第19話 世治会で調理実習をはじめよう
家庭科室でやる授業といえば調理実習である。班ごとにわかれて豚汁を作ることになった。
私の班のメンバーは、シカコ、真奈美ちゃん、彩音ちゃんだ。
なにかの偶然みたいに、世治会関係者が集合しているのは、お笑いコントみたいね。
「先に言っておくけど、私、まったく料理できないからね」
私は料理スキルが壊滅している。困ったなぁ、本当に勉強以外取り柄がない。
でも受験が終わって時間に余裕ができたら、ちょっとは覚えるんじゃないかな。ただの希望的観測だけど。
では、うちの班で、もっとも料理が得意なのは誰かといえば、シカコだった。
「みんな気楽に構えてろよ、あたしは料理が得意だからな」
シカコは、エプロンを身に着ける動作が、かっこよかった。それもそのはず長期休暇になると実家の牧場を手伝っているから、食べ物の加工が得意なのだ。
では他のメンバーの料理スキルがどうかといえば、私と五十歩百歩である。
まずは真奈美ちゃんから。
「ひぃえぇぇぇ、包丁が怖くて持てませぇん……」
うんうん、今回ばっかりは真奈美ちゃんの怖がりに賛成ね。私も包丁が怖い。だって扱い方を間違えたら、指を切るじゃない。
次にパワーバカこと彩音ちゃんの料理スキルだけど、すでに怪しい雰囲気が漂っていた。
というか、ちょっと待って、なんで包丁を剣のように掲げているの?
「ボクの手にかかれば、素材なんて一発さ!」
彩音ちゃんは、馬鹿力を活用して、包丁を真っすぐ振り下ろした。
あぶないっ!
がつんっという恐ろしい音が響くと、素材どころか、まな板と作業台の一部まで切れてしまった。
シャレになってない威力ね、さすがパワーバカ……なんてのんきな感想を言っている場合じゃない。
うちの班のメンバーだけじゃなく、クラスメイト全員と家庭科の先生の意見が一致して、彩音ちゃんに包丁を使わせない方針が決定。
彩音ちゃんは、きょとんとした。
「おや、包丁を使えないとなると、ボクの仕事はなんだい?」
うーん、調理実習で、パワーバカにできる仕事って、なんだろう?
素材の水洗いはもう終わっている。皮むきは刃物を使うからダメ。皿洗いは皿を破壊するからダメ。
加熱調理ならできるかもしれない。
と思ったけど、本当に火をまかせて大丈夫なんだろうか。馬鹿力を濫用して、火事を引き起こすかもしれない。
そんなパワーバカと違って、真奈美ちゃんは、あらゆる調理過程にリスクを感じていた。
「包丁やガスにかぎらず、料理全般が怖いですぅ。だって、失敗したらケガしそうじゃないですかぁ……」
私だって同じ不安を抱えている。料理ってなにをすればいいかわからないし。
なお料理を怖がっているのは、私と真奈美ちゃんだけではない。他の班にも、苦手意識を持っている子たちが、ぼちぼちいた。
そりゃそうよ、だってなにをやっていいかわからないから、まごまごするしかないもの。
そんな料理に苦手意識を持つ子たちに対して、家庭科の先生がアドバイスした。
「どんなに名の知れた料理人だって、最初は初心者なんです。失敗することだってあるし、恥をかくこともあるかもしれません。それでも、包丁やガスを正しく扱うためには、自分の手で使うことが大切です。積極的にチャレンジしてください。ただし彩音さんは除く」
積極的にチャレンジしてください、の時点で、すでに彩音ちゃんが動き出そうとしていたので、クラスメイト全員で羽交い絞めにして止めた。
あぶない、あぶない、せっかく家庭科の先生が名演説してくれたのに、パワーバカが台無しにするところだった。
一難去ったので、さっそく家庭科の先生の名言を噛みしめた。
そうよ、せっかく授業で取り扱ってくれるんだから、苦手意識を克服したほうがいいわ。
よし、まずは私から。おそるおそる包丁を握った。この鋭い刃の部分を、素材である大根に当てればいいんでしょ?
私は深呼吸してから、ゆっくり包丁を大根に近づけていく。だがうまく刃が通らない。なんでだろうか?
