世界変異

 大倉睦月はある意味において、そのゲームに救われた人間である。


 そのゲームを始める前の睦月は、お世辞にもまともとはいえない生き方をしていた。


 いつも問題ばかり起こしていた。

 気に入らないことがあると暴力に頼った。

 悪いことを悪いことと理解して、その上で進んで悪いことをしていた。


 家庭裁判所、保護観察、鑑別所、少年刑務所。

 当たり前のように経験し、あまつさえそれを自身の武勇伝のようにさえ思っていた。


「捕まらないように上手くやればいいのに」

 そういっていたのは誰だったか。


 ああ、自分は将来ヤクザにでもなるのだろう。

 そう思っていた。


 180を超える身長に、いかにもそういう連中が好みそうな服装。

 日頃の行いのせいであろう、人相、特に目つきが悪い。

 周りの人間が自然と目をそらすようになるのも当然である。

 悪意など無くても声をかけた日には確実に犯罪者扱いだ。


 そんな周囲の自分を見る目をみては悦に入る。

 自身のその姿に違和感のひとつも感じずに。


 十八歳の時に遊び歩いた先で終電を逃し、何となくネットカフェに入った。

 いつもであれば何処かで吞み明かすか、知り合いに電話をして迎えに来させるかなのに。


 そこでそのゲームに出会った。


 気まぐれでログインし、気まぐれで冒険を始めた。


 全部気まぐれだった。


 なのに、いつの間にかそのゲームに、世界にはまっていた。


 睦月が自身のアバターにつけたグラムという名前に深い意味はない。

 おおつき。

 自身の名前をもじっただけの安易な名前だ。


 睦月がネカフェ通いから卒業するのに大した時間はかからなかった。

 ゲームを購入し、PC環境を整えた。

 性能を求め、上へ上へといい出したらキリがない。

 とにかく金が必要だった。

 だがいい年をして親の脛をかじるわけにはいかない。

 滑稽ではあるが、彼にも悪党なりの矜持があった。


 働いた。


 真面になってくれた。と、睦月の親は喜んでいたが、彼からすれば何も本質は変わってはいなかった。

 ただ自分がやりたいことをやりたいが為にそれをしているだけであり、それが暴力であるかそうでないかだけの問題に過ぎないのだ。


 気が付けば睦月の傍からかつての友人達は姿を消していた。

 あるものは冷たい目を向け、あるものは影で睦月を罵りながら。

 にべもない。

 彼らにとって睦月という人間はアウトローそのものであり、今の睦月の姿は、彼らにとって到底受け入れることの出来ないものだったのだから。





 ゆっくりと。だが駆け足で時間は過ぎてゆく。

 移りゆく景色とともにひとつ、またひとつと歳を重ね、同時に少しづつ自分が変わっていくのがわかる。


 ふと思う。


 なぜかつての自分はああだったのか。

 気に入らないと睨む、殴る、悪態をつく。

 今思えば恥ずかしくなってくる。


 間違えたのはどこでだろう? と。


 きっかけなど些細なことだ。

 道を踏み外すのも、立ち直るのも。

 万人がそうではないことももちろん理解はしているし「ネトゲにはまってまともになりました」などと言うつもりもない。

 ネトゲにはまった時点でダメ人間だというのはゲーム仲間の間でも共通認識だったし、彼自身もそう思っているのだから。





 敵を切り刻む。


 モンスターだけではない。

 時に攻城戦と呼ばれる大規模戦争をしている。

 あるいは闘技場で行われる対人戦。

 それが楽しかった。


 生身で戦うなら自分に敵う奴なんかそういない。

 少なくとも近場には。

 そう思っていたのにここでは自分など有象無象の一人でしかない。

 生身であれば自分の相手にもならないような人間が平然と自分を打ち負かす。


 リアルじゃなんも出来ねぇやつらが。とは思わなかった。

 素直にやりあえることが面白かった。


 自分はバトルマニアだったのか。と、今更ながらに思う。

 ああ、だから喧嘩が好きだったのか。

 本当にやり方を間違えた。

 格闘家にでもなりゃよかったのだ。

 そうすればあるいは、と。


 そんな風に笑うことも出来るようになった。


 時が過ぎ、他者との関わり方も変わった。

 穏やかになった。

 誰にでも優しくできるようになった。

 ガキの頃の自分はひねくれていたんだな、と思う。

 気が付けば十年もここにいる。

 すっかり古参だ。


 沢山の人間と出会い、そして別れた。

 所詮ゲームの世界の話だ。急にいなくなる人間などザラにいる。

 いいやつも、悪いやつも、可笑しなやつも。


 思い出も沢山ある。


 今更このゲームのない日常など考えられないとまで思うほどに濃密な時間は、しかし今日終わりを迎える。


 ファイナルイベントと題された告知があってから、過疎化が進んでいたこのゲームに帰ってくる人間が増えたのは、何とも皮肉だが。





