失愛〜君と僕、時々メイちゃん〜

桑鶴七緒

第1話

「この指輪、どれだけの女に使い回ししてきたの?お前、消えろ」



結婚を前提に2年付き合い、その挙げ句に告げてきた彼女からの罵詈雑言ばりぞうごんとも響く別れの返事。


背中に巨大な錆のついた釘が刺さったかのような感覚のまま、訳もわからず無性に孤独になりたいと思い立ち、辿り着いた先はほとんど下車したことのない駅のホームだった。


周囲を見渡すと次の電車を待つ人の数は少ない。1号車両の停止線の前より靴のつま先が下の線路が見える位置に立ち止まった。


時刻は20時35分を廻ったところだ。

プラットフォームの奥から生ぬるい風が吹いてきた。あと少しで電車が来る。ライトがこちらに向かって光を差してきた。


僕は財布とスマートフォンを地面に置いて、その吸い込むような風に惹かれるように体を倒すように飛び込もうとした。


「危ない!」


その声が響くと勢いよく片腕を引かれてホームの脇に転倒した。呆然とする僕に向かって誰かがこちらを睨むように見てきた。


「何してるんだ?自殺か?」


声をかけてきたのは20代くらいの男性だった。

何か匂う。酒の匂いだ。1升は飲んだんじゃないかというくらい、匂いがきつい。


「酔っ払いに関係ない。手を離せ」


腕を振り切りしゃがみ込んでいる姿に僕らに向かってまじまじと人が近づいて、やがて駅員も駆けつけた。

特に怪我もないと伝えると念のため事情を聞きたいから駅長室に連れて行かれ、何故か20代の男性も一緒についてきた。


21時20分。話が済むと改札の前に立ち、男性に頭を下げて礼を言うとその人は酔いが抜けていないのか、手を振って電車に乗り、その場を去った。


僕は反対側のホームへ行き、電車に乗って自宅へと向かった。


電灯の少ない暗い道を歩いて何となく空を見上げてみた。十三夜の月が辺りを照らしている。吐いた息が白くすぐに消えた。


自宅のアパートに着き、玄関に入り靴を投げ捨てるように脱いだ。コートをハンガーにかけると、ポケットの中から何かが出てきて床に落ちた。合鍵か。


それともう一つ、名刺がひらりと落ちた。拾い上げて名前を読んだ。


「成澤、あおい?」


聞いたことがあるな。そうだ、先程駅長室で話をしていた時に、身分証を確認したいからと免許証を見せたら、隣に座っていたあの男性が名刺を差し出していたんだった。


いつの間にもらったんだろう。


別に会う事もないから持っていても意味がない。あっさりとゴミ箱に捨てて、部屋着に着替えた。


夕飯をまだ食べていなかったので、冷蔵庫の中にある元カノが作り置きしてくれた惣菜を眺めていたが、もう気が失せているので、タッパーごと捨てた。


「何にもねぇじゃん。買いに行くか」


再びコートを羽織り、近くにあるコンビニエンスストアに行き、適当に買い漁って家に戻ってきた。

自殺願望があったくせに食欲はあるんだな。

ひと口、二口と口に含んでいきあっという間にたいらげた。腹が満たされたのか少し安心して、そのままベッドに横たわった。


これまでの幸福だった過去を全て消し去りたい。今の自分には幸福など当てになんかならないんだ。


幸福って、何だろう。

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