クリームソーダ・デイズ

逆塔ボマー

クリームソーダ・デイズ


「クリームソーダみっつ、お待たせしました」

「あっどうも」


 細かな泡を立てる緑色の液体、上には半球形のバニラアイスクリームと色鮮やかなサクランボ。

 いつものみんなで映画を見に行った帰り道の寄り道。

 落ち着いた雰囲気の喫茶店には似合わぬ、いささか陽気過ぎるグラスが三人の前に運ばれてきた。


「自分から頼んどいてなんだけど、あんま好きじゃなかったんだよねコレ」

「なんだよ言い出しっぺが。ミドリが選んだから俺らも付き合ったんじゃん」

「いや『好きじゃなかった』だから。今は……まあ、それなりに、なんとなく、悪くないかなって」


 長い黒髪のミドリは、ストローを手に取ると口に含むでもなく、グラスの中の氷をつついた。


「なんていうのかな。メロンソーダって、『嘘』しかないじゃん」

「嘘?」

「別にメロンが入ってる訳じゃないし、この色も、匂いも、甘さも、全部作ったものじゃん」

「あー、かき氷のシロップの味が、メロンもブルーハワイも全部同じって話みたいなもんか」

「確か前にもソウタそれ言ってたよね」

「言ってた言ってた、ソウタの持ちネタ」

「悪かったな、ワンパターンで」


 ミドリとアイ、女子二人に突っ込まれて、ソウタは軽くむくれてみせる。

 本気で馬鹿にした訳でもないし、本気で不機嫌になった訳でもない。

 いつもの三人の、いつもの光景。


「ちっちゃい頃は、だから、こんなん全部嘘じゃん、って思って、大嫌いだったな……。オレンジジュースとかリンゴジュースとか、少しでも『本物』っぽいの選んでた」

「今は?」

「なぁに、アイ、言わなきゃダメ?……まあ、嘘だとしても、これはこれで悪くないかな、って」


***


 瓜割うりわり魅鳥みどりは、炭ヶ谷すみがや蒼多そうたと付き合っている。

 にも拘わらず、炭ヶ谷すみがや蒼多そうた葉丹はにあいは関係を持っている。

 瓜割うりわり魅鳥みどりは、そんな二人の関係を知っている。


 元々は同じサークルに集まった同学年同士の集まりだった。

 学園祭の発表物を作る時以外はほとんど活動していないような、だらけた文化系サークル。

 ただそれでも、集まってのんびりするための部屋は確保されていた。

 男三人、女三人の六人組は何となく波長が合って、すぐに何かと行動を共にするようになった。

 みんなで色々な所に出かけて、バカ騒ぎもしたし、試験勉強も一緒に頑張った。


 やがて一人が体調を崩して入院した。

 なかなか大変な病気で、いったん故郷に帰って長期の休学と療養に入った。

 今でも連絡は取りあっているし、みんなでお見舞いにも行ったけれど。

 からは脱落した。


 続けて、男女一組がくっついて、二人きりで行動することが多くなった。

 今でも学園祭の時には出てくるし友情は続いているけれど、完全に今まで通りとは行かなくなった。


 取り残された格好の三人、ミドリ、ソウタ、アイ。

 なんとなく、ずっと一緒に居続けている。

 なんとなくで一線を越えて、その後にアイも一線を越えたことに勘づいて、それでも一緒に居続けている。


 たぶんミドリは、ちゃんと怒るべきだったのだろう。

 さもなければ、きちんと身を引くべきだったのだろう。

 けれども、他の二人の距離に気付いた時、胸に沸いたのは納得と、ある種の諦観だった。

 ああ、やっぱりな、と。

 ああ、仕方ないな、と。

 それくらい、この三人で一緒にいる時間は心地がよかった。

 恋のライバルのはずのアイは、それ以上に大切で手放したくない親友だった。

 むしろソウタが前みたいにがっつかなくなって助かった、とまで思ってしまうのは、不誠実で身勝手な感想なのだろうか。


 ミドリは小さく微笑んで緑色の嘘をすする。

 甘ったるくて刺激的な嘘が、ミドリの内側を満たしていく。舌が嘘の色に染まる。


***


「まあでも、俺もあんま好きじゃなかったんだよな、メロンソーダって」

「なあにソウタまで」

「なんつーか、ガキの頃にはバカにされてるみたいでさ。どうせガキはこんなんで喜ぶんだろ、お子様のために用意しましたよー、って言われてるような気がして」


 ソウタの発言に、ミドリとアイは揃って吹きだした。


「うわガキだ」

「ヒネたガキだよね」

「でもらしい、ソウタらしい」

「ほんっとソウタらしい」

「てめぇら……ほんと仲いいよな……」


 ソウタは眉をひそめる。

 黒髪のミドリと、明るく髪を染めたアイ。

 色々と対照的な二人だが、ソウタを弄る時には本当に息が合ってしまう。


「……でも、ま、そうなんだよな。それでヒネてる時点でガキなんだよな。最近やっと腑に落ちて、それで……そうなってみたら、コレもまあ、普通に美味いんだよな」


 ソウタはズズッとクリームソーダをすすった。

