。
「今日が終わる前に言わなきゃね。」
後ろ姿を眺めていた自分は、ふいに重なった視線に驚いてしまいました。それが滑稽に見えたのか、○○〇〇は軽く噴き出していました。
「誕生日、おめでとう――」
○○〇〇はそう言い残すと電車に乗り込みました。そしてすぐに、自分の視界から誰もいなくなってしまいました。
今日はいつもよりも多くのことを書きました。重なる「最悪」を覆すひと時の幸せ。ただそれだけのことなのに、なぜだか涙が出てきてしまうようです。今ならば休憩中に食べたあのケーキの甘さを感じることができると思います。
でも今は、なぜだか野菜の、例えばキャベツの微かな甘みが恋しいのです。けれども、もう夜遅いので、それを楽しむのは明日の朝にします。おやすみなさい。
コールスロー 土屋リン @kishise09
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます