王都

 リムニアは惑星ソナスに存在する唯一の国家である。


 アルスたちの住むカルマートを含む十三の領国で構成されるこの国の総人口は、現時点で八億人ほど。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれではあるだろう。


 かつて旧神は、この世界を停滞を嘆いていたが、人口が停滞しているわけでも減少しているわけでもない。陸地面積の違いや、リムニアの文化レベルが十七、八世紀であること。同じころの地球の人口が十億人程度だったことを考えれば、むしろ多いとさえいえるかもしれない。


 そのリムニアの中心が王都レントである。


 旧神も、全く異なるものを自分の世界に取り入れる程無謀ではなかったのだろう、

 王の住まうリノス城を中心として放射線状に伸びる街並みに、アストレアとの大きな差を見出すのは難しいかもしれない。

 ただひとつ、大きな違いと言えるのは、この都市が城塞都市ではないことくらいだろうか。

 アストレアの様に、常のモンスターの襲来や戦争といった、外敵たる脅威の存在しないこの国に、防備のための城郭など必要のないものなのだ。


 その王城、玉座の間。


 多くの貴族、高官たちの見守る中、現国王エラン四世の前に立つ、一人の少女の姿があった。

 この国では見かけることのないゴシック調の黒いミニドレス。頭から顔の中ほどまでを隠すように覆うヘッドドレスとベールの所為でその表情を見ることはできない。


「魔法だなどと、王の前で世迷い事ですか?。叔父上、いやクラル公爵」


 壇上。国王の横に立つ皇太子エミユがいら立ちを隠せない様子で、黒衣の少女の横に立つクラルに問いかけた。


 王都から離れたカルマート領の領主である叔父、クラル・コルネットがレントを訪れたのは一週間ほど前の事である。エラン四世とクラルは実の兄弟であり、普通の話であればわざわざ謁見などという場を設ける必要はない。


 ──よほど重要な話なのか?


 だれもがそう思い、集まってみれば少女を伴い「魔法師団の設立の許可を──」である。

 世迷い事。そう表現したエミユの言葉に間違いはない。誰もがそう思い小さな笑いが場を支配した。

 同じく王の横に立つ宰相の顔にも不機嫌の色が見える。

 彼からすれば、そんな話よりも、最近話題になっている、カルマート近海の遭難事故に関する報告が聞きたかったのだが。


「まぁ、おとぎ話の世界の話だ。魔法などね。わたしもそう思っていたよ。彼女に会うまでは」

「ではこれは座興ですか?」

「莉々」


 クラルの声に、黒衣の少女は顔を隠していたベールを上げ、同時に『おお』という静かなざわめきが周囲からおこる。


 肩で揃えられた浅い金髪に碧い三白眼。まるで陶磁の様に白い肌を染めるのは、黒いルージュに黒いアイシャドウ。

 リムニアの住人から異質な、だが同時に美しいと、誰もが思う顔がそこにあった。


 女性の隣に立つ公爵、クラル・コルネットが、周囲の反応に満足げな表情を浮かべた。


「それがお前の言う、魔大陸の住人か?」


 ここまで無言を通してきたエランが、顎に蓄えた髭を触りながら問いかける。


 クラルの兄という話ではあるが、その姿はむしろ父親の様にも見える。

 オールバックにまとめられた深いブラウンの頭髪には白いものが大分まじり、目の下の隈も濃い。

 玉座に座ったままであるがゆえに正確なところはわからないが、どちらかといえばスリムなクラルに比べ、だいぶでっぷりとした、よく言えば貫禄のある、悪く言えばだらしのない体系である。

