五幕 フェルスタジナ城での騒動

 翌日。

 空も白み始めたばかりの早朝に、シエルと関羽はフェルスタジナ城に向かって出立した。


 関羽が引く小さな荷台には麻袋が三つ、積まれている。中身は麦粉だ。

 シエルは城下町で麦を売るために、関羽は働き口を探すために、城へと向かい連れ立っている。


 シエルが「自分の荷物くらい自分で引いてくよ!」と言っても、関羽は「いやいや、シエルには恩がある故、これくらいせねば儂の立場がないからのう」と、荷台を手放さない。


 そんな悶着も道半ばにはすっかり落ち着いて、と言うよりは関羽の善意にシエルが根負けした形なのだが———二人は会話を楽しみながら、整備が行き届いたとは言い難い、草が刈られた程度の歩道を進んでいた。


「ねえカンウさん。やっぱり自分のことをワシって、おかしいよ。ただでさえ見たことのない服や鎧を着ているんだから」

「ではなんと言えばよい?」

「そうだなー。やっぱり『俺』でいいんじゃない?」

「ふむ『俺』か。……久しく忘れていた言葉であるな。だがそれで、あらぬ疑いを避けられるのであれば、そう呼称することにしよう」

「……まあ、焼け石に水、だけどね」


 シエルが引くついた口元で関羽を見る。

 身の丈九尺(約216cm)の稀に見る体躯と、アルガート帝国内ではまずお目にかからない鎧を纏った関羽は、城下町に行けば否応無しに人の目を引いてしまうだろう。

 唯一の救いは関羽の人柄だ。鍛え上げられた肉体とは反面、謙虚で礼をわきまえた応対は武者ならずとも心惹かれるところだろう。シエルも実のところ、そこに惹かれているのだから。


 ただ、簡単に士官の口があるとは考えにくい。今二人が目指しているフェルスタジナ城は、領名を関していることでも察しがつくようにフェルスタジナ領の中核を成す城。「兵にならしてください」と言ったところで、おいそれとなれるものではない。


 だからシエルは考える。


「……フェルスタジナ城の近衛兵で、アーディンっていう隊長がいるんだ。城内でも有名で、みんなの憧れの的なんだ。その人を頼ってみたらどうかな?」

「なるほどアーディン殿だな。……いやシエル。何から何までかたじけない。貴殿がいなかったらわし……いや、俺は路頭に迷っていただろう」

「お礼はカンウさんが兵役についてからにしてくれよ」

「いやまったく! これはちと気が早かったな。はっはっは!」


 などと話しているうちに、丘陵の影から城壁塔が姿を現した。進むにつれてその全貌が見えてくる。


 堅牢な城壁と林立する城壁塔、そしてそれ全体を覆う高い壁。まさに城塞と呼ぶにふさわしい偉容であった。さらに歩を進めると防壁の門には人の群れが見て取れる。さすがフェルスタジナ領の主要となる城と言ったところか。往来する人の数も、尋常ではない。


「じゃ、僕は西門から入るから。カンウさんまたね。そして頑張ってね!」

「いろいろと世話になったなシエルよ。この恩は決して忘れぬ。また会おうぞ」


 差し出した関羽の掌に、シエルは小さな手を重ねる。

 互いに笑みを絡ませた後、シエルは子犬のように手をブンブンと振りながら、遠ざかって行った。


「さて、シエルに頼ってばかりもいられぬ。俺も、頑張らねばのう」


 関羽は独りごちて壁門へと向かっていく。門からは長蛇の列が伸びており、関羽は最後尾へと連なった。


 さて当然ながら、周囲の好奇に満ちた視線が関羽へと集まり出す。頭二つは突出しているであろう巨躯に、類をみない出で立ちである。これで注目を集めるなとは無理というもの。