 液面が一気に下がって、しかしアイスクリームとサクランボは積み重ねられた氷の上に置き去りになる。

 なんとはなしに、ソウタはサクランボの柄を摘まみ上げた。


***


 でも、じゃあ、って何だよ。

 炭ヶ谷すみがや蒼多そうたは、食べるでもなく指先でサクランボを弄びながら、声には出さずに自問する。


 彼とて、このままでいいと思っている訳ではない。

 男として最低なことをズルズル続けてしまっている自分にも気付いている。

 思いがけぬモテ期の到来に喜んだり、二股かけた悪い色男として開き直ったりできる訳でもない。


 二人のどちらかに一言でも責められたら、即座に土下座して謝って、どんなことでもするつもりだった。

 二人のどちらも失う可能性だって覚悟していた。

 けれどもそんな身勝手な覚悟なんて、この緩く甘い関係の前には何の役にも立たない。

 どうやら二人もそれぞれに気付いていて、それでも三人の関係を壊したくないらしい。

 誰から言うでもなく、三人同時にいる時には、どちらともイチャつかない。関係がバレているのは互いに分かっているが、それでも直接は見えないように一応隠す。あえて深く突っ込んで調べたりしない。そんなルールが出来ている。


 例えば食べ物だって、好物と呼べるモノがひとつきりの人間なんていないだろう。

 あっちも好き、こっちも好き。それが人間だろう。

 二人の魅力が異なるからこそ、自分からはひとつだけなんて選べない。

 こんな最低過ぎる自分の発想に嫌悪感を抱く程度には、炭ヶ谷すみがや蒼多そうたは善良だった。流され続ける程度には、炭ヶ谷すみがや蒼多そうたは弱かった。


 何かきっかけでもあればケジメをつけられるのだろうか。

 片方と結婚でもすれば、もう片方とは縁を切れるのだろうか。

 全く想像がつかない。

 答えは出ないまま、ソウタはシロップ漬けのサクランボを口に含んだ。

 いかにも子供向けの甘い旨味が、口内に広がる。


***


「あたしは……むしろメロンソーダより、こっちのアイスクリームが納得できてなかったな」

「アイも?」

「こっちも子供の頃の話だけどね。クリームソーダだけじゃなくて、コーラフロートでもコーヒーフロートでも全部同じなんだけど」


 そう語るアイの手元では、ほとんど手つかずのメロンソーダの上で、バニラアイスがほぼ食べ尽くされていた。

 それでも少量、溶けた白い筋が緑色の液体の中に交じり合っていく。

 透明感のある緑が、濁った白緑に姿を変えていく。


「ほら、こんな感じで混じっちゃうじゃん」

「あー」

「それが美味いのに」

「コレが好きな人がいるのも分かるんだけどさ。アイスクリームはアイスクリームで、ジュースはジュースで別々に出せよ! ってずっと思ってた」

「あはは」

「まあでも、これはこれで、アリだよね……最近やっと分かった」


 アイはスプーンを置くと、そこで初めて自分のストローを手に取った。

 かき混ぜれば、さらに白と緑が溶け合っていく。執拗に混ぜて完全に一体にしていく。


***


 葉丹はにあいだけは、心地の良い、でも不義理な関係の一応の終わりを視野に収めている。

 まだ二人には喋っていないが、卒業すると同時にこの国を離れる予定を立てているのだ。

 叶えたい夢のためには、海外での経験が一番の近道だったのだ。


 居心地のよい六人組、そこに取り残された三人。

 二人が付き合うと聞いて、素直に祝福したはずだった。

 恋愛とか結婚とか、あまり興味がないはずだった。優先順位は低いはずだった。


 三人で飲む予定が、ミドリだけがたまたま来れなかった夜。

 冗談でからかってみたら、そのまま押し倒された。

 そこで初めて自分も冗談ではなかったことに気が付かされた。


 逆に終わりを意識しているから、こんな関係に流れてしまったのだろうか。

 答えは出ないまま、アイスクリームがメロンソーダに溶けていくように、ダラダラと、ズルズルと。染まるつもりもなかった色にすっかり染まって、もう戻せなくて。


 遠距離恋愛とか想像もつかないから、自分が去れば関係は自然消滅して、二人は諦めて結婚するのだろうか。

 でもたまに日本に帰ってくるたびに、不倫を重ねることになるのだろうか。

 たぶんそうなっても怒ってくれないミドリの姿が想像ついてしまう。それに甘えてしまう自分の姿が想像ついてしまう。


***


「なんかさー」

「なあに?」

「こんな日がずっと続けばいいのにな、って」

「ぷっ」

「何を急に」

「クサいかな、やっぱ」

「うん。でも悪くないかな」

「それはそれで、アリかな」


 笑う三人のテーブルの上には、中身を飲みつくされたグラスがみっつ。

 誰かのグラスの中で氷が滑って、カラン、と澄んだ音を立てた。


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