第122話 魔女の殯 (7)

 「本日はご参列頂きましてありがとうございます。喪主、および進行を務めさせて頂きます音戸おとどの家令、ミケと申します」


 改まった調子で、ミケが参列客に頭を下げる。

 それから彼は雁枝かりえの方を見て、「早速、本人の目の黒いうちではありますが」と言い添えるなり、懐から封筒を取り出した。


「遺言状を読ませて頂きます」


 何しろ、僧侶も呼ばないし焼香の時間もない。人間の感覚では大分唐突な葬儀進行と言える。


「遺言者雁枝は、次のとおり遺言する。

 第一条。遺言者は次の不動産を、音戸邸に顕現した幽霊、根岸秋太郎ねぎししゅうたろうに相続させる。所在、東京都小金井市――」


 音戸邸の住所が読み上げられ、何名かの怪異がさわさわと動揺を見せた。初対面となる参列者の中には、「あの幽霊、誰かと思ったら……」とひそめた声で話し始める者もいる。


 邸宅に続き、他の財産の相続も指定された。

 雁枝は音戸邸以外にも少々土地を所有していたが、そちらは既に売却され現金化されているらしい。

 貯金はミケも半分ばかり相続し、高価な衣服とアクセサリーのいくつかは毛勝禍礼けかちまがれに、茶道具は血流し十文字と瑞鳶ずいえんに形見分けされる。


「――第八条。遺言者は、もがり大殿おとどの称号を、根岸秋太郎に継承させる」


 遺言状はそう締めくくられ、ミケは日付まで淀みなく読み終えると、丁寧に紙を畳んだ。


 そして間を置かず、彼は再び口を開く。


「家令、ミケは……先日既に雁枝との使い魔の契約を解除しております。しかし引き続き音戸邸家令として、主人、根岸秋太郎に仕える所存でございます」


 またもいくらか参列客に動揺が走った。

 使い魔の身から解き放たれたミケが、孤高の存在となるか別の勢力につくか。そこは多くの怪異にとっての注目事項だったのだろう。


 同時に、黒い二本の鍵尻尾を立てて挙手をした者がいた。正装の少女に化けた禍礼である。


「にゃーん。まにゃにゃ、それにはちょろっと異議ありにゃん」


「……禍礼? どうした」


 ミケが当惑に目を瞬かせると、禍礼はその場で半ば腰を上げ、皆に向かって語り出す。


「これは猫又って種族全体の問題だにゃーん。ミケは国内の猫の怪異としてはトップレベルの実力と知名度だにゃーん。そんな存在が自分の縄張りも持たず、『使役される』地位に甘んじるってのは、猫の怪異の格に関わるにゃーん。人間におそれられなくなると、怪異種の弱体化に繋がるにゃん」


 瞳孔を広げた禍礼の黄色い目が、根岸を見据えた。


「それでも猫又のみんなが納得してたのは、ミケの仕える相手が殯の魔女、雁枝のおばあちゃんだからだにゃーん。根岸秋太郎……ぽっと出の幽霊に、仕える猫又の格を下げないだけの実力はあるにゃん? 自信はあるにゃん?」


「おい、禍礼」

「こればっかりはいくらミケでも譲れないにゃーん。毛勝猫又山のぬし、禍礼として話つけるにゃん」


 口調こそ相変わらずだが、禍礼の眼差しは真剣だ。

 誤魔化しは利かない、と根岸は背筋を伸ばし、返すべき言葉を探る。

 しかしそこに、新たな声が割って入った。根岸の真横からである。


『秋太郎殿の力。不足とあらば、このかいなも数に入れられよ』


 壁際の血流し十文字が、赤黒い右腕を穂先からぬっと伸ばしてきたのだ。


 彼のこの姿を見慣れている者は、流石に数少ない。室内はどよめき、禍礼や諭一ゆいちまでも驚きの表情で槍を見つめている。


『御覧のとおり、我が身は武門と呼ぶにもあたいせぬ浅はかなる恨みの成れ果て。されど、ここに再び忠義の道を見出したり。殯の大殿、その任の一助とならん』


 指先の欠けた不定形の手の平が、それでもしっかりとした挙動で根岸の肩に置かれた。


「オレも――いや、我ら高尾たかおの天狗も。乗らせてもらう」


 さっと立ち上がったのは、最前列に着席していた志津丸しづまるだ。

 昼間にやって来た時は派手なジャケット姿だった彼も、今は黒い羽織袴をまとっている。


 志津丸は根岸の傍らまで進み出て両膝をつき、参列客と向かい合った。


大垂水おおたるみの志津丸あらため、真名まな志隼ししゅんと申す。根岸秋太郎は――我らが里の恩人だ。志隼は頭領瑞鳶のあとを継ぐ者として、今後も殯の大殿を盟友と呼ぶ。力が必要な時は、高尾天狗がそれを貸そう」


