二幕 戦神の転生


「ん……む、むぅ」


 深い奈落へと沈殿していた関羽の意識が、徐々に覚醒し始めた。


 うつ伏せた状態からゆっくりと四肢を動かし、地面にどっかり腰を据える。一際大きな彼の掌が、自分の首筋を摩り出した。太い首は胴へとしっかり繋がっていて、傷一つ見当たらない。


 確かに、首を刎ねられた筈だが……。


 いぶかしがりつつ、腰を上げ周りを見渡した。


「こ、ここは……?」


 ぽつんと一人佇む関羽の眼下に、一面の麦畑が広がっていた。穂は見事なまでに成熟し、まるで黄金の絨毯のようである。人懐こい微風がたなびくと、黄金色の一面が波を打つ。まさに風光明媚と言えるだろう。雄大で見事なまでの光景だった。


 そうか、ここが天国であるか。

 関羽は瞬時にそう思った。同時に自虐的な違和感が芽生え始める。


(何千もの人間を殺めたきたわしが天国に、か。神の気まぐれであろうな。それに麦城で果てたわしが麦畑とは……神の気遣いもなかなかであろうぞ)


 そして言葉にして、この現状を整理する。


「いやさて。これからどうしたものか。このままここにいても仕方がないだろうな」


 生前に神や呪詛の類をあまり信仰しなかった関羽は、この状況を鵜呑みにできない。


 ただ、霊魂の存在は認めていた。

 数多の死線を潜り抜けてきた中で己の力が燃焼し増幅する瞬間が確かにあり、それは必ずと言っていい程に志半ばで儚くも命を散らした同胞たちを想えばこそのときだった。


 もしここが天国であったなら、旧知の誰かがいるかもしれない。仮にここが地獄であったっとしても、だ。


 小難しいことは置き捨てて、関羽はひとまず歩き出す。

 麦をかき分けながら、なるべく根を踏まないように細心に。これだけの麦を育てるには並大抵のことではないだろう。自然の恵みには敬意を払うべきだ。

 麦畑を抜けるや否や、広い森が行手を塞いだ。どうやらこの麦畑は森に囲まれているらしい。


 関羽は躊躇なく森の中へと進路をとる。鬱蒼と生い茂る枝葉を掻き分け更に奥へ。

 と、同時に喉が渇きを訴えた。


「死人に渇きなど……いやはや天国ここは愉快なところよ。生きているときと、まるで変わらんではないか」


 更に森を進むこと数刻、湿り気のある地面に細い水脈を見つけ出した。だが水脈と言っても地面にちろちろと水が滴っている程度。地盤も緩く泥水に近い。それでも渇きには耐えられず、関羽は手酌で水を掬い喉を湿らせる。


「……ふう。とりあえず人心地ついたわ。この水脈を辿れば大きな水源が見つかるであろう」


 関羽は水脈を辿って再び歩き出す。

 予想通り水脈は次第に太くなり、今度は存分に水分を補給する。


 その時だった。


 疑いない子供の悲鳴が、森の隙間を掻い潜り上流のほうから聞こえてきた。

 小川とも呼べない水流から顔を上げ、やや、何事か! 関羽は咄嗟に走り出す。

 天に召されても尚、忘れ得ぬ義侠の心。彼の中心に据える真理が体を突き動かしていた。


 幼き悲鳴は今も尚、途切れることなく続いている。

 ただ、悲鳴の中にも気を吐く声も混じってることから、この子供が何者かと交戦しているのだと予想する。


 ———幼き者を襲うなど、不逞の輩め!


 ぬん、と行手を遮る小枝を両腕で折り、地を踏み締めて大きな足跡を残しながら、関羽の脚は速度を上げていく。

 声はいよいよほど近い。

 周りの景色も次第に様相を変えていた。木々は数を減らしていて、木洩れ陽は光量を増している。

 関羽は一切の躊躇なく森の切れ目———光の中に身を躍らせた。


「———!! ……な、なんと!」


 青々とした小さな湖面が空の光を拡散させ、拓けた森の一帯を厳かに照らし出していた。

 だが、森林のオアシスの存在が関羽を刮目させているのではない。


 そのほとりで。

 帽子を目深に被った子供が、短剣で立ち向かっているその相手。


 全身は体毛に覆われて手足が長い。赤々とした口は耳元まで裂け、剥き出した牙で唾液の糸を編んでいる。蝙蝠のような羽を忙しなく上下に動かし、子供の頭上に宙に浮いていたのだ。

 まさに、異形という言葉を具現した姿だった。少なくとも関羽が今までに見たことがない生物。


 だが、得体の知れない相手だとしても。力なきものを、まだ幼き者を、害そうとしている。ただそれだけで、関羽の行動に迷いはなかった。

 足元に視線を這わせる。四尺(約120cm)ほど枯れ枝を鷲掴むと、巨体にそぐわない俊敏さでその身を盾として子供の前に立ち塞がった。


「事情はあまりわからぬが、年端も行かぬ童子どうじを襲うなど捨ておけぬ。大人しく引けばよし。さもなくば……」


 関羽の口上を遮るように怪物が襲いかかる。空中から鋭い鉤爪を振り下ろす。枯れ木を両手で支え防御すると、木端が四方に炸裂した。


「ぬぅ! やはり言葉は解さぬか!」

「あ、当たり前だよ! 魔物相手に何を気取ってるんだよぉ!」

「これはしたり。曲がりなりにも助太刀をしよう相手に向かって言うこ」

「———そんなこといいから! ほら! 次の攻撃が来るよ!」


 子供は空を指差し必死に叫ぶ。首を捻り指先を追うと、怪物が片手を突き出して急降下。狙う獲物を関羽に変え、魔手が迫ってくる。

 左手で少年を庇い、関羽を身を捩らせる。剥き出した右肩から鮮血が迸る。だが浅い。

 右手一本で構えた枯れ木を、ガラ空きになった怪物の腹に全力で叩き込む。


『グォホアアアアアアアアアァァ———!!』


 枯れ木が真っ二つに砕け散った。

 そして怪物も、また。

 体をくの字に折れ曲げながら断末魔を木霊させ、遙か森の奥へと吹き飛んで消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る