「おい、見ろよ」


 誰かの声が聞こえた。


 エレミヤ王国。王都ベルク。

 城郭前の広大な敷地に今、完全武装の……一部ネタ装備の人間もいるが、数千の人間が集まっている。

 その中に睦月のキャラクターであるグラムの姿もあった。


 黒い髪に黒い瞳。浅黒い肌。黒い竜革の鎧にわずかに燐光を放つ大太刀。

 ゲームキャラだけあって、比較的金髪やカラフルな色の髪をしたキャラクターの多い中にあって、彼のように黒目黒髪というのは少数である。

 身の丈は190cmほどだろうか。

 250cm以上の体躯を誇る戦士がザラにいる世界にあっては別段大きいわけではない。


 声に合わせ多くの人間が声の主の指さすほうを見た。


 見慣れた、黒く染まった太陽がそこにある。

 その中心に人影があった。

 カーソルを移動させる。


 GM:ELDエルド


 睦月と同じ古参プレイヤーであり、後に運営側の人間となり広くプレイヤーに認知された存在。

 そしてこのイベントにおいて、プレイヤーと敵対する存在としてクレジットされたゲームマスターの名前がそこにあった。





 キンと打ち付ける剣の音が鳴り響く。

 魔法の爆発音。

 地響。

 怒号と獣の唸り声が充満する。


 戦闘は苛烈を極めた。

 天に開いた穴──日食の黒い太陽からは止めどなくMOBモンスターが零れ落ちてくる。

 多くのプレイヤーがそのMOBに向かってゆく。


 イベントの内容は至極簡単だ。


 1時間、王都に迫りくるMOBから守れ。


 王都へのMOBの侵入をもってプレイヤーの敗北。

 許さなければプレイヤーの勝利。

 勝ったところでゲームが延命されるわけではない。

 負けたところでペナルティがあるわけでもない。


 世界を終わらせる。

 それを周知させため。物語の区切りとして。

 それだけの為に用意されたイベントである。


 それでもここに多くのプレイヤーが集まった。

 最終的なログイン数は11,667人という告知がホームページにはなされていた。

 それが多いのか少ないのかはわからない。

 かつて日本、ユーロ、アメリカ、アジアにサーバーを抱え、その中にそれぞれ複数のシャードを構えていたゲームが今やひとつのサーバー、ひとつのシャードに統合されているのはさみしい限りではあるのかもしれないが。


 睦月のキャラクターであるグラムもまた、多くのプレイヤー達とともに戦いの渦中にあった。


 一刀の元にエルダーリッチを切り伏せる。

 ドラゴンのブレスをかいくぐり背後から一撃、二撃と加える。

 傍で同じく戦っていたパーティーの誰かが感嘆の声を上げた。


 ソロで相手をするような相手ではない。

 普通はパーティーで対処するような相手だ。


 廃課金プレイヤーというだけではない。プレイヤースキルが伴わなければこんな真似はできない。


「やるなぁ、グラムちゃん」


「マジ廃人やべぇww」


「うるせぇ、いいから戦えよ。おまえらw」


 投げかけられる声に応えるのも億劫だ。

 それでも応えるのは丸くなった証拠だと睦月は思う。


 これで最後。これで最後だ。

 そう思いながら太刀を振る。


 時間が刻々と過ぎてゆく。


 過去を振り返る余裕も、感傷に浸る時間もない。


 ともすればこの一時間で一週間分にも相当するほどのMOBと相対している。

 何度もレアなアイテムがドロップしているのは確認しているが、これからの生活にはどれもこれも用の無いものだ。

 その事実に時折寂しさを覚えながら、ただ黙々とMOBを切り伏せてゆく。


 正面の視界。その片隅に23:58分の表示が見えた。


 あと2分。


 ベヒモスの突進を躱し魔法を打ち込む。


 あと1分。


 背後から迫るアークデーモンの魔法を魔法で相殺すると同時に切りかかる。


 予想外に躱された。

 デーモンの口元がにやりとゆがんだ気がした。


「うぜぇっ!」


 横なぎに胴を払う。


 あるはずのない肉を、骨を両断する感触がを通してその手に伝わった。


 返り血が自分の顔面を濡らす感触と、強烈な血とまき散らされる臓腑の匂い。


 ──血の?


 手が、止まった。

 コントローラーを握る手が、ではない。

 剣を持つこの手がだ。


 すぐ傍で響くジャイアントの咆哮。

 投げ飛ばされたプレイヤーが目の前の地面に叩きつけられた。

 まき散らされる脳漿。

 痙攣する頭の半分を失った死体。


 ──ちょっと、まて。


 周囲に血の匂いが充満してゆく。

 また目の前を誰かの一部が掠めていった。

 後方の魔法使いの集団が、正面、太陽の真下。MOBの落下点に極大魔法を打ち込む。


 轟音と衝撃波。


 吹き飛ばされたのは多くのMOBと、そして──





 その日、世界はその色を変えた。

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