第21話 怪談の学校 (2)

 「根岸くん、しばらく直行直帰仕事が続くかと思うけど」


 新宿駅で合流した、特殊文化財センター主任調査員滝沢たきざわみなみはそう根岸に言った。


「センター職員はみんな事情を知ってるし、今回の現場の管理側にも説明は済んでるから。いつもどおりで頼むわ」

「お手数かけます……」


 根岸は頭を下げる。

 現場への直行直帰というと、学生時代の遺跡発掘アルバイトを思い出すな、と彼は昔を振り返った。

 考古学専攻生にはそういうバイトの口がある。


 責任の所在という意味では、確かに今の根岸の扱いは学生バイトに近い。

 何しろ怪異には戸籍がない。彼の印鑑もサインも、経理上の、あるいは法律上の意味を果たさない。だから報告書などは他の正規職員が書く事になっているし、根岸がいちいちセンターに出勤する理由はほとんどなくなってしまった。


 滝沢や所長の上田は口に出さないが、幽霊を見たら動揺する人間がいる、という事情もあるだろう。

 トクブン勤めといえども、現場に出ない事務方もいれば清掃員もいる。センターには一般市民の客も来る。誰もが怪異に出くわして平気でいられる訳ではない。


 どうあれ、「いつもどおり」にやれる居場所が出来たのはありがたかった。帰る場所と行く先、根岸にとっての人間的な生活には、どちらもある事が望ましい。


「ミケさんも来てくれたのね」


 滝沢は屈み込んで、キャリーバッグの窓を覗く。「ニャー」とミケが挨拶をした。


「今日の授業、ぼくら二人とも午後だけだから……」


 諭一が発言する。彼は滝沢とは初対面である。


「この機会に、『戌亥小学校いぬいしょうがっこう』の怪異とは顔見知りになっておいた方がいいとミケくんに言われまして。聞いてると思うけど、ぼく怪異憑きなんです。よろしくお願いします」

「貴方が諭一・アンダーソンくんね。よろしく。かなり強い怪異が取り憑いてるんだって?」

「……みたい。怪異の強い弱いとかよく知らないけど」


 怪異の格の高さや強弱には、霊威れいいという単語をよく使う。そのまま、霊妙なる物質の威力を意味するものだ。


 『灰の角』は理性的な個体だが、ウェンディゴは本来危険な怪異で、その霊威は相当なものである。

 少なくとも八十年以上、恐らくはそれより遥かに長く、この世に存在し続けているのだ。ただ一個体として生き続けられるというだけで、その怪異の強さはある程度保証される。


「強い怪異同士は縄張りを巡るトラブルになりやすいから、海外から来たばかりなら、確かに早めに仲良くなったといた方がいいね、『彼女』と」

「『彼女』? え、女の人の怪異なんだ、今日会うの」


 思わず、と言った様子で身を乗り出した諭一を、根岸は呆れ顔で見遣った。


「何を期待してるんですか」

「いや別に、期待って程じゃ。カワイー子に会えるならそれに越したことはないけど。ネギシさんは会った事あるの?」

「いえ。戌亥小学校の敷地には、人間の頃に仕事で立ち入った事がありますけど、その時は怪異の出る領域までは踏み込んでません」


 そこで滝沢が一つ頷く。


「二棟に分かれてるの。管理棟と、小学校の旧校舎に。管理棟の方には、学校教師向けの研修センターや一般市民の入れる資料館がある。でも旧校舎は建物全体が特殊文化財。結界を張れる人が同行しないと危ないから、普段は立入禁止よ」


