第123話 魔女の殯 (8)

 拍手が静まったところで、雁枝はその場に立ち上がり、自分の棺桶の蓋に浅く腰掛けた。


「やれやれ。最後はあたしの挨拶でスパッと締めようかと思ってたんだが。

 秋太郎が上手いこと場をまとめちまったからね、話すことがあまり残ってない……」


 短く思案するような間を置いたのち、彼女はふと志津丸の方に目を向ける。


「そう、志津丸、死ぬ前にお前の真名を知れたのは本当に嬉しいよ。立派になったね。天狗の里はきっと大丈夫だから、好きにおやり」


「ばあちゃん――」


 胸を打たれた風の志津丸はそう応じて、言葉を詰まらせた。

 雁枝は皆の方へと向き直る。


「念の為、この機に言い遺しておきたい。

 ついこないだ、東京の街が随分と荒らされちまったね。でもそれはケリのついた話だ。怪異の縄張り争いは日常茶飯事、そして勝敗がはっきりしたら恨みっこなしが基本だよ。

 この上誰かを責めるのは、あたしの顔に免じてナシにしとくれ」


 彼女の視線は志津丸から瑞鳶ずいえん、そして陸号ろくごうとペトラへと順に注がれた。


 根岸が故郷で出逢った、『人狼ゲームを楽しむ人狼の会』東東京ひがしとうきょう支部の捌号はちごうの事が雁枝の念頭にはあったのかもしれない。

 彼らの現在の境遇については根岸の口から、ミケと雁枝、そして陸号にも伝えている。


 雁枝の言葉に、陸号は静かに頷くのみだった。

 だが彼は先程根岸を支持してくれた際、確かに捌号を『身内』と呼んだ。

 陸号は狼らしく情の深い性格である。きっと東東京支部のメンバーが群れを立て直せるよう計らってくれるだろう。


「あんだけ派手に怪異が暴れた後となると、人間たちとも色々あるだろう」


 苦笑ともつかない複雑な表情を雁枝は浮かべた。


「これについては……人間側あちらさんの都合も大きい。あたしはたまたま、この百年少々は人間と仲良くやれたが、昔はそれこそ、あれこれやらかした身だ。皆にも上手くやってくれと頼めるような立場じゃない。

 各々の好きにおやり、としか言い遺せないね」


 ちらりと、根岸の方を見遣る。


「そのへん上手くやるのは、きっと秋太郎の方が得意だろうよ。……トクブンのまもるに、世話になったと伝えておくれ」


 衛、と彼女が呼ぶのは、東京都特殊文化財センター所長の上田衛うえだまもるの事である。


 分かりました、と根岸は請け合った。

 雁枝の死を、上田は心から悼むだろう。そういう人間も数多くいる。怪異に囲まれて暮らす事になろうとも、その事実は忘れたくない。


「うん。これくらいかな、堅苦しい場で言っておきたいのは」


 不意にひんやりとした風を首筋に感じ、根岸は縁側の方角を僅かに振り仰いだ。

 陽はとうに沈み、夜が更けつつある。


 日付が変わればすぐにでも――別れの時だ。


「あとは……それぞれと話すよ。一旦締めさせて貰おうかね」


 雁枝に仕草で促され、ミケが再度、正座のまま一礼した。


「あらためまして皆々様、本日はご多用のところ、ご参列ありがとうございました。今しばらく雁枝との談話の席は設けさせて頂きますが、お帰りの方はお忘れ物のなきようお確かめを」



