第27話 野良ネコちゃんを探していたはずなのに…………

 放課後、私たちは保健室に向かうことになった。もちろん柳先生も引っ張って。


「な、な、なんで先生まで一緒なの!?」


 柳先生は半泣きであった。いい年の大人が情けない。


 私は冷たい笑みを浮かべながら、柳先生の背中を押した。


「先生は引率です」


 柳先生は、えーっと泣きながら廊下の手すりをつかんで、その場に留まろうとした。


「保健室を調べるだけなら引率いらないでしょ!?」


「問答無用! 保健室に突撃!」


 私たちは柳先生の手足を掴んで保健室に突入した。


 見た目は普通の保健室だ。医療棚があって、ベッドがあって、保険の先生がいた。


「どうしたの、そんな大人数で。ケガはしてないみたいだけど……?」


 保険の先生は、名前を橋田佳奈という。柳先生と同い年だ。


 ただし橋田先生は、結婚済みで子供もいる。丸っこい顔と丸っこい体型。いかにも母親をやっている感じだった。


 私たち世治会の関係者たちは、ちゃんと保険の橋田先生に事情を説明した。


「幽霊の調査という名目で、野良猫を探しにきました」


 私と真奈美ちゃんと彩音ちゃんは、調査する前から野良猫だと断定していた。だって保健室に迷い込んだ野良猫と遊びたいんだもの。


 ちなみにシカコだけは、わくわくしながら幽霊を探していた。


「あたしは幽霊を探してるんだぜ。だって友達になったら、なんかおもしろい話を教えてくれそーじゃん?」


 さすがシカコ、そもそも幽霊を恐れていない。


 保険の橋田先生は、うふふっと優しく微笑んだ。


「最近よく来るわね、そういう子。でもすぐに帰っちゃうのよ。幽霊なんてどこにもいないから」


 そりゃそうだ。幽霊なんて非科学的な現象、本当にあってたまるか。


 きっと保健室のどこかに大きめの穴が開いていて、そこを使って野良猫が雨宿りをしていたとかそういうオチだ。


 柳先生が、ぺこりと頭をさげた。


「お仕事を邪魔して申し訳ありません。校長の命令で、調査しなきゃいけなくて……」


 上司の命令を実行しようとしたら、同僚の仕事を邪魔することになるわけだ。学校の先生も大変だ。


 保険の橋田先生は、壁掛け時計をちらっと見た。


「わたしね、これから保険医の会合に出なきゃいけないから、しばらく保健室を留守にするの。その間、柳先生が鍵を預かっててちょうだい。もしわたしが戻ってくる前に幽霊探しが終わったら、鍵を閉めて職員室に戻しておいて」


 どうやら保健室の仕事も忙しいみたい。橋田先生は、手早く荷物をまとめると、会合に出発した。


 柳先生は、保健室の鍵を手のひらに乗せると、小さなため息をついた。


「また仕事が増えちゃったなぁ。今日中に、かたづけなきゃいけない書類も残ってるのに」


 教員の仕事とは、ただ授業をこなせばいいだけじゃない。生徒たちが帰宅してからは事務仕事もある。


 柳先生は、頼りないところがあるけれど、きっと生徒から見えないところで、たくさんがんばっているんだろう。


 私は、柳先生を励ました。


「保健室の調査をぱぱっと終わらせれば、すぐに次の仕事に取りかかれますよ」


 柳先生は、弱々しい笑みを浮かべた。


「そうね、橋田先生の言葉を信じるなら、幽霊はただの噂みたいだし。テキトーに調べてすぐ終わりにしましょう」


 こうして私たちは、保健室の調査を開始した。


 私と真奈美ちゃんと彩音ちゃんは、野良猫がいるんじゃないかと躍起になっていた。


 戸棚の裏、天井裏、ロッカーの隙間、とにかく猫が好きそうな場所を探した。どんな猫ちゃんが保健室に隠れているんだろうか。とっても楽しみ。


 なおシカコだけは、すっかりテンションが下がっていた。


「保健の先生が幽霊いないって断言しちゃったもんなぁ。それじゃあ夢がないんだよ、夢がさぁ」


 私は、ベッドの下で野良猫を探しながら、シカコをからかった。


「幽霊なんて現実的じゃないわよ。やっぱり噂の原因は野良猫だって。ほらシカコも猫ちゃんを探しなさいよ」


「バカいえよ、野良猫だって現実的じゃないだろ。この保健室、戸締りはきちんとしてるし、どこにも抜け穴なんてないぜ。そういう防犯上のミスがあったら、牧場の施設管理にうるさいあたしが気づくっつーの」


 シカコのいうとおり、保健室は戸締りがしっかりしているし、抜け穴もなかった。こんな様子じゃ、野良猫なんてどこにもいないだろう。


 どうやら私たちは、骨折り損のくたびれ儲けをしたらしい。


「……帰りましょ。幽霊はただの噂だったし、猫ちゃんもいなかった。きっと校長先生が神経質すぎたんだわ」


 私は、がっくり肩を落とした。野良猫に対する期待が大きかったせいで、なんの収穫もなかったことが悲しかった。


 他のみんなも、まぁこんなもんだよね七不思議なんてさ、と言いたげに顔を見合わせてから、保健室を出ようとした。


 だがなぜか、急速に気温が下がってきた。


 かたかた、かたかた、薬品棚のガラスが軋む。


 どろりどろり、謎の怪奇音が鳴りはじめる。


 まだ夕暮れ前なのに、とつぜん保健室だけ薄暗くなった。


 私は、ヘビに睨まれたカエルみたいに、体の節々が硬直するのを感じた。


「なにこれ、どういうことよ。まさか、本当に幽霊がいるんじゃ」


 怖がりの真奈美ちゃんは、私に抱きつくと「ひぇええ……」とか細い悲鳴をあげて動けなくなった。


 スポーツ少女の彩音ちゃんも、私に抱きつくと、笑顔を凍りつかせた。


「ま、まさか本物の幽霊くんなのかい?」


 柳先生も、私に抱きついて、怯えはじめた。


「保険の橋田先生、幽霊なんて嘘だっていったじゃないのよ……!」


 そうよそうよ、なんで保険の先生がいるときには出てこないのに、私たちだけで調べはじめたら出てくるわけ?


 幽霊のバーカ!


 と、私たちが幽霊を恐れているとき、ひとりの勇者が立ち上がった。


 シカコである。彼女だけは袖をまくって気合十分だった。


「よっしゃ、あたしにまかせろ。どんな幽霊でも、友達になってやるぜ」


 なんてかっこよさ、正直惚れそう。


 でも本当に大丈夫かしら。いくらシカコが恐れ知らずでも、相手は幽霊だ。一般的な常識が、まったく通用しないかもしれない。


 実際、保健室の怪奇現象は、どんどん悪化してきた。


 保健室の壁と床が氷みたいに冷えきって、だんだんと暗闇が濃くなってくる。もはやラップ音なんて中途半端な現象じゃなくて、高音と低音が渦を巻いていた。


 私たちの怯えが最高潮に達したとき、ぱたっと怪奇音が停止した。


 無音の空間で、ベッドの上に陽炎が発生した。


 私たちは、ごくりと息を飲み込むと、ベッドの上を見つめた。


 なにかが、いる。


 人型だ。


 半透明だ。


 足もない。


 どこからどうみても、幽霊だった。

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