 管理棟の研修センターで教師が何を学ぶかといえば、全国の学校内で発生する怪異事件の傾向と対策についてである。


 小学校や中学校という場所は、非常に怪異が発生しやすい。

 数百名の人間が、一つの場所で遊んだり競ったりしながら何年も過ごすのだから、当然の事ではある。

 加えて子供の精神は、好意であれ悪意であれ純度が高い。「怖い存在」へのイメージも容易に、際限なく膨張する。それが更なる怪異を生む。


 学校の怪異発生事件はしばしば社会問題化し、義務教育制度の見直しまで議論されてきた。

 現代では自宅学習ホームスクーリングを選択する家庭もそれなりに多い。


 ただし学校という箱物には今も需要がある。生前の根岸は霊感体質だったが、日常生活に支障が出る程のものではなかったので、小学校から大学まで全日制に通った身だ。


「危ないの? 廃校になった学校の中が?」

「そう。ここにはどういう訳だか、日本全国の『学校の怪談』が集結しちゃってるのよ。校舎内で確認された怪異は、はっきり見えるのだけでも二十一体」

「すげっ、七不思議三校分じゃん」


 滝沢の説明に、諭一は目をみはった。


「その二十一体の怪異をまとめ上げてるのが、『彼女』――個体名『ハナコ』。実年齢は推定七十歳、外見年齢はおよそ十一歳。幽霊なのか妖怪なのかははっきりしてない」

「ハナコ……あっ、ひょっとして『トイレの花子さん』?」


 揃って首を縦に振る根岸と滝沢である。


「はい。多分、日本で最も有名な学校怪談の主役ですね。旧校舎は彼女らの縄張りで……侵入した人間の命を奪うまではしないんですけど、何しろ子供の発想から生まれた怪異なもので、悪戯いたずら好きなんだそうです。容赦なく」

「ははぁー、なるほど」


 根岸が説明を引き継ぐと、諭一は納得して頷いた後、思い切り顔をしかめた。


「怖くなってきた。ぼく帰っていい?」

「だから俺がついて行ってやるんじゃないか」


 ミケがバッグの窓に前足をかけて言う。


「ハナコもその傘下の怪異も、多少癖のある連中だが、話せば分かる奴らだから安心しろ」

「人間が研究や研修の対象にしても、怒らないでいてくれるくらいには協力的だものね」


 と、滝沢は苦笑した。


「教育実習生の間では、『怪談の学校』って呼ばれてるらしいわよ。戌亥小」

「日本全国の怪談を学べますーってこと? あ、あはは……」


 乾いた笑い声を上げて、諭一は観念した風に肩を落とした。



   ◇



 新宿駅から歩くこと、約十分。

 根岸にとっては久々の再訪となる旧戌亥小学校だが、その外観には相変わらず、何とも言えない迫力が漂っていた。


 華やかなビル街を抜けた先に、唐突に木造二階建ての古びた廃校が現れるのだ。その隣に建つ鉄筋コンクリート造りの管理棟の、無機質な外観もちぐはぐで、知らずに通りかかった観光客が驚いて見上げていたりする。


 この建物の竣工は一八九〇年とされており、最初は尋常小学校じんじょうしょうがっこうとして開校した。

 関東大震災や太平洋戦争を奇跡的に無事耐えしのぎ、その後学制改革を経て戌亥小学校となる。


 問題が起きたのはこの後だ。


 一九七〇年頃から何度か、老朽化した校舎の建て替えの話が持ち上がった。

 しかし校舎を壊そうとすると、怪異が次々と出現しては作業を妨害するのである。

 元々、校内にオバケが出るという子供達の噂はあった。奇妙なものを目撃した児童も複数いた。

 が、普段は子供をびっくりさせる程度で満足している怪異達が、工事業者相手だと途端に凶暴化する。


 作業員は叩き出され重機はひっくり返され、手に負えなくなった学校側は陰陽庁おんようちょうを呼んだ。


 ここで、『ハナコ』と名乗る少女の姿をした怪異が陰陽士おんみょうし部隊の前に現れる。


 ――子供の想像や噂話によってこの世に形を取ったものの、縄張りを持たず迷っている怪異は数多い。『ハナコ』はこの校舎で、そういう怪異達の面倒を見ている。皆この場所を気に入っている。このまま棲みつかせてくれるならば、子供に危害は加えない。


 『ハナコ』はそう主張した。


 その後も紆余曲折はあったが、結局は学校側が折れる形になった。

 木造校舎の隣に、当初の予定より多少狭苦しい新校舎が建てられ――これがのちの管理棟である――旧校舎は取り壊される事なく据え置かれた。


 二〇〇〇年、児童数の減少を受けて校区が統合し、戌亥小学校は一一〇年の歴史に幕を下ろしたが、全国の『学校の怪談』が見学できる施設として、校舎は現在も再利用されている、という訳だった。


