真昼のスターゲイザー

群咲

真昼のスターゲイザー

開け放たれた教室の窓を額縁にして真っ青な青の世界が広がっている。たまに揺れるカーテンだけがそこが実在の景色であると証明していた。それにつられて、午後の黄色い光が机にちらちらとさざ波のように寄せては返す。

温もりを残さず去ってしまう光を惜しむように晃朗の指がそれをそっとなぞった。


とたんに教室がどっと賑やかになった。更衣室から女子の一団が帰ってきたようだ。

「揺ー!100M走、原田に負けてんんじゃーん!」

「うるせ~!ちょっと調子が悪かったんだよ。次は勝つよ!」

戯れ合う2人の声のほうに目をやる。

笑顔でからかいに返す揺は特に悔しそうには見えなかった。どちらかというと、勝負にこだわることそのものを面白がっているようだった。

それに安心して、晃朗は国語の教科書を机から取り出した。揺の気持ちが影っていると晃朗も何とも言えない不快な気分になる。



「晃朗」

つつがなく授業は終わり、そのまま何事もなくホームルームも終わった。カバンに教科書類をつめていると、揺が笑顔で話しかけてくるので振り向いた。真っ黒な大きな目。夏が終わってしばらくたつのに浅黒い肌はほんのりと異国の血を感じさせた。


「これから校庭でドッヂするけど、晃朗もやらない?」

「やろうかな」


わざわざ尋ねられるのは、おそらく晃朗がドッヂボールなど好きではないことを知っているからだろう。しかし晃朗が誘いを断ったことはない。ドロケイだってバスケットボールだって、揺が一等好きなサッカーだって一緒にやる。終わった後に一緒に帰りたい。

こうして小学生の時からずっと一緒に帰っている。



だいぶ日の傾いた校庭に元気に少年たちが走っていく。あつらえたばかりの学生服の上着を皆が鉄棒の上に放り投げるのに晃朗も倣った。


ホコリが舞い上がり視界が悪い中、渾身の力で投げられるボールが宙を舞う。風が出てきたようで、しっかりと投げないと軌道が曲がってしまう。

真剣に二の腕に力をこめて相手チームの一人の足を狙う。そのあたりが経験上一番取りにくいのでそこばかりを狙いあう展開になるのだ。

「ナイス!ナイス晃朗!!あと2人!」

「うん」

隣で瑶がはしゃいでいる。小さい時から外遊びが好きな揺に付き合っていたために、晃朗もそれなりに得意だ。

5対2になって、対戦チームに焦りが見える。勝ったところで何にもならないが、勝負ごとは本能に訴えてくるなにかがある。それに突き上げられるように夢中になった。ボールを受け止めた手がじんじんと熱を持ち、頬を掠める冷たい風も気にならない。