 三十半ばのクラルと大差ない年齢のはずだが、五十過ぎといわれても疑うものは居ないだろう。


「ありもしない大陸のありもしない住人。詐欺師にしてはお粗末じゃな」


 見た目にたがわぬ老人のような声で二人に嘲笑まじり言葉をかけるエランに、クラルは無言のまま肩をすくめ、おどけた様な表情で応えた。


 エランは「ふむ」と、顎に手を当て、クラルの真意に思いを巡らせた。

 どう考えても彼が正気とは思えない。魔法、怪物、魔大陸。どれもこれもが常軌を逸したものだ。

 だが操られているにしては、狂信者の様な素振りもなければ虚ろな目をしているわけでもない。


 あらためて、クラルの隣に立つ黒衣の少女の顔を見た。

 確かに美しい少女だ。世界の覇者である彼がこれまで見た中でも一、二を争うほどの存在。そう言ってもいいだろう。


 ──女にうつつを抜かすタイプとは思わなかったがな。


 そう思いながらエランは口元を歪めた。


 別にクラルに対する嘲笑ではない。

 そもそもクラルは妻と共に王都へ来たという報告を受けている。愛人同伴など珍しくもないが、案外クラルも俗物なのだなと、むしろ安堵している自分に対してのものだ。


 一方、隣に立つエミユはいら立ちを隠せずにいた。

 敬愛する叔父をたぶらかし、あまつさえ今も臆することもなく、まるで見下すように顎を上げ、父王を見る莉々の姿に。


「娘、詐欺師の分際で、不敬であろう! お前の前に居るのは──」

「大した美貌であるな。その顔で、クラルを垂らしこんだか?」


 エミユの言葉を遮るようにエランが莉々に問いかけた。

 莉々は先に声を上げたエミユに一瞥すらしないまま、エランの質問に眉一つ動かさずに顎を上げ、冷ややかな目を向けた。


「残念。どうやらこの世界の王さまは、下半身でしか物を考えられないタイプのようで」

「こういう冗談は好かんか?」

「嫌いじゃないですけどね。この場にはふさわしくないかと」

「ではどうするかね? 魔法使い」


 そう告げると同時にエランが左手を胸の高さにあげた。

 それに合わせ横に立つエミユが剣を抜き、周囲に立つ衛兵たちも銃を手に莉々とクラルを取り囲むように前に出る。

 クラルは兄王の目を見た。

 彼の目に下卑た色は無い。怒りも、何も。対してエミユの方は怒りに顔を赤く染めその目は真っすぐに莉々を見据えている。


「陛下に対する不敬。許すわけにはいかん」


 抜刀した剣を構え、今にも飛び掛からんとするエミユの言葉に、クラルは肩をすくめ、一瞬おどけたような表情を作った。


「兄上。選択に間違いはありませんか?」


 エランやれやれと首を横に振る。


「傾国の美女、か。落ちてゆくお前を、そのままにしておくわけにもいかんのでな」


 ゆっくりと人差し指をたてると同時に、兵士たちが一斉に銃を構えた。

 その金属音に、周りの貴族たちも沈黙する。


「娘よ。クラルに何を吹き込んだのかは知らんが、いずれにせよ魔法だなどと、つまらない手品を披露しにきたわけでもあるまい。目的は金か?。権力か?」


 クラルが降伏の意思を示すように両手を上げる。それを横目に莉々の手は、だらりと下げられたままだ。


「すまんな。莉々嬢。やはり言葉だけでは足りないようだ」

「だから最初から言ってるのに」


 溜息まじりに呟き、二人をぐるりと取り囲んだ兵隊に目を向ける。

 目が細められ、唇が笑いの形に歪んだ。


「おもちゃの兵隊」

 侮蔑を含んだ莉々の呟き。

 それが耳に届いたのか、一つ舌打ちをするとエランが人差し指を振った。

 同時に背後から近づいていた衛士のひとりがクラルに飛び掛かり、そのまま床に伏せさせる。

 一方の莉々はその様子を横目でちらりと見やると、再び王を見た。


 間髪入れずに鳴り響く銃声。

 血しぶきと、倒れ伏す美少女。


 反射的に何人かの貴族が目を閉じた。血にまみれたその光景を見たくないというように。


 銃口からは硝煙が立ち上る。

 兵士たちはいまだ銃を構えたまま、動く事の無い目標を見つめ──


 ──いや。正しくは言葉を失い、動く事ができずにいた。


 目標たる少女までの距離はわずか十メートル。外すはずの無い距離である。

 悪人とはいえ、未だ幼さの残る少女を撃ち殺すのに心が痛まないわけではなかったが、相手は名君と言われた王弟をたぶらかした悪女である。

 せめて一撃で。そういう思いがあった。


 だからこそ彼らは目を疑った。

 崩れ落ちる筈の少女が、涼しい顔でそこに立っていることに。

 そして理解した。

 血など、流れる筈がないのだということに。

 なにしろ少女の周囲には、その身を貫くはずの十三個の鉛の球が静止しているのだから。


「ああ、言い忘れてました」


 鈴の音のような声が、沈黙に支配された謁見の間に響く。

 決して大きくはない声。

 それでもその声は、よく通った。


「今日お見せするのは手品です」


 宙に浮かぶ十三の弾丸がパラパラと、少女の足元に落ちた。


 ──魔法使い


 王の脳裏にその言葉が浮かんだ。


「そう、ただの大道芸」


 黒衣の魔法使いが小さく、小さく笑う。

 それはおとぎ話に出てくる、黒い魔女、そのものの様に──

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