「じゃあミケさん、諭一くんを頼みます」


 管理棟から借りてきた旧校舎の鍵をキャリーバッグに差し出して、根岸は言った。


「あいよ。よっこらせ」


 バッグからするりと這い出したミケは、軽く身体を震わせる。

 細い煙が立ち昇り、三毛猫に代わって人間の少年がその場に出現した。


「ミケくんってコートとかマフラーごと変身出来るんだ?」


 今更ながら諭一が感心する。寒がりのミケは、きっちり防寒具を着込んでいた。


変化へんげの前、最後に着てた服装になるようにしてるぞ。服ごと化けないと人間の街では面倒な事になるからな。……ウェンディゴも同じだろう」

「ウェンディゴに成る時は、角とか毛皮とかを『上から被る』感覚なんだよね。着ぐるみみたいな」


 とするとミケの方は本性が猫だから、人間の姿が着ぐるみに近いのだろうか。

 二人の遣り取りを聞いて根岸がそんな事を考えていると、管理棟に入りかけた滝沢が手招きをする。


「根岸くん! 私達は仕事よ。特殊文化財安全キャンペーンの、企画展示会の打ち合わせ」

「あっ、はい」

「あっちは仕事で、こっちは肝試しかぁ」

「こら。肝試し気分で他所よその怪異の縄張りに踏み入るんじゃない」


 ミケに叱られながら、諭一は旧校舎の入口へと歩いて行った。

 それを見送って、根岸も滝沢に続き管理棟の扉を潜る。


「ミケさんがついてるとは言っても、何だか心配だな……」

「点検作業用のヘルメットでも渡しとけば良かったかしら?」


 受付カウンター前で言葉を交わす二人の元へ、管理棟の職員が足早に近づいてきた。

 男を一人伴っている。

 彼は制服を身につけていた。僅かに青みを帯びたダークグレーの――紺鼠色こんねずいろというのだろうか、一見地味だが独特な色合いの、軍服に似たデザインだ。


 陰陽庁おんようちょう勤務の陰陽士おんみょうしの制服だと、根岸はすぐに気づいた。仕事で何度か関わった事がある。

 根岸よりは年嵩としかさと思われたが、若い陰陽士だった。恐らく二十代だろう。細面ほそおもてに切れ長の涼しげな目元で、どことなく狐の面を想起させる風貌である。


「あの、特殊文化財センターの方に……こちらの陰陽士さんがちょっとお話聞きたいって仰ってて」


 いくらか困惑気味に、管理棟事務員の中年女性が紹介する。

 それを受けて、陰陽士はぺこりと素早く頭を下げた。


「どーもッ、お仕事中にすみません。こっちも事件の捜査で仕事中なんですけどね! あ、わたくし陰陽庁の東京都中央怪異対策局所属、鶴屋つるやと申します」


 あまりにもスムーズに名刺を出されて、反射的に根岸はそれを受け取る。


 鶴屋琴鳴つるやことなり

 階級は司令補しれいほ。警察でいえば警部補相当だろう。キャリア組などと呼ばれるタイプかと根岸は推測した。


「……怪異事件ですか?」


 同じく名刺を受け取った滝沢が、怪訝な表情でたずねた。


「ええ。こちらの資料館の展示物が、数日前に失くなったとかで。状況から見て、怪異が関わっているのではないかと」

「資料館の――?」


 思わず顔色を変えて、根岸は滝沢と視線を交える。

 展示物の紛失。怪異が関わっている。そう言われれば二人は否が応でも、多摩地域無差別連続殺傷事件を連想してしまう。

 つまり、根岸が命を落とした事件だ。

 あの時凶器に使われた鎌は、都内の郷土資料館所蔵の農具だった。それが何故か行方不明になり、いつの間にか幽霊の手に渡っていたのだ。


「貴方、幽霊の根岸秋太郎さんですよね? あの、昨年八月の事件で……ああすみませんね、不躾ぶしつけな切り出し方してしまって。かるーくお時間頂いてもよろしいですか?」


 柔らかな物腰ではあるものの、有無を言わせる隙もなく、鶴屋はまくしたてた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る