相手は外野にパスをしながら攪乱し、隙を伺う作戦に出たようだ。陣地の周りをひし形にボールが飛び交い、気まぐれにこちらをけん制するように飛んでくる。

緊張の糸が切れる前にボールを取りたいが、斜めの角度から飛んでくる球体はつかみにくく、よけるのが精一杯だ。

鋭い風を切る音が耳元を掠めてぞっとしたと思ったら、毛穴から汗が吹き出す気分がする。

やはりこんな球技は嫌いだ。そう思ってふと右を向くと、どこか一点を見つめて棒立ちしている瑶が視界に入った。

気をつけろ、そう伝えようとした瞬間、彼の顔面に吸い込まれるようにボールがぶつかった。


「揺!!」

「おい、大丈夫か~」

「思いっきり当たったな」

心臓が嫌な音をたてた自覚があるかないかで晃朗は揺に駈け寄る。顔を覆っていた手をどかすと、鼻から一筋の血が流れてきた。

「鼻血でちゃった」

「おい、動くなよ」

指で鼻の下をこするのを静止しながら顔を覗き込む。鼻の形はおかしくない、血の量もそんなに多くなさそうだ。

「保健室行くぞ」

「ティッシュつめてたら止まるからいいよ~」

後で腫れるかもしれないし、念のため保健室に言って欲しいが、本人は全く気にしていない。どうしたものか思案していると、外野にいた佐々木がぽつりとつぶやいた。


「なんか晃朗って、瑶の兄ちゃんみたいだな」


それを皮切りに様子を伺っていたクラスメイトがしゃべりだす。

「俺達にはなんか冷たいのにな~」

「瑶を誘うといつもセットでついてくるしな」

「なんだよ、晃朗って瑶のこと好きなんじゃねぇの?」

みんながどっと笑う。

「そうじゃん、好きなんだろー?」

ボールは転がされたまま、陣地を超えてみんなが面白そうに寄ってくる。


「好きだよ」


言葉を発した直後、嘘のように沈黙が降りて、そのあと大声がグラウンドの隅の方まで津波のように広がった。


「マジかよ!ホモじゃん!!」

「きもー!晃朗きもっ」

「やべーじゃん、もう近づくなよ」

笑顔、笑顔、笑顔の洪水。嘲笑いのなかで、晃朗はぽかんと放心してしまった。


自分が揺を好きなことがそんなにおかしいのだろうか。

馬鹿にされ、嘲笑され、踏みにじられて当然の感情なのだろうか。

今まで感じたことのない恐怖に似た、悲しみにも似た悪寒が背筋を這いあがる。

恐る恐る、つかんだ腕から隣の人物の顔までゆっくりと視線を這わせていった。聴力は無意識に麻痺させているのだと、ぼんやりと自覚しながら。


笑っていた。

彼らと同じ顔でおかしそうに瑶は笑っていた。



恐怖ではなかった。これはきっと羞恥なのだ。


そっと手を放して一言発するだけで精一杯だった。

「先に帰る」


音の波が振動となって感じられる。意味は聞き取れない。

生まれて初めて、今日は瑶と一緒に帰りたくないと思った。




近所の人たちは『魔女の館』と呼んでいるらしい。晃朗からしたら自分と母が住んでいるだけの普通の家だ。

錆の浮いた小さな門を開けて、枯れかけた庭木と雑草が入り混じる中庭を無心で進む。手入れが悪く、けものみちのようになってしまった小道。左右からおずおずと響き始める虫の声。

足が止まってしまった。


どうしたらいいのだろう。自分は間違っているのだろうか。ではどうして正せばいいのだろうか。

例えば、鳥に飛ぶなと言うのなら翼をもげばいい。花に咲くなと言うなら花弁を散らし、虫に鳴くなと言うなら頭をつぶして。

俺に愛するなというなら、どうしたらいいのだろう。


それとも、嘲笑する者たちがいなくなればいいのか。

笑う者がいなくなれば、今度は気味悪がる者を。そうして興味を持つものが誰もいなくなるまで消していけばいい。


でも瑶はどうすれば。



くしゃみが一つ出た。呆然としているうちにすっかり日が落ちて、辺りは真っ暗になっている。ところどころで蔦が這っている洋館は確かに不気味で、まるで魔女が住んでいるかのようだった。




夕飯時になっても窓辺から動く気が起きず、コップ一杯の水すら飲み干さないままでただ暗いだけでなにも見えない景色を眺めていたとき、建付けの悪い窓がたてるガタガタとした音に紛れて安っぽいインターフォンの音が響いた。


「揺」

「や。晃朗、学ラン忘れていっただろ?持ってきたよ」


いつもどおりの顔でへらりと笑い

「寒くなったな。入っていい?」

と二の腕をする揺に、思考がまとまらないまま、晃朗はただ無言で扉を開けた。


「真っ暗じゃん」

先ほどまで、窓辺に座っていたリビング兼、ダイニングとして使っている部屋に案内する。

基本的に晃朗はここで生活しているため、瑶にとってもなじみの場所だ。

「外を見てたんだけど」

「うん」

「明るいと自分の顔とか映って、なにも見えないだろ?」

「確かに」

軽く笑って瑶は続ける


「でも、外だって暗いんだから結局なにも見えないじゃん」


ばちりと電灯がつけばそこはすっかりいつも通りの日常だった。

木のテーブルには、朝出しっぱなしにて行ったままのコップが鎮座し、色褪せたカーテンは半開き、ソファに乱雑に投げられたカバンがずり落ちているところだけがいつもとの違いだった。


「何か飲ませて~」


勝手知ったる顔でチェストからグラスを取り、流れるような手つきで冷蔵庫を開ける揺。


「そういえばドッヂ勝ったぜ」

「そう」

「顔面はセーフだから、すぐに戻った俺が最後1人にあてて勝った」


晃朗には続ける言葉がなにもなかった。

その様子を知ってか知らずか、瑶は何事もなく続ける。


「そういやあいつら面白かったな」

作りおいてだいぶたった麦茶を飲みながら、瑶は目を細める。

「すごく笑ってた。お前が俺のことを好きなのがウケるらしい。変なの。ははは」


「そうだね、おかしいね」


確かにおかしい。

そんな風に思うのはおかしい。そうだなにもかもが違った。忘れかけていた、自分がここで自分として生きているということを。

空気をかき分けて、草木を踏んで、そして常に何かを犠牲にせずには存在が許されないところで生きている、誰も彼も。それがわからない者は、ただ犠牲になるしかないのだ。


おかしすぎて晃朗も笑えてきた。


「あはははははは」

「晃朗の爆笑久しぶり。あ。俺もまた笑えてきちゃった。ふふふ」


どちらかというと泣きたい気持ちだったが、晃朗には泣き方はわからなかった。だから笑った。瑶と同じように。まるでこの世で2人だけが皆と違う特別な生き物であるかのように、そっくりに。



古い建物の隙間は多く、魔女の息子と幼馴染の笑い声が漏れ響いている。


「夕飯食べてく?」

「いや、俺んち今日カレーだから。昨日もだったけどさ」

「じゃあなんかお菓子開けよう」

「賛成」


いくつかストックがある中で、瑶が選んだのは箱に入った細長いスナックだった。この家のお菓子箱には2人が共通で好きなものしか入っていない。

学生服に粉が飛び散るのも構わずに、2人は他愛もない話をしながら食べ進めていく。それを咎めるものは誰もいなかった。



いっそこの館が茨に包まれて、時を止めてしまっても構わなかったけれど。


これ以上なく普通の、2人にとっての当たり前の暮らしがこれからも続いていくのならば、それも悪くはないと晃朗は思ったので、魔法の杖はそっとしまって鍵をかけたのだった。



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