 皆恐る恐る関羽を見る。関羽もそこはもちろん己が他人にどう写るのかわきまえており、なるべく威圧せぬように優しい目を向けているのだが。


 関羽と目が合えば、皆は即座に視線を切ってしまう。「触らぬ神に祟りなし」と、たちまち関羽への興味を捨て、少しずつ距離を取り始める。さすがに関羽もこれには落胆した。顔にそこはかとなく哀愁の色が滲んでいた。


 仕方なく重い足取りで順番を待つ。人が順序よく門の中へと飲まれていく。そしていよいよ関羽の番になったとき。


「……ま、待て。そ、其方はこのフェルスタジナ城にどんな用事があるのだ?」


 門を守護する衛兵が、震える声で関羽に詰問した。


 入城の際、通行書やらましてや賄賂などといった煩わしさは特にない。一日に何百人と出入りをするのに、それでは時間がいくらあっても足りはしない。衛兵は怪しい人間を取り締まるのが役目であり、その網に関羽がかかってしまっただけのこと。


 それは関羽にも理解できる道理だ。


 槍を構える手を震わせながらも自分を呼び止めたこの衛兵を、むしろ天晴れだとさえ思う。


「お役目ご苦労でござる。俺はこの城におわすアーディン殿に謁見したく参った関羽という者。誓って怪しい者ではござらぬ」

「あ、あ、アーディン様に……ますます持って怪しい奴め!」


 門の奥にいた衛兵が数人駆けつけてくると、たちまち関羽を取り囲む。 


「いやいや衛兵殿。話を聞いてくださらんか。早とちりというものぞ」

「……では聞くが、其方はアーディン様とはどういう関係なのだ?」


 この質問にはさすがの関羽も困ってしまう。


 アーディンの存在はシエルに聞いただけ。容貌風采すら知り得ない。この状況でそれを言ったところで騒ぎを煽り立てる結果になることは、火を見るより明らかであり、言わずもがな関羽の望むところではなく、事を荒立ててしまえばシエルの恩を仇で返す結果にもなってしまう。


 さて、本格的に困った関羽は今一度試みる。今度は洗いざらいを吐いてみた。


「実はアーディン殿とは面識はない。この俺の体を活かせる仕事がないか、名声高いアーディン殿を頼ってこの城に来た次第。どうか取り成してはもらえぬだろうか」


 果たして関羽のこの言は、逆効果であった。


「やはり怪しい奴よ! アーディン様の名を使うなどもってのほか! さあ、神妙に縛につけ!」


 衛兵たちに漏れなく緊張感が行き渡る。

 それも殺意をちらつかせた逼迫さだ。

 関羽は短く嘆息する。


 やはり分かってはもらえぬか。


 ならば、と衛兵たちに対峙する。彼らはじりと半歩、後ずさる。

 もちろん関羽に殺意はない。ないが、こうなっては致し方なし。腹を括るしか手立てはない。

 周りの群衆ギャラリーが固唾を呑んで見守る中、関羽は腰を落とすと、


「———ははぁ!」


 体の中心から短く吠えた。

 闘気に殺気を練り込んだ、関羽の覇気だ。衛兵たちがこぞって尻餅をつき出した。


 覇気とは殺気や敵意と激しく衝突する裂帛の咆哮。故に敵意を持った者に対し、効果は絶大。相手のそれを上回れば、たちまち腰砕けとなる。一方で害意を持ち合わせない者には暖簾に腕押し、ただの大声としか聞こえない。現に周りの群衆ギャラリーは、耳を押さえたり驚いている者しかいなかった。


「……すまぬな。無益な殺生は避けたい故。これで力の差は分かったであろう。俺を信じてはもらえないだろうか」


 その問いかけに、衛兵たちは「ひぇ」だか「あひゃ」だか言うばかりで、まるで答えになっていない。

 そして腰を抜かしたままで後ずさる衛兵たちの後ろから、


「うむ、いい気合いだ! 貴様か! いい音色を奏でた主は!」


 長い赤髪を揺蕩わせながら、口元を吊り上げた男が姿を現した。

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