シカコが教えてくれた。
「ゆっくりやるのはいいが、ビビるな。そっちのほうがケガするぞ」
「う、うん、わかった。あとはなにを気をつければいい?」
「素材を抑える手は、猫の手にするんだ。こうやって」
シカコが実演してくれた。どうやら指先を丸めこんで、素材を抑えるようだ。
私も猫の手をやってみよう。にゃーんと猫を意識して、指先を丸めて、大根を抑えた。
なるほどね、この抑え方なら、切っ先で指を巻き込むこともない。
あとは実演するだけ。まるで高価な芸術品を扱うように、ゆっくりと大根を切った。よし、切れた。なんだ簡単じゃない。
調子に乗って、連続で切っていたら、さくっと指の付け根を傷つけてしまう。
「あいったたたた……」
ちょっと刃が触れただけでも、皮は切れてしまうのね。出血はひどくないけど、でもひりひりと日焼けみたいな痛みがある。
私自身は、まったくなんともなかったんだけど、すぐ横にいた真奈美ちゃんが、真っ青になった。
「ほ、保健室にいかないと!」
真奈美ちゃんだけではなく、他の班の子たちまで、私のケガを見たせいで、すっかり動揺してしまった。
ちょっとした混乱が家庭科室に広がりそうになったら、シカコが凛とした声で諫めた。
「みんな落ち着け。表面の皮がちょっと切れただけだ。消毒はしておいたほうがいいが、深い傷じゃない。これぐらいの傷なら、絆創膏をつけておけば、明日にはふさがってる」
むむっ、シカコが頼れる存在になっていて、なんか腹が立つ。
そりゃまぁ牧場を継ぐんだから、ケガに詳しいのもわかるけどさ。
でもシカコに主導権を握られると、優等生としてのプライドが刺激される。
もしかして私って、プライドが高すぎるのかしら。でもシカコには負けたくない。
そんな私のプライドをより刺激するように、彩音ちゃんがシカコを褒め称えた。
「シカコくん、すごいじゃないか! こんなに頼りになるなんて。もしボクが力加減を間違えて、誰かをケガさせてしまったら、診察を頼みたいよ」
彩音ちゃんは、力加減を間違えて誰かをケガさせてしまったなら、ちゃんと反省できる。
ただし備品や自動販売機みたいな無機物の場合は、どうも力比べや相性問題として認識しているらしく、反省ができない。
このあたりに、馬鹿力をセーブするためのヒントが隠れていそうだ。
そうやって私が分析している間に、シカコは彩音ちゃんと会話を続けていた。
「牛を相手にしてると、ケガにも詳しくなるのさ。あいつらは言葉をしゃべれないのに、重たい荷物を運べるだけのパワーがあるから、扱いを間違えると痛い目にあうんだよ」
シカコは、右の袖をまくった。かつて牛さんに蹴られた古い傷跡が残っていた。
ざっくりえぐれていて、皮膚も変色している。中学時代の水泳の時間でも見たことあるけど、かなり生々しい傷跡だ。
正直、牛さんって怖いな。そう思ってしまった私に、畜産業は無理だ。
真奈美ちゃんも、シカコの古傷を見て、ひぃいいっとか細い悲鳴をあげた。
「牛さんって、あんな可愛い見た目なのに、怒ると怖いんですね……」
きっと怒るとか、怒らないとかじゃなくて、蹴りの届く範囲で作業してはいけないんだろう。
動物と人間はルールが違うから、ちょっとした意識の差が事故につながるわけだ。
おや、もしかしてこの考え方って、彩音ちゃんの馬鹿力にリミッターをつけるのに有益なんじゃ?
だって、とてつもないパワーを発揮する存在で、かつ会話が成立しないという意味では、彩音ちゃんは牛と同類なのだ。
もちろん、クラスメイトの行動パターンを、動物と比較するのは、かわいそうを飛び越えてただの侮辱なのは理解している。
だからこそ、方法論に確信を得るまでは、誰にも喋らないほうがいいだろう。
もし必要な情報がそろわなかったら、心の片隅に埋め込んで、二度と思い出さないほうがいい。
でも私は第六感で嗅ぎ取っていた。おそらくこの方法論は、かぎりなく正解に近いんだろうな、と。
このまま調理実習を続けていけば、きっと正解にたどりつけるに違いない。
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