 朗々と宣言した志津丸――志隼という名乗りを今ようやく根岸は知った――は、腰を落としたまま根岸の方へ振り返り、


「よろしく頼む」


 深々と一礼した。


 あまりにも意外な行動に根岸は面食らい、慌てて頭を下げ返す。

 すると志津丸はごく小声で、「もうちょい堂々とふんぞり返ってろやボケッ」と叱ってきた。これはいつもの彼らしい、とつい安堵する。


 同じく最前列にいた瑞鳶が、満足そうに頷いたのを根岸は視界の端に捉えた。


「あのー……『灰の角』も、音戸邸の味方をするって言ってますー……英語で。ここの人たち読める?」


 安全のため隅の方に座っていた諭一が、左腕のサポーターを外して恐る恐る掲げた。

 線刻状の刺青タトゥーが変形し、アルファベットで文字列を形成する。『彼らは友である』と、ごく端的な一文が現れた。


「じっ、『人狼ゲームを楽しむ人狼の会』西東京支部も、新しい大殿を支持します!」


 諭一に続けて勢い良く挙手したのは陸号だ。


「実は東東京ひがしとうきょう支部の身内も世話になったみたいで。何か根岸くん、そういう巡り合わせみたいなのよね」


 そういうのって大事だよね、と言い聞かせるかのように一人合点する陸号に対して、傍らのペトラが「いいから胸張って支持なさいな」と小言を述べた。


 ぐるりと一度室内を見回したミケが、禍礼に穏やかに問いかける。


「禍礼」

「にゃん?」

「納得したか?」

「ううーん」


 軽く口を尖らせたものの、禍礼は浮かせていた腰をすとんと座布団に落とした。


「とりあえず、分かったにゃん。これから見極めさせてもらうにゃーん」


 それから彼女はぶつぶつと、


「うにゃあ、ミケをお持ち帰りする数少ないチャンス来たと思ったのに……」


 そんな不穏な独り言を漏らす。

 横合いでミケがげんなりと額を押さえたのが分かったが、それはあえてスルーした上で、根岸は室内から注がれる怪異たちの視線を受け止めた。


「根岸――秋太郎と申します」


 どうも一言、挨拶をせざるを得ない流れだ。

 こういう場は決して得意な方ではないのだが。


「このとおり、私は……ごく最近顕現した幽霊です。『殯』の異能以外に突出した能力はありません。腕力も体力も人間並みです。威厳も格もない、と思います」


 志津丸が「そこまで自分で言うなよ」と、再び小声でちくりと言う。


「それでも」


 と、根岸は力を篭めて声を上げた。


「託されたこの務めを私は喜んで果たします。怪異の観測者、揺らぐ世界層の安定化を担う存在として。

 今のこの時代を人類は混沌秩序カオティックオーダーと呼び、中には狂った世界だと主張する人々も……『正常化』を目指し、怪異や人間を殺害しようとする組織がある事も、知っています。安全な務めではないかもしれない」


 一呼吸ばかり、根岸は間を置いた。

 志津丸は根岸の表情を見て、これ以上口を挟むまいと決めたらしく唇を引き結んでいる。ミケも沈黙を貫いている。


「私は――この世界を肯定します。弱く、異形であり、判断を誤った私に、まだここにいて良いと言ってくれた世界のりようを、可能な限り見届けたいと願っています。私と同じ境遇である存在に対しても」


 壁際に立て掛けられた槍の穂先が、鈍色の光を揺らめかせた。


「この務めが……怪異が脅かされるとなれば、それには立ち向かいます。多くの助けを借りる事になるかと存じますが」


 畳に両手をつく。

 血流し十文字に少しだけ茶道を習っておいたのは幸運だったかもしれない。今時なかなか、正座して一礼、という機会はないものだ。


「精一杯務めて参りますので、お力添えをお願い申し上げます」


 深く頭を下げた根岸の背後で、ぱちぱちと手を打つ音が響いた。


「良かったよ秋太郎。やっぱりあんたは、あたしの見込んだ男だ」


 棺の前に座る雁枝が、にっこりと笑って拍手をしている。


 葬儀で拍手というのもどうなのか、と根岸は思ったが、しかし弔われる本人が真っ先に始めたものだ。

 諭一と瑞鳶、藻庵そうあんがそれに倣い、黒い猫耳を残念そうに低めつつも、禍礼までもが大きく両手を鳴らした。


 場内全体に拍手が広がる。


 根岸はミケの方を見た。皆と同じく手を打つ彼が、片方の牙を覗かせて、悪戯いたずら盛りの少年のように笑ってみせる。


 今更ながら根岸は、緊張から来る汗でシャツの背が冷たくなっている事に気づいた。

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