   ◇



 ミケの締め括りの言葉に対して参列客は、今度は様々な反応を見せた。


 すぐに立ち上がって、煙と共に姿を消してしまう者。座布団の上で寛ぐ者。最後に挨拶を、と雁枝を囲む者。


 最後に文句を言ってやると息を巻くのは、バンシーのブロナーだ。

 結局彼女と雁枝はどういう関係だったのだろうか。


「……雁枝ばあちゃん。ほんとにこれっきりなのか」


 志津丸は耐えきなかったのか、とうとう涙ぐんでいる。彼は怒りっぽい反面、涙もろい性質たちでもあるのだ。


「しづちゃん、しづちゃん」


 と、諭一が慰めにきた。


「隣の部屋にビールあるみたいだから、一緒に飲も。あっ、名前が変わったんだっけ? 真名ってので呼ぶ? 『ししゅちゃん』でいい?」

「無理してすんな! どう考えても言いづらいだろうが!」


 涙も引っ込む勢いで志津丸は怒鳴り、しかし何だかんだで他人に吐露したいものはあるのか、二人して隣室へと退出する。


「ありゃ志津丸の奴、片づけの頃には使いもんにならんかもしれねえな」


 瑞鳶が呟き、「全く、ああいう所はまだまだ」と緩く首を振ってから雁枝の方へ腰を上げた。


「雁枝のねえさんよ、先輩格が減っていってわしも寂しくなるが……それじゃあな。先にった皆によろしく言ってくれ」

「吸血女が死んで、どこに召されるってのかねえ」


 棺の上で雁枝は頬杖をつく。


「そらぁ極楽浄土だとも、姐さん。きっと良い所だ」


 軽口という風でもなく、瑞鳶はごく真摯な態度で言った。それを挨拶代わりに、彼は弟子の志津丸の後を追って部屋を去った。


「雁枝のおばあちゃん」


 入れ替わるように、黒猫の姿で雁枝の傍に寄ってきたのは禍礼まがれだ。


「さっきは……えっと……空気読まなくってごめんにゃーん」

「おやおや、猫の怪異のくせに殊勝な事を言うね」


 吹き出した雁枝が、黒猫の耳の間を指先で掻く。それに目を細めてから、禍礼は続けた。


「でもね、ミケのことも猫又のことも、ちょっと心配なのは本当にゃん」

「もちろん、分かってるよ禍礼」


 禍礼と雁枝は揃って遠くを見つめる。ミケは先程から、帰路につく怪異たちを見送るため玄関に出ていた。彼を思い浮かべているのだろう。


「でも、こっから先はあの子の決める事だからね……」

「にゃあん」


 切なげにひと鳴きした禍礼だったが、玄関側から背を向けた拍子に、座布団を片づけている根岸と目を合わせると、一転、じろりと睨んできた。


「ミケが自分で自分の仕事を決めるのは仕方ないけど。やっぱ、それでお前に仕えるのを選んだってのは悔しいにゃん」

「いや――仕えると言っても」


 いくらか狼狽して、根岸は応じる。

 ミケの意向はどうあれ、根岸がミケをこき使ったり、命令して悪事を働かせるような真似など出来る訳がない。そんな度胸はない。

 せいぜい、猫の姿だからといって服を着忘れて出かけないようにしてくれと頼むくらいだ。


「禍礼、そう小面憎いって顔をするもんじゃないよ。秋太郎はなかなかの出来物だ」

「それは知ってるにゃーん。……ミケが根岸を気に入った理由も分かるにゃーん。だからこそ悔しいにゃん」


 この禍礼の物言いは、根岸にとって意外だった。

 ミケに対して根岸は多くの恩を感じているが、しかしミケの方が根岸を仲間と認め、更には新しいあるじとまで見定めた理由は、実を言えば未だに分かっていない。


 かつて一度、何故自分に親切にしてくれるのかと問いかけた時には、「茶飲み友達が増えるのは歓迎だ」と、冗談ともつかない回答があったものだが。


「あの。理由、というのは?」


 躊躇ためらいがちに、根岸は禍礼に質問を試みた。

 禍礼は二本の鉤尻尾を不機嫌に膨らませ、つんと鼻を上向けたものの、一息に答えを寄越す。


「お前が、ミケとよく似てるからだにゃーん。どっちも世話焼きで、寂しがり屋で、意地っ張りだにゃん。ひとりぼっちが寂しくて、居場所が欲しくて、だから自分の仕事つとめを頑張るし他人に親切にするけど、でも他人に甘えるのは下手にゃん。そんなのが家の軒先に化けて出て、ミケが放っとけるわけないにゃーん」


「……」


 ぐうの音も出ないとはこの事だ。

 根岸が相槌も打てずにいると、雁枝が先に「あっははは」と大笑した。


「なんて顔してんだい秋太郎」

「そっ……いえその……」


 どんな顔をしているというのか。根岸は思わず自分の顔を撫でた。


 怪異は外見から年齢や実力を推し量る事が出来ない。

 それは知っているしあなどっているつもりもなかったが、禍礼は同じく未成年に見えるミケやハナコと比べても奔放で、人間の十代の少女のように振る舞うものだから、油断はあったかもしれない。

 実際には彼女は、一つの山のぬしで群れを束ねる身分である。観察眼に優れているのは当然だ。


 ――そこに、世界を股にかける大物怪異たちの見送りを終えて一息ついた様子のミケが戻ってきた。


「ふう、人間の道路を歩いて帰って貰うのもそれはそれで大変だ。……うん?」


 彼は室内の微妙な空気に気づいたのか、きょとんとして部屋に残った面々を見回す。


「何だい、どうかしたのか根岸さん」

「なに、禍礼に気を使わせちまったって話さ」


 雁枝が根岸の代わりに答える。禍礼が「にゃ?」と面食らって両耳を立てた。


「あの場であえて秋太郎に憎まれ口を叩けば、こいつには十文字や志津丸たちみたいな強い味方がいるって事を、自然と皆にアピール出来るってもんだ。そのつもりだったんだろ?」

「本当かよ」


 けろりとアドリブで誤魔化す雁枝に対して、ミケはいささか疑わしげな視線を浴びせる。


「にゃーん……うん、実はそんな感じの意図だったにゃん……」


 禍礼は曖昧に肯定したものの、後ろめたいのかミケから顔を逸らして毛づくろいを始めた。


「毛づくろいもいいが禍礼。堀田ほったさんが玄関先で心配そうに待機してたぞ」

「にゃ。あいつは本当に、顔に似合わず心配性にゃん」


 仕方がない、と言いたげに禍礼は、素早く人間の少女へと姿を変える。

 そして、雁枝に歩み寄るとそっと彼女の片手に手を添えた。


「それじゃあ、雁枝おばあちゃん……。まにゃにゃは失礼するにゃーん。瑙魔のうまおばあちゃんの時も最期は静かだったにゃん。ミケとの時間、お邪魔したくないにゃん」

「ありがとうよ、禍礼」


 雁枝がもう片方の手を、禍礼の手の甲に重ねる。


 先刻までとは打って変わってしとやかに挨拶を終え、禍礼は邸宅を退出した。


「ノーマおばあちゃん、というのは……?」

「禍礼たちが縄張りにしてる山の、先代のぬしだよ。パンデミック期以前に顕現した、猫又には珍しいくらいの長生きだった」


 根岸の質問に、そうミケは語る。禍礼にとっては師であり母親だったと。

 彼と禍礼の口振りから察するに、『瑙魔おばあちゃん』は既に世を去っていると思われた。


「雁枝」


 未だ部屋の隅に陣取っていたブロナー・マクギネスが、不意に低く声を発した。


運命さだめに変化は見られない。予定どおり、間もなく時間だ」

「そうかい。……何だかんだで、あんたにも気遣わせたねブロナー」

「ふん。したくもない死の予言をさせたばかりか、アメヤリとまで引き合わせやがって。最後にぶっ飛ばしてやろうかとも思ったが」


 屋敷を訪ねてから始終不機嫌だったブロナーは相変わらず鼻を鳴らして応じたが、そこで眉間の皺を緩め、ミケの方へ首を傾ける。


「しかし、猫の家令の作ったスシは美味かった。そいつに免じて勘弁してやる」

「そうだろう? ミケの料理は何でも美味い」

「お前が威張るな。どうせ散々苦労をかけたんだろ、きっちり別れを済ませておけよ」


 そうしてブロナーの背も、隣室へと消える。

 残されたのは雁枝とミケ、根岸の三人きりだ。


「そうだねえ」


 静かになった広間を軽く見渡して、雁枝は掃き出し窓に目を留めた。


「最期に……うちの庭でも眺めようか」


 窓が開けられる。と同時に、どこからか桜の花びらが一枚、家の中へと舞い降りた。


 今年の桜は少しばかり長く咲き誇っていた。五分咲きの頃に肌寒い日が続いたからだろう。

 しかしその見頃も終わった。まさに今、花は最後のひとひらを散